湯檜曽駅で電車を下りて、南に向かいました。
林間学校では宿の前に川があって、橋を渡って、キャンプファイヤーをしたのでした。
道を川の方に向かって下っていくと橋があって、渡りました。
しかし、記憶にあった浅瀬ではありません。
さらに歩いて行くと小学校があって、脇の道に入れば川の方に行けそうです。
川に近づくとつり橋がありました。
つり橋を渡ると東京電力の施設らしきものがありました。
川沿いに歩いていけば、宿の向かい側に出れるのでは…と日陰に雪の残る林道を歩いて行きました。
しかし、行けども行けども、それらしい場所になりません。
こんなとき、行くか引き返すかで迷います。
スマホのマップで見ると、先の方に橋があるとわかりました。
橋まで行くのと戻るのと同じ距離くらいで、もしかしたら、その橋が思い出の橋かもしれないので、さらに歩いて行きました。
誰もいない林道を雪解け水が流れ、時に雪に靴がもぐりながら、ひたすら、歩きました。
ようやく、建物が見え始め、記憶と無関係な温泉宿がありました。
橋を探すと、下につり橋がありました。
やっぱり、探していた場所ではありません。
つり橋を渡り、引き返すことにしました。
また、ひたすら歩きました。
ガードレールに熊鈴として、オイル缶と木づちがありました。
冬眠から覚めた熊が山から下りてこないかなと思いながら、歩きました。
最初の橋を渡り、川のそばに近づき、切り株に腰掛け、一休みしました。
帰りの電車の来るまで、時間はまだたくさんあり、思い出の場所を探しに駅と反対方向へ歩いていきました。
その先にホテルがあるとスマホのマップに出ていたのでした。
歩いていくと、バス亭があり、水上駅へ行くことができることがわかりました。
さらに歩いて行くと、奥利根館という廃業したホテルがあり、そこも違うことがわかりました。
もう湯檜曽駅に引き返す元気もなく、そこのバス亭のベンチでバスを待ちました。
目の前にはデザインホテルらしき建物がありました。
この建物のせいで、奥利根館は廃業したのかなと思いながら、やってきたバスに乗りました。
バスには誰も乗っていませんでした。
思っていたより、水上駅は近く、運賃230円を払いました。
水上駅に出たおかげで、1本早い電車に乗れました。
高崎に出て、乗り換えて、グリーンに乗って帰りました。
高崎駅で買った焼豚弁当を食べて、缶ビールで青春18きっぷの旅の終わりをお祝いしました。
うちに、帰って、ネットで検索したら、思い出の宿は湯檜曽駅の北側にあったらしいことがわかりました。
そのうち、また行くことになるでしょうね。