★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ヘッドハンティング 2

2012年02月27日 18時05分55秒 | 小説「ヘッドハンティング」
 カタログ通販会社、万葉社は、職場に勤める女性を対象とした、頒布会形式の事業が当たり、創立二十年目にして資本金40億、年商300億で大証二部上場を果たした。その後、新規展開したカタログ事業が、時流に乗ったこともあり、瞬く間に大証一部、東証一部とランクアップして、バブル経済絶頂期には、資本金100億、年商1500億の、通販業界では押しも押されぬ最大手企業に成長した。
 
 会社の成長にともなって、社内には訪販事業部とカタログ事業部の確執に端を発した、お定まりの派閥抗争が渦巻き始めた。
 会社の母体であった訪販事業部の低迷と明暗を分けるかのような、カタログ事業部の飛躍的売上げの伸びと、それにともなう社内での発言力の拡大は、訪販事業部の生え抜きの幹部社員にとっては少なからざる脅威となっていった。

 カタログ事業部発足当時は、歯牙にもかけていなかった真田たち中途入社の社員が、訪販事業部の昇進のスピードを上回る勢いで、主任、係長とランクアップしていくと、訪販事業部は、本社や全国の営業拠点から主任、係長クラスをカタログ事業部へ異動させて勢力の均衡をはかった。
 歴史の浅いカタログ事業部内には特定の派閥などなかったので、業務部、物流部、制作部などが次々に訪販事業部系の派閥の軍門に下って行く中、企画部と商品部の牙城は、中途入社でカタログ外人部隊と呼ばれる、真田たち係長クラスの統率力によって、揺るぎないものに思われた。
 
 しかし、その牙城を内部の腐食がもとで明け渡すことになろうとは、真田たちには思いもよらぬことであった。
 カタログ事業部内でも、特に1200億を売り上げる商品部は、花の商品部と言われ、カタログ掲載商品の決定権、および仕入権を持つ商品部のMDは、社内各部署の憧れの職種であった。

 売上げのもとになる多大な仕入金額は、バブル崩壊後の不況下においては、取引先にとっては大きな魅力であった。取引きの拡大を狙う取引先の、商品部のMDやその上司に対する接待攻勢がまことしやかに噂されだした。中元、歳暮に始まり、食事や酒席の設定、ゴルフや出張旅行の招待、はては女の世話や金銭の授受……。
 社会通念に照らして必要と認められる程度の接待は、日本においては商取引を円滑に進める潤滑油と真田は考える。受ける接待の程度を判断するのは個人の良識である。真田にしてみれば、食事や酒席は可、ゴルフや出張旅行は役職によっては可、女と金は禁断の果実、絶対に不可である。

 接待は、受けた側が黙っていても、取引先の業界の中では公然の噂になる。
 A社を担当するMDが受けた接待は、A社から同業社のB社の耳に入り、B社担当のMDの知るところとなる。食事や酒席ならそう問題はないが、女や金となると問題である。残念なことに、カタログ事業部の中にも、禁断の果実に手を出したと噂される者が少なからず出てきた。
 訪販事業部系の派閥がその噂に飛びつき、興信所まで使った調査が行なわれ、その結果ブラックがあぶりだされた。その中には課長クラスの実力者も含まれていた。
 
 訪販事業部主導の粛正人事では、ブラックやグレーの社員はもとより、接待疑獄に関係のない真田をはじめ、真田と前後して中途入社した、大原和之、梶尾康平らもその対象となっていた。粛正人事に名を借りた、カタログにおける外人部隊外しは明らかだった。

 真田たちの異動を、結局は承認せざるを得なかった直属の部長連中にしても、55歳の定年まであと何年もなく、我が身の保身を考えれば、今回の人事に表立って、異論を唱えることはできなかったに違いない。
 中途採用ではあるが、カタログ事業の黎明期から十年余の間、MD業務に携わってきた真田には少なからず、カタログ事業の屋台骨を支えてきたという自負心があった。
 その自負心を見事なまでに打ち砕く、社内の骨董屋、考古学部などの異名を持つ社史編纂室への異動は、怒りを通り越して、まるで喜劇映画を観ているような気分だった。
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