江國香織
『ホリー・ガーデン』★★★★
見落としていた らしい。
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3 ピクニック
「私はダイエットなんてするくらいなら、小錦みたいに太ってる方がずっとましだと思ってるのよ」
と言い放ってそっぽを向いた。
好むと好まざるとにかかわらず、ピクニックが終われば現実に帰らなくてはならない。
「やるべきことをやらない、というのはよくないよ」
手をだせないほど濃密なくせに、ひどく不安で緊張した空気。
男(たとえ意に添う男でないとしても)と向かいあってコーヒーを飲み、心の中に別の男――愛する男――を感じているのは気分のいいものだった。
足元に落ちていたタンバリンを拾いあげ、軽く振るとシャラシャラと玩具くさい音がした。
死ぬまでにあと一体何度――何十度、何百度――男の人と寝るんだろう。
「十一時半か。矢沢永吉の気分だな」
憂鬱から逃れるすべなどないことに、もしもまだ気がつかないのだとしたら私はばかだ、と思う。
幸福と不幸の境目というのはどこにあるんだろう、と思った。
晴天というのはどちらかというと不幸に似ている、と思った。
それも、恒常化してしまった穏やかな不幸に。
とっくりした青緑色の水面を、風が静かに渡っていく。
記憶はおもちゃのブロックに似ている。一見色とりどりで形も違うようでいて、実際にはすべて都合よく企画されているのだ。
そばにいるのに、この人はいつも遠い、と思う。
「左側を通って下さい。左側を通らない人はチョウクでしるしをつけます」
――結局、感情的になった方が負けなのだ。余分な好意が人を感情的にする。
いちばん美しいのは肉体関係を含んだ友情なのだ、と思う。
自分が不幸なときに相手も不幸だと元気がでてしまうのはどうしてだろう。
私には何かが決定的に欠落しているのだ、と思った。
混んだ電車のドア越しに見る、五月の空は青くて高い。
「やらしいじゃなくて、いやらしいよ」
誰でもいいから、現実にひきとめてほしかった。隣を歩いている人でも、その隣の人でも、その隣の人でも。
記憶は数珠つなぎに甦る。
それにしても、ホテルの石鹸というのは、どうしてこういつもおなじ匂いなんだろう。
「ときどき不思議に思うの。世の中の、三十歳の独身の女はみんな、休みの日に一体何をしているんだろうって」
十月の代々木公園は、晴れて美しかった。
なつかしい、愚鈍だが穏やかでやさしいこの男友達と肩をならべて歩きながら、女同士にはタブーが多くて厄介だ、と思った。
「思ったことを、すべてそのまま口にだすのが義務だとでも思ってるの?」
「子供も大人も、他人のことなんてどうでもいいと思っているみたいに見えるけど」
次の月曜は、一人でピクニックにいくと決めていた。
届かない時間の届かない出来事。この男はどんな声をしていたのだろう。
「結婚している男と恋愛するって、むなしくないのかな」
「その、つらくないのかな、と思って」
「でも、精神的なお友だちがあんなにいるなんて、すごおく淫らだと思う。信じられないくらいよ。それにくらべたら、寝ることなんて全然なんでもないと思う」
「結局『精神的』っていうのがいちばんいやらしいわ」
女を傷つけることができるのは女だけなのだと思うことがある。
「煙草はビタミンCを破壊するのよ」
「どろどろ」や「感傷」は御免だった。
誰かの待っている部屋に帰るのはひどい恐怖だった。一人の方がずっと気楽だ。
会って、観察して、判断を下す。みんなそうやって知り合いになるのだ、
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おじさんはわたしの気持ちを汲み取ってくれる。
このさじ加減の上手さ?気になって仕方ない。
いや・・・捨てられたのかもしれない。
何も始まってはいないけど「精神的なつながり」
笑点を見て思った・・・木久蔵ラーメンって美味しいのかな(笑)