1970年ビートルズ解散の年、私は高校に入学した。
文化会系の私は、ギター同好会と視聴覚部に入部した。
ギター同好会はクラシック専門で、1年坊の出番はなく、ほとんど4拍子の伴奏専門だった。
視聴覚部は、昼休みに校内放送で音楽を流していたけど、これもまたクラシックがメインで、たまにイージー・リスニング系を流していた。
放課後のクラブ活動の時間には放送室で、先輩たちが持ち寄ったビートルズや洋楽ポップスのレコードを聴いていた。
そんな楽曲を昼休みの校内放送で流すことが、先輩たちの念願だった。
しかしながら、九州の辺境の高校ゆえ、昼休みのBGMはクラシックという暗黙のルールの前に、なかなか叶わないでいた。
そこで、クラブ活動時に若い教師たちを個別に呼んで、まずはビートルズのアルバムを聴いてもらっていた。
運よく、生徒会長が視聴覚部の部員だったので、彼が言葉巧みにビートルズ・ナンバーの良さをアピールしていた。
機が熟した頃、各学年から1クラスずつ選び、昼休みの校内放送に関する要望のアンケートを実施した。
結果はほとんどが、アンチ・クラシック、ポピュラーやフォーク、ロック大歓迎だった。
それを携えて、生徒会長と視聴覚部長が、一番の理解者の教師を伴って、校長に直談判を行なった。
校長も先輩たちの熱意にほだされたのか、とりあえずビートルズのうるさくない曲に限り、クラシックの合間に流すことを許可した。
これがローリング・ストーンズやハードロック系だったら、一発レッドカードだったかもね。
その記念すべき日に、最初に流したのが『イエスタデイ』と『アンド・アイ・ラブ・ハー』、『ミッシェル』だった。
先輩たちは、これは革命だ、歴史的快挙だと大袈裟なほど喜んでいた。
私が2年の終わり頃になると、クラシックは駆逐され、ハードロックはともかく、なし崩し的にビートルズ以外の曲も流せるようになった。
その余勢を駆って、ギター同好会でも、ビートルズ・ナンバーをクラシックギター用合奏曲にアレンジして弾くようになり、文化祭や月例コンサートで披露した。
もちろん、インストで歌はナシだったけどね。
顧問の音楽教師も文化祭では、ピアノで『レット・イット・ビー』と『ロング・アンド・ワインディング・ロード』の伴奏をしてくれた。
3年になると、ギター同好会のクラブ活動には、時としてフォークギター持参の部外者も集まり、当時流行りの和製フォークの大合唱会になったものだ。
言うなれば、ビートルズが、田舎の高校の音楽シーンを変えるきっかけになったんだよね。
ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
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