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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

S

2017-08-11 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 23 南蛮の道Ⅱ』★★★

http://publications.asahi.com/kaidou/23/index.shtml

続々
まだまだ熱冷めず。



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十六世紀の無敵艦隊は、詩的には高貴としか言いようのない浪費だった。当時の艦隊一隻をつくるのに森が一つ消えるといわれた。フェイリペ二世のこの艦隊は、戦艦が百二十七隻、のせている砲は二千門といわれた。これらを建造し鋳造するだけでも巨大な自然破壊であったのに、イギリスとの戦いで、その過半――つまりは返らざる森林――を海に沈めてしまった。この一戦でスペインは世界規模の海上権をうしない、詩人のうたう「悲惨のカスティーリャ」という国土と、スペイン人の心だけがのこった。


「スペインには、宗教も芸術も文化財もある。しかしほかに何もない。いるのはスペイン人だけだ」




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大航海時代という華麗な世界史的な演劇の幕を切っておとしたのは、いうまでもなくポルトガルであった。



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人間が集団を組んで異常な行動に出るとき、神とか平和とか正義とかといったように、およそその行為の実態とはかけ離れた高貴なことばをかかげる。二十世紀に入って日本軍が中国を侵略したのも「平和のため」であり、ヴェトナムがカンボジアを侵略したのも「正義」のためであったということを、後世、信じられるだろうか。



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もしスペインに一日しか滞在できないとしたら、迷わずトレドの街にゆけ、ということばがあるそうである。



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これは架空の遊びである。もし自分がフェリペ二世のような地位に置かれたとき、どういう思想、気分、言動、さらには多民族の運命に対する――同時に世界史に対する――選択をしつづけるか、こう想像することは、人間そのものを考える上で興味がある。なぜなら、かれはどこにでもいるごく平凡な人間だからである。いまも区役所の窓口にもいるし、国鉄にもいるし、小学校の現場にもいるし、宗教団体の幹部のなかにもいる。
「フェリペ二世はあれはあれでよくやった」
と、多くのスペイン人は、わりあい甘くおもっているそうだが、このことは、死後おくり名として「慎重王」とよばれたことでも察せられる。
しかし、当時かれの支配下にあったフランス人やオランダ人たちにとって、この王の印象は残虐と不寛容であり、「南の悪魔」とさえよばれた。また、当時、世界に訴える手段をもたなかった南北アメリカの原住民にとって、生命を草のように刈りとる征服者(コンキスタドール)たちの背後にいる、死の略奪についての最高司令者でもあった。
かれは、文字どおり、世界のぬしといってよかった。ヨーロッパはそれの支配下にあり、アメリカ大陸だけでなく、アフリカと南アジアを所有していた。ちなみにフィリピンという名称も、かれの名に由来するのではないか。
その上、南アメリカから滝のように金、銀がながれこんできているのである。世界史でかれほど、その命令がゆきとどく範囲がひろかった王はなく、かれほど金銀を豊富ににぎった王もない。
さらに重要なことは、歴史のさまざまな闇の中から血まみれて登場してくる英雄的な王たちは、たとえかれの十分の一ほどの領土と富を握りえたとしても、それはみずから望み、それがために他を利用し、殺し、諸条件を生かし、機会をとらえるなど、いわば自分自身が稼ぎとったものだが、フェリペ二世の場合、すべてを父からゆずられた、ということである。かれはたまたまそういう条件のもとにうまれたにすぎず、かれが拓いた運命ではない。
その才質からいっておおぜいの中の一人にすぎず、従ってわれわれをかれにあてはめてみるという遊びには現実感がないではない。









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記念碑では船首に、長身のエンリケ航海王子が立っている。例の修道士のような姿の大理石の彫像で、かれはカラヴェラ船の模型を右手にもち、右脚を踏み出して、遠くを望んでいるのである。その彫像は中世の教会が好んだ写実像である。
丁寧な写実表現によって愚意をふくませるというカトリック美術の伝統が、現代彫刻家によって律儀に守られているのがおもしろい。さらに王子のあとに、おなじ手法による群像がつづく。ヴァスコ・ダ・ガマもいれば、剣を杖にする者もいる。緯度側器ももつ者、ペンを持つ者、聖書や旗をかざす者、さらにはうずくまって合掌している僧服の者もいた。みな名ある人物にちがいない。





