司馬遼太郎
『街道をゆく
3 陸奥のみち、肥薩のみち ほか』★★★
本書は1978年11月に刊行された朝日文庫の新装版
http://publications.asahi.com/kaidou/03/index.shtml
朝の東西線、帰りの東西線と新宿線で司馬遼太郎
このながらがよくて集中
---
Hさんのいう音羽ノ滝が旨いということは、茶にうるさい京都人ならばたいてい知っている。清水の山のなかで濾過された水が滝口にたどりつくまでのあいだに揉まれてくたびれている。水はくたびれるとまるくてやわらかくなるというのが京都人がよくいう説で、清水の音羽ノ滝というのは単に美観のためのみで保存されているのではなくそれで茶を点てるという目的のためにも大切にされているのである。自然を手間かずかけて飼いならすというのはそういうことであろう。
梵語学
(サンスクリツト)
「高貴寺はどうゆけばいいのですか」
ときいても、たいていの通行人は首をかしげるだけである。寺そのものが、その麓の町にひとびとから忘れられてしまっているようであった。
その理由はあとで知った。現住職が律院の性格をよくまもり、世間にはなるべく寺の存在を知られぬように努力し、たとえば近鉄電車が「沿線の観光資源としてパンフットに寺の名前を印刷したい」といってもいっさい許さずにきているのである。
---
こんな結末になるなんて ね。
どこかでは分かっていたんじゃない?
過去を振り返るべき履歴を見たら、吹っ切れるのに半年かかっている。
そう きちんと向き合えたのはこの三ヵ月だった(今更)
あの「考えさせて下さい」と告白+
放っておく。
あの時の感情を止められなかったことは後悔していない。
「カッとしてはいけない」あれからぐるぐる回る。その通り(笑)
ただ逢いに行くべきだったとは思う。
電話とメールで済ませてた日々
めずらしく食欲がない。
しばらく独りで考えてみることを考えるけど、それはわたしには向かない。
ただ明日は独りで観戦しに行ってみようかとは思ったり。