先の話で、
なんらかの成果をあげることで報酬を得ているわけですから、
ひとつの「できた」に対して大絶賛の評価をいただけることは少ないかと存じます。
すると褒められるから、できて当たり前への変換も
社会人としての洗礼のひとつではないかと思います。 とは申しましたが、
認めて欲しいと思うのが人情、働く意義はお金の問題だけではなく、
自分に跳ね返ってくる何かを求めてしまうものではないでしょうか。
この何かが評価である場合、非常に難しい問題をはらみます。
評価を(一見)受けやすい目立つものと(一見)地味なものという業種の違いもあれば、
個々人の業務分担の差もあります。
業務を課内で質的にも量的にも公平に平等に分けることは難しいことと思いますから、
どうしても負荷のかかる方(や課)がでてきます。
自分ではあれもこれも抱えてのミスも、他者(他部署)からすればただのミス・・・
言い訳できない悔しさに涙を流した方もいるのではないでしょうか。
学生時代は努力すれば、努力した結果(数値)が公平に算出されますが、
社会人の評価には、そこに人の気持ちが加味されてします。
人を褒めるには、それが褒めるに値するものであるという知識と心の余裕が
必要かと存じます。「嫉視することのない理解」と申しましょうか。
業績という横糸だけではなく、そこに人間関係と縦糸が絡み合います。
他者からの評価は、それほどまでに複雑です。だからこそ、
ここで申し上げたいのは、他者の中に評価を求めすぎないで下さいということ。
まず、自己の中に達成感を抱く働き方、自分の業務の中にある楽しさを見出して下さい。
その方が簡単です。他者からの評価は後からその先についてくれば、ラッキーくらいに。
もちろん人を癒すのはやはり人の心、
存在への承認に対する偉大な効果は私自身も重々承知しております。
自分の立場をわかってくれるボス(や先輩)からねぎらいの言葉をいただいた時に
みなぎるやる気・・・
もしもあなたに部下がいるのであれば、時代の変化にあわせて、時には口に出して
褒めて(認めて)あげてください。
たった1人からのたった一言でいいのです。あなたの言葉にはパワーがあるのです。
役職の影響力は絶大です。コストのかからない課内潤滑油ですから、駆使しないと損かと存じます。
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