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M

2017-08-09 | photogenic




『Beach』★★★


世界のビーチリゾートの写真集
ビーチを巡る旅
あぁ南国に行きたい・・



光村推古書院
http://www.mitsumura-suiko.co.jp/

























夏らしくない夏で、
梅雨明け最初の海 沖ノ島は強風、
二度目の大洗は高波(興奮した波乗り人達)
三度目の九十九里は夏らしい青空が広がっていた!
都内は今にも雨が降り出しそうな雲行きで、
高速に乗るもテンション低めで東金を降りても曇り空・・
それが海岸線 だけ 晴れていた。



熱い砂浜を素足で歩きじりじり焼ける肌
ちょっとだけ冷えたビール
海の家で交わす会話とシャワー室の鍵
たった数時間でも夏を満喫!








帰りの九十九里有料道路から(震災時から閉鎖中)


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モリンガ

2017-08-08 | ガーデニング+家庭菜園






  

たった二週間で超成長!!
茎もがっちりしてきてこの先大物になりそうな感じ。
涼しい日を見計らって植え替えをしてもらう予定(出た!他力本願)

「30cmくらいに育ったら、大きめの植木鉢に植え替えをして新しい土と肥料をあげて下さい。 
その際、根っこを傷つけないように土をつけたまま植え替えをするようにお願いします。
また、高さが大きくなったら先端を切り、高さを調節して下さい」

さて都内での成功例となるか!?

「 夏は40度近くの高温も耐えますが、冬は5度以上の温度が必要です。
室内の暖かくて明るい場所で管理し、冬は水を極力控えましょう。
葉は落ちますが、冬越えして春になると新しい芽が芽吹きます」

ふむふむ

「モリンガの葉は、葉野菜のようにつかえます。
煮込み料理にれる
サラダに入れる
味噌汁の具
茹でてお浸し
他の野菜や、肉と炒める等
葉野菜の料理ならばどのような形でも使えます」

食べてみよう!(まだ早いかな・・)



アタマの中にモリンガがいるからか、家庭菜園の話になると自然とモリンガネタに。
先日美容室で「そのモリンガ成分が含まれているんですよ」とその美容液を買ってきてくれた。
値段が高級でビツクリ! ・・ぼったくり?



余裕があるってステキね。








あと2日で夏休み
新盆メインだけど、横浜で大型船体験したり、
母と美味しいもの食べたり食べたり食べたり・・下北に強制連行→

去年行った木曽路にある阿寺渓谷を提案されて驚き。
さすがに波乗りは休止///

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S

2017-08-07 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 22 南蛮の道Ⅰ』★★★

http://publications.asahi.com/kaidou/22/index.shtml


突き詰めてるなぁと思う。
夢中でバスク地方まで真夜中読書
このおもしろさを語る人はまだいない(語りたい?)



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「汝らは自由に召されてある。ふたたび奴隷のくびきにつながれてはならない」
といったエラスムスの像は、はるかにかれの母国のオランダから日本にやってきたことからおもうと、船にちなむ名がついても、さほどおかしくはない。像はいま東京国立博物館にあるはずだが、私は写真以外見たことがない。



粘土から人をつくる、という。後世、ナポレオンの事歴についても――かれは泥土から将軍をつくった――という言い方がどの書物かで使われているが、ヨーロッパには古くからそいういう言い方が存在していたのかもしれない。要するにロヨラによれば、イエズス会士になる以前のザヴィエルは粘土にすぎず、説得四年にしてようやく「人」になったのである。
ヨーロッパには、古くから回心という精神現象をあらわすことばがある。人間が、ある動機によって精神的変化をおこし、いままでとは全くちがう精神世界に入ることをいうのだが、ザヴィエルの回心は一五三三年二十七歳の夏だったというが、やや信じがたい。たしかにロヨラの門に入り、教会で誓い、心霊修行をするという別人になるのは、その翌年、二十八歳の夏――この年に日本では織田信長がうまれている――で、この年が回心の年であると考えたい。




