理系の大学生、カエルの解剖実験のあと。
手に残るカエルの匂いに悩む友人宛に…。
料理人って、魚をたくさん殺しちゃうかもしれないけど、
お客が「美味しい」っていう幸せの為に包丁にぎってる。
その人が殺すことにブルーになって厨房に立っていたら…
お客は、喉つまるね。
料理人が何の為に行ったかが成果に反映すると思う。
あなたにも ~の為がある。その為に研究する。
知り合いに看護婦がいるけど、死に慣れないといけない職業らしい。
慣れるというのは無感動ってことではなくて、うまく言えないけど、
気持ちの中に余裕のある空間を別につくることなのかなと思う。
ナースは死を悲しむのではなく毅然とすることで、亡くなった方の家族の気持ちを思いやれるんだろうね。
自分が泣き崩れてしまったら家族も他の患者も死への恐怖でいっぱいになっちゃうもんねきっと。
だから慣れることで進化しなくちゃいけないのかな。
その実験であなたが何を感じるかが問題なんだと思う。
書家・相田みつをの作品に 自分の番 いのちのバトン という詩がある。
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと
十代前で千二十四人
二十代前では―――?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いま ここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それが わたしの
いのちです
この詩をみた時、私の命の重さとそんなつながりの中に在る私は一人じゃないって思った。
命は一つでは生まれないのね。
俳優の豊川悦司は自分の子を抱いた時、自分はこの子の為に生まれてきたんだって思ったらしい。
つながってるんだね命って…重いはずだね。
でも、命って重いだけじゃないの。
画家・星野富弘の詩。
いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが 苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった
この詩を見た時、楽になった。
死への恐怖から解放されるような 命の重みから解放されるような
気持ちが軽くなる嬉しさを感じた。
私にとって命って…はっきりとした答えはでないけど、この二つの詩に強烈に命を感じる。
私が言葉に出会って命を考えたように
あなたはカエルの消えない匂いから命を考えたんだね。
カエルの死との対面に研究以外のものを、生きているあなたは感じることができたんだね。
私なんてカエルの肉の唐揚げ食べたことあるくらいだったから…
私たちは地球生態系の中で生きている。
この循環の中で私は生きる力を得、
あなたは学び、発見する。すると、救えるかもしれない。見つかるかもしれない。
生は何かにつながっていく。
いのち 大切にしないとね。
初代携帯に残るこのロングメール、あの頃、とにかく私はあなたを励ましたかったんだな…と思う。