山を歩いても、寺を訪ねても、花や木の名前がわからない。
花を「はな」としか呼べず、木は、この木何の木、気になる気になる…ままとなる。
小説では主人公の目前にひろがる野に咲く草花が細かく描写されているのだが、
うまくその風景を想像することができない。
小説を読むのに、片手に野山の草花図鑑まで用意しなければならないのか…
朝起きて、水の温度で季節を感じるも、すぐに適温の湯に変わる。
ドアをあけると、陽の光や風の温度で季節を感じるも、目的地に着けばすぐ適温に守られる。
汗をかかない。
夏場、冷房対策の為、長袖着用。
冬場、服を買いに行けば、ノースリーブものが多い。
夏場でさえ、いまだかつてキャミソールだけで街を歩く勇気のない私…
長袖、訪ねて三千里である。
省エネ計画を立てるも、エアコンなしでは暑くも寒くも怒りっぽくなっていけない。
季節を感じるまで我慢できない。
旬の野菜?春の七草?答えられない。
私は毎日どんな景色を見てきたのだろう…。
通勤電車やデパート、箱の中の人や売り場の様子に季節を感じ、
夜になるとイルミネーションである。
移動中待機中、どんどん風景は小さくなり、最近では、携帯の画面サイズになっている。
電車の中、ふと顔をあげると、みんな携帯片手に下向きに座っていた。
手の中で携帯が震え、私も再び下を向く。