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S

2017-08-07 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 22 南蛮の道Ⅰ』★★★

http://publications.asahi.com/kaidou/22/index.shtml


突き詰めてるなぁと思う。
夢中でバスク地方まで真夜中読書
このおもしろさを語る人はまだいない(語りたい?)



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「汝らは自由に召されてある。ふたたび奴隷のくびきにつながれてはならない」
といったエラスムスの像は、はるかにかれの母国のオランダから日本にやってきたことからおもうと、船にちなむ名がついても、さほどおかしくはない。像はいま東京国立博物館にあるはずだが、私は写真以外見たことがない。



粘土から人をつくる、という。後世、ナポレオンの事歴についても――かれは泥土から将軍をつくった――という言い方がどの書物かで使われているが、ヨーロッパには古くからそいういう言い方が存在していたのかもしれない。要するにロヨラによれば、イエズス会士になる以前のザヴィエルは粘土にすぎず、説得四年にしてようやく「人」になったのである。
ヨーロッパには、古くから回心という精神現象をあらわすことばがある。人間が、ある動機によって精神的変化をおこし、いままでとは全くちがう精神世界に入ることをいうのだが、ザヴィエルの回心は一五三三年二十七歳の夏だったというが、やや信じがたい。たしかにロヨラの門に入り、教会で誓い、心霊修行をするという別人になるのは、その翌年、二十八歳の夏――この年に日本では織田信長がうまれている――で、この年が回心の年であると考えたい。




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ザヴェルとロヨラ



そしてS・カンドウ

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真偽などはどうでもよい。S・カンドウの生涯を決定したのはかれの隣家のプレートだったろうことは、疑いを入れ得ないことのように思えてきた。



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羊群を「けばくず」
この表現には笑えた。



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窓が一つあいている。その窓ぎわに、石の腰掛けがあって、面がなめらかにすり減っていた。
すわると、窓ごしに、藍色の山が見えた。窓で切りとられた外界は、光りで描いた絵のようであった。山が、しきりに動いている。山の稜線にクリームをかけたように濃い朝靄がかぶさったいて、その靄がはげしく流れている。このため山が動いているようにみえる。
「あの山は、ピレネー山脈ですか」
ときくと、修道士さんは、赤ん坊の口うつしに言うように、れいれ、と言い、言いつつ、石の上にLEYREと指で描いた。ザヴィエルが十九歳までの日々、朝夕の山の変容をこの窓から見、れいれというその名を何千、何万度となく口にしたろう。そうおもえば、銀の小さな鈴がころがる音のようにきこえる。歳月もナポレオン軍も奪えないのが地名というものである。



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ロヨラ。
イグナティウス・デ・ロヨラ。
「イニィゴ」というバスク名前でよばれた貴族。
狂相の人。
パンプロナ城の篭城戦で脚をくだかれた傷痍軍人。
地上で仕えるべき主をうしなった人。
パリ大学における者覚えのわるい老学生。
人文科学者エラスムスや、宗教改革者ルターを害虫のように思っている人。
脱落しきっている教会に憤りをもたず、逆にヨーロッパを津波のように浸しつつある反教会、反カトリックの気分こそ雲霞のような敵と見、籠城戦の最後の勇者のように、孤剣をもって戦おうとした人。
その生涯をただ一点の主題に集約した人。
聖人







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ザヴィエル城





ロヨラ城を訪れ「来なきゃよかったですね」・・・(笑)




























フランス領バスク スペイン領バスク

国境 ロンスヴォー峠



そしてお次はポルトガルへ・・




























台風5号の行き先に翻弄される?


ケータイを会社に忘れた~
途中で気づいて戻ろうと思ったけどやめた。
日々どれだけ依存しているかが スゴク わかる。

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