ネットで検索したらレファレンス協同データベースに次の記事が見つかりました。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000252104
質問内容:東海道の熱田宮の渡し以西は七里の渡しの船路のはずだが、明治期には陸路の東海道があったとされる。明治の東海道が定められた経緯と位置を知りたい。
レファレンス協同データベースでは全国の図書館の参考調査の内容を見ることができます。
名古屋市舞鶴中央図書館が回答していて、それが七里の渡しの陸路を教えてくれました。
明治になると街道は馬車が走れるようにルートが変わっていきます。
何より明治天皇が全国に行けるように道を整備したということです。
中山道も碓氷峠に新しい道ができていましたっけ。
ということで、私はできるだけここに載っているルートで歩こうと決めました。
とはいっても、まだまだ先の話です。
それまでにルートがわかるツールを用意しようと思います。