見終わってみると、心にしみる回でした。
シンクロニシティーです。
なんでチュモンはこんなに悩むんだろう。
わざと雪や雨に5日も打たれて、倒れて、体調崩して、それでも休まないで、悩んで、悩んで。
そんなチュモンを救ったのはオイ、マリ、ヒョッポの3人。
3人の思いがチュモンの立ち直りのきっかけでした。
そこから、道が開けて、ソソノとも再会できて…。
見ていてすっとしました。
とことん悩んで、とことん落ち込んで、そこから、光が見えてきます。
でも、悩んでいるとき、落ち込んでいるときは、つらいですねー。
光なんてちっとも見えないもん。
いきなり、ユ・ウィテ先生、病気になって、顔色悪くなりました。
伝染病も出てきて、医者にとって治せない病気もあることを実感するホジュンでした。
秘密が秘密でなくなると、ドラマは急速に収束していきます。
インチョルの罪はドラマのメインテーマではなくなりました。
インチョルの母「会いたければ、待ちなさい。待ち続けて、今日も会えなかったとがっかりしなさい。毎日、毎日、がっかりしていると、だんだん、忘れていくようになるわ」
ヨンジャ「会いたいと思ったら、『会いたい、会いたい』って言いなさい。『会いたい、会いたい』と言いながら、洗濯したり、掃除したり、ごはんを作ったりしているうちに一日は過ぎていくわ」
いつも、思うのは、生き方の答えはどこにでもあるっていうこと。
ただ、気づかないだけ。
願わくば、こころを開いて、答えに気づきたい。
デジカメになった今、写真を撮るとパソコンに落とし込みでおしまいになります。
つい、この間までフィルムを買って、現像に出していたのがうそみたいです。
部屋掃除をすると、現像所の袋に入れたままの写真が、いっぱい残っていました。
そこで写真整理することにしました。
アルバムも変わりました。
以前はフエルアルバムを使っていたのが、いっぱいファイルできる差し込み式のアルバムになりました。
古い写真はフエルアルバムに貼りたいので、ツギビスをホームセンターで買ってきました。
写真を貼っていないページを使って、もとのアルバムに継ぎ足しました。
写真は時間がたって整理すると、ネガフィルムもなくなって、写真の順番がわからなくなります。
どこの写真がわからないのもあります。
行った覚えのない場所にいる自分の写真を見ると不思議な感じがします。
あそこに行ったのは二度目だったのか、ということもあります。
前に記憶を共有する人を失う悲しみについて、書きましたけれど、写真って記憶の証明書なんですよね。
あらためて、記憶を確認できて、ちょっとだけ、気分がすっきりしました。
3ページに眉村卓さんのインタビューが載っていました。
『人が亡くなるということは、その人の中にある自分が消えるということ。
例えば、子どものときの経験を人に話すでしょ。
そのとき、おやじがいれば「そうやったなあ、あのときお前は……」と言ってくれた。
でも今はいない。
証明してくれる人がどんどんいなくなるんです。
証人になってくれる人ってありがたいですよね。
そういう人がいてくれたときは、いることが当たり前だった。
だから、プラスがゼロになったというより、ゼロがマイナスになった感じ。
亡くなって「あっ」と思うわけ。』
人の記憶に生きている私の一部がその人と一緒に消えてなくなるのはとても悲しいです。
でも、もっと悲しいのは、私もいなくなって、私の記憶だけに生きている人たちが、まったく消えてしまうこと。
だから、一緒に生きている人を大事にしてください。
あなた自身を大事にしてください。
チュモンも苦しくてつらい時が続きます。
なんか、人は苦しむために生きているのかなーなんて思ってしまいます。
もう、なんにもしたくない感じ。
そんなときは、もしかして体調を崩しているのかもしれません。
しかし、一歩を踏み出さないといけないこともわかっています。
おいしいものでも食べて元気つけましょう!
(ほとんど自分へのメッセージでした)