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ザヴェルとロヨラ



そしてS・カンドウ

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真偽などはどうでもよい。S・カンドウの生涯を決定したのはかれの隣家のプレートだったろうことは、疑いを入れ得ないことのように思えてきた。



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羊群を「けばくず」
この表現には笑えた。



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窓が一つあいている。その窓ぎわに、石の腰掛けがあって、面がなめらかにすり減っていた。
すわると、窓ごしに、藍色の山が見えた。窓で切りとられた外界は、光りで描いた絵のようであった。山が、しきりに動いている。山の稜線にクリームをかけたように濃い朝靄がかぶさったいて、その靄がはげしく流れている。このため山が動いているようにみえる。
「あの山は、ピレネー山脈ですか」
ときくと、修道士さんは、赤ん坊の口うつしに言うように、れいれ、と言い、言いつつ、石の上にLEYREと指で描いた。ザヴィエルが十九歳までの日々、朝夕の山の変容をこの窓から見、れいれというその名を何千、何万度となく口にしたろう。そうおもえば、銀の小さな鈴がころがる音のようにきこえる。歳月もナポレオン軍も奪えないのが地名というものである。



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ロヨラ。
イグナティウス・デ・ロヨラ。
「イニィゴ」というバスク名前でよばれた貴族。
狂相の人。
パンプロナ城の篭城戦で脚をくだかれた傷痍軍人。
地上で仕えるべき主をうしなった人。
パリ大学における者覚えのわるい老学生。
人文科学者エラスムスや、宗教改革者ルターを害虫のように思っている人。
脱落しきっている教会に憤りをもたず、逆にヨーロッパを津波のように浸しつつある反教会、反カトリックの気分こそ雲霞のような敵と見、籠城戦の最後の勇者のように、孤剣をもって戦おうとした人。
その生涯をただ一点の主題に集約した人。
聖人







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ザヴィエル城





ロヨラ城を訪れ「来なきゃよかったですね」・・・(笑)




























フランス領バスク スペイン領バスク

国境 ロンスヴォー峠



そしてお次はポルトガルへ・・




























台風5号の行き先に翻弄される?


ケータイを会社に忘れた~
途中で気づいて戻ろうと思ったけどやめた。
日々どれだけ依存しているかが スゴク わかる。

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ミニトマト(フラガール、ぷよっぴー)

2017-08-05 | ガーデニング+家庭菜園



あ すっかり忘れてた(つもりはないんだけど・・)

実がなると台所やお仏壇に赤い実があって、それが順調の証かなと。


先週末は波乗りで大洗、九十九里と不在がちで気づかぬ内にまた一段と背が伸びた。
どこまでゆくんだトマトちゃん。
(あまりにからっつからな姿はしのびなく写真は先々週のもの↓↓↓)


今朝ここにきて初めて水やりをした。
ちょうど陽の光がさしていてTシャツにホットパンツにビーサンで海にいるような。
大洗で約20年ぶりにサーフショップを訪れ(それもローカルな)
その雰囲気に二十歳の時、地元のサーフィンの大会で声をかけられた(いわゆるナンパ)カレを思い出した。
それがきっかで二十歳のわたしは10歳上のサーファーと付き合うことになった。
輝いてたなぁ(笑)










先々週・・






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S

2017-08-04 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 21 神戸・横浜散歩、芸備の道』★★

http://publications.asahi.com/kaidou/21/index.shtml


まず芸備の道
・・・芸備ってどこ?

