12月に入って訃報が立て続けに届いた。
それはあまりにも突然で、
思い出したように死を意識し、その恐怖を前にあわただしく忘れていこうとした時、
残された彼女から連絡が入った。家から一歩も出られないと。
共に二人のことは知っていたが、彼の彼女とは知らなかった。
彼女の家に向かう途中、突如愛する人をなくした彼女のかなしみを想像してみたが、
私には想像できなかった。
どう励ましてよいのかもわからぬまま、彼女の家のベルを押した。
将来を誓い合った矢先の事故…
扉をあけると、部屋にはお酒と煙草の香りが停滞していた。
私は再び彼の死と向き合った。
この現実を前に彼女にかける私の言葉のうすっぺらさに
落ち込みながら、非力に彼女を抱く。
どうして彼が死ななければならなかったの?
その問いの前に、私は言葉を失った。
失った言葉をずっと探していたが、
人が何の為に死ぬのかなんてわからない…
けれど、人が何の為に生きるかは探すことができる。
数日後、彼女から短いメールが届いた。
おにぎりと卵焼き、おいしかった。ありがとう。
彼女は生きている!
どうか次のあたたかく晴れた日には外に出て、日の光を浴び、深呼吸して下さい。
空を見上げて下さい。
どう生きていくのか? 時間がかかっても。
生きていきましょうね。
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