司馬遼太郎
『新装版 播磨灘物語(三)』★★★
盛り下がった気持ちが再び上昇
やっと戦国の世に慣れてきた?
切腹 切腹 切腹
首を斬り、首実験
みんな誰かしら死んでゆく。
生きていることが奇跡のような気がしてくる。
さて予想通り藤兵衛の裏切りがあり官兵衛が幽閉される。
その後様変わりしてしまうのを知っていたから衝撃はなかったけど、
牢獄の窓から見える藤の花に生命を感じたあたりは印象深く沁みる。
重臣 栗山善助が侵入し官兵衛の前に現れた場面は何とも言えない。
そして、半兵衛の死・・
竹中半兵衛の生涯は、わずか35年だった。
「生涯の友、生涯の恩人」
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~いま官兵衛の目の前にある藤の芽は、官兵衛にとって、この天地のなかで、自分とその芽だけがただ二つの生命であるように思われた。
その青い生きもののむこうに小さな天があり、天の光に温められつつ、伸びることのみに余念もない感じだった。
官兵衛は、うまれてこのかた、生命というものをこれほどのつよい衝撃で感じたことがなかった。その者は動く風のなかで光に祝われつつ、わくわくと呼吸しているようであり、さらにいえば、官兵衛に対して、生きよ、と天の信号を送りつづけているようでもあった。
(生きる気力が湧いてきた)
人間というものは、孤立しては生きてゆけないものらしい。官兵衛の肉体は、いま牢の中に閉じこめられている。その肉体的苦痛についてはなんとか堪えてゆける。
が、世間から隔離され、自分をとりまく情勢がすこしもわからず、従って、自分の運命を自分で見通すための材料が何一つないという状態は、堪えてゆけるものではない。結局、絶望的になり、生命までそのために衰弱してゆくような感じがする。
(人間というのは、関係のなかに居てはじめて存在するのだ)
(もしもこの蔓に花が咲けば、おれのいのちはかならずたすかる)
「牢内でおれは毅然としてきたつもりだった。しかし牢内で半兵衛どのの死をきけば、果たしてどうだったか」
生きる気持をうしなっただろう、と官兵衛はいった。栗山善助は吐息をついた。
かれは牢内で官兵衛に凶事はいっさい告げなかったのである。
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さて、最終巻へ・・