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広島県は、旧分国の国名でいえば安芸と備後とから成っている。
「中国の律儀」
などと、戦国時代、京都あたりではいわれた。中国者というのは、概して聡明だが機鋒をおもてに出すことなく、どこかおっとりしている。外交上、約束したことはかならずまもる、という印象であったろう。むろん中国のなかにその例外が無数にいるにしても、そういう印象を領域外のひとびとに持たしたというのは容易なことではない。
この場合の中国者とは、山陰・山陽十数カ国のすべてに対していったのではなく、具体的には毛利氏のことをいったかとおもえる。とすればその勢力の根拠地は安芸のことであり、次いで備後のことにちがいない。
安芸の風土をおもうとき、ついうかぶのは、
「安芸門徒」
ということであろう。とくに国名をつけてよばれてきたゆゆしさを思わねばならない。


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毛利氏についてのお勉強



そして神戸
司馬遼太郎が大阪在住だったからかちょっと滑稽じみた文に笑いが・・
確かに異人館やら街並みやら(わたしの記憶は20年前)異国情緒が溢れてる。

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「神戸の娘さんが、よう言いますな。人間にうまれてよかった。それも神戸に住んでいてよかった、というふうに――」
「それは、どんな娘さんでしょう」
「ふつうの娘さんですよ」
「そういう娘さんは、どこにいますか」
「どこにでもいますよ」


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ははは


そして横浜(好き!)

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下船して、遠ざかってからもう一度氷川丸を見た。さまざまな意味をこめて、この記念碑的な船は横浜の象徴だとおもった。


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また偶然にも?来週氷川丸~ たまには親孝行的な・・




























夏休みということを忘れて行ったサンシャイン水族館
チケット売り場が長蛇の列・・



うーん涼やか
そうこの空飛ぶペンギンが見たかった!


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S

2017-08-02 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 20 中国・蜀と雲南のみち』★★

http://publications.asahi.com/kaidou/20/index.shtml

20冊目ともなると感慨深い。
ただもう突き進むしかない?
まだ半分にも満たないと思うと司馬遼太郎ってスゴイ・・
一度読んだだけじゃ得られないものがたくさんあるから旅は永遠となる。

自己判断の★が多いものに関しては再読必須!

お盆休みは新盆もあり読書している場合じゃなさそう
夏読書として何を読もうか考えるとわくわくするけど、
やっぱり司馬遼太郎?(笑)
春樹のハードボイルドワンダーランドを久々にじっくり読みたいのもある。
あと実家から持参したドフトエフスキー
夏にロシア世界はある意味涼しく感じそう。

なーんて書いているけど本当に夏?どんよりしたお天気が続く。
梅雨明けしないまま8月になった感
でも暑くない夏でうれしかったりする。

「このまま冬になってほしい」



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四川省は、古来、巴蜀(はしょく)とよばれた。
巴は現在の重慶を中心とし、蜀は現在の成都を中心とする。中国の奥地である。
山多く、水流も多い。天水をこの広大な山岳地帯にたくわえ、あまたの急流をなして流し、やがて諸川が長江(揚子江)の水となって中国大陸をうるおしている。いわば中国大陸の巨大な水甕のような地である。



蜀へゆくことは、古来、
「入蜀」
という。わざわざこの熟語があるのは、行路の難があるために相違ない。



竹添井井(せいせい)



「四川の犬は、太陽を見て吠えるというのです」
と、いった。四川の犬たちは地球のすべてが曇天であると信じて生涯を終える。



「四川省は、雨が多いですよ」
と、江南に住む中国人からきいたことがある。たしかに多雨であるらしいが、雨の降りかたが、変わっている。
「巴山夜雨」
という。巴が四川省の重慶付近であることはすでにのべた。蜀である成都中心の平野も、巴とおなじ四川省の自然地理のなかにあるため、「巴山夜雨」である。雨は深夜に降る。おかげで、日中はたいてい傘要らずで済むのである。



都江堰



『三国志』



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偶然にも先日横浜中華街へ。
平日の夕方の元町をふらっと散策して中華街へ。







「やっぱり四川でしょ!」

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