町田康
『猫のよびごえ』★★★
みんなが生きていたこと、その時間
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したことろ、一般に、猫と女性は呼んだら来ない。呼ばないときに来る。
生きているといろいろなことがある。いろんなことを経験する。思いも寄らぬことを体験する。
え、マジ? Reaiiy? と思うようなこともあるかも知れない。
つい最近まで、大手町のサラリーマンをやっていたのに、なぜかいまはドバイで寿司を握っている。なんて人があるかと思えば、富豪に求婚されたが、恋人がいたので断ったところ、その直後に恋人には別の本命がいたのが発覚、富豪のところに行き、「やっぱり結婚したい」と言ったが、富豪は別の人と結婚した直後で後悔の臍を噛む人があり、また、笛吹童子に攫われて無理矢理に悪と闘わされる人がある。
これを称して昔の人が、一寸先は闇、と言ったのは実にうまいこと言ったものだと思う。
一寸すなわち約三・〇三センチメートル先のこともわからぬ、つまり、人生においては次の瞬間のことも予測がつかないということで、従来を歩いていたら、なんという名前の花かは知らんが綺麗な花が咲いていた。「あら、綺麗なお花」としゃがみこんで、これを愛でていたところ、頭上から建築資材が落下してきて押し潰されて死ぬ、なんつうことが普通に起こる、と言うのである。
剣呑だなあ、嫌だなあ、と思うが事実そうなのだから仕方ない。
空気が澄んで空がいつもより青く高く感じられる冬の寒い日。その青い空を部屋の内側から見上げてつくづく思うのは、人間というものはなににでも慣れるのもだなあ、ということである、
然り。人間というものは、ものに慣れる、という性質を有している。
新入社員の頃は毎日が地獄のように大変で、こんなことを一ヵ月も続けていたら死んでしまうのではないか、と本気で思う。ところが半年後にふと気がついてみると、大変には違いないが、最初の頃ほどではなくなっている。そうこうするうち三年も経てば、多くの先輩と同じように淡々と業務をこなせるようになる。
これすなわち、慣れ、である。むずかしくいうと、馴致、というのかも知れない。
まあ、そんなことで人間は。ものに慣れるのであるが、その、慣れ、そのものはどういう仕組みになっているのかというと、段取り・手順と力の入れどころと抜きどころがわかってくるということだろう。
なに仕事によらず、段取り・手順というのは大事で、段取り八分、という言葉があるくらいである。つまり、段取りができればその仕事は八割方は終わったも同然、というのである。
あはははは、あほほほほ、って感じでいきましょうか。
偶然に偶然が重なったところにさらに偶然が偶然に訪れたような偶然の出会いが偶然にあったような偶然の出会いだった。
もしオリンピックに、「六頭の猫のうち五頭を一室に、一頭をもう一室に隔て、それぞれに桶に盛った飯を食べさせる」という競技があれば、私は間違いなく金メダルを獲得できるはずである。
先日からハマっているPV このコが売れているワケが分かる。うん。
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