司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 21 神戸・横浜散歩、芸備の道』★★
http://publications.asahi.com/kaidou/21/index.shtml
まず芸備の道
・・・芸備ってどこ?
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広島県は、旧分国の国名でいえば安芸と備後とから成っている。
「中国の律儀」
などと、戦国時代、京都あたりではいわれた。中国者というのは、概して聡明だが機鋒をおもてに出すことなく、どこかおっとりしている。外交上、約束したことはかならずまもる、という印象であったろう。むろん中国のなかにその例外が無数にいるにしても、そういう印象を領域外のひとびとに持たしたというのは容易なことではない。
この場合の中国者とは、山陰・山陽十数カ国のすべてに対していったのではなく、具体的には毛利氏のことをいったかとおもえる。とすればその勢力の根拠地は安芸のことであり、次いで備後のことにちがいない。
安芸の風土をおもうとき、ついうかぶのは、
「安芸門徒」
ということであろう。とくに国名をつけてよばれてきたゆゆしさを思わねばならない。
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毛利氏についてのお勉強
そして神戸
司馬遼太郎が大阪在住だったからかちょっと滑稽じみた文に笑いが・・
確かに異人館やら街並みやら(わたしの記憶は20年前)異国情緒が溢れてる。
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「神戸の娘さんが、よう言いますな。人間にうまれてよかった。それも神戸に住んでいてよかった、というふうに――」
「それは、どんな娘さんでしょう」
「ふつうの娘さんですよ」
「そういう娘さんは、どこにいますか」
「どこにでもいますよ」
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ははは
そして横浜(好き!)
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下船して、遠ざかってからもう一度氷川丸を見た。さまざまな意味をこめて、この記念碑的な船は横浜の象徴だとおもった。
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また偶然にも?来週氷川丸~ たまには親孝行的な・・
夏休みということを忘れて行ったサンシャイン水族館
チケット売り場が長蛇の列・・
うーん涼やか
そうこの空飛ぶペンギンが見たかった!