3月1日
前回の記事で載せたつもりが忘れていたようです。その時のサクラがこのような状態でした。
同じサクラを少し離れて写したのがこちらです。↓
3月5日
3月に入って 新聞、テレビではあれから今年8年になる・・・あれから、というのは東日本大震災のことです。
もうそんなになるのか。。と思っていたのですが、たまたま偶然CS放送で≪救命病棟24時 第3シリーズ≫が
放送されていて、とても胸に来るものがありました。地上波で放送されていたのは東日本大震災の起こる
だいぶ前だと思うのですが当時は私は観ていません。、最初は「えッ、私の小栗旬が出てたんや」と観ていました。
彼は父が町医者で兄は優秀な研修医、自分も医学生、しかし兄が優秀すぎて少し卑屈なところもあり 爪には黒いマニキュア、
金髪でハードロッカーの様相です。そんなときに 東京で直下型大地震が起き、兄の勤める高度救命医療センターは
病院も大被害を受け診療はとても無理だという状況に 江口洋介扮する進藤先生がてきぱきと指示をし 運ばれてくる
患者を受け入れそれこそ、戦場のような状況で終わりのない医療現場の様子に ぽか〰んとしていた小栗も少しずつ
何かを手伝おうとボランティアのリーダーとして動き出します・・・
10数年前のドラマですから 映像も確かにちゃちなところもありますがしかし地震での街や 病院内の様々な
医療器具が飛び散るシーンには こういうことなんだと地震の恐ろしさに驚きました。
この時は 阪神大震災の教訓から学んだことを踏まえたドラマだと作り手側の意図と 医療現場の過酷な状況を
知らしめるものだとおもうのですが、津波が起きる・・というシーンはありません。
ただ救命の優先順位 トリアージというものがあるということや 災害ボランティアに参加するということなど
日本では遅れていた分野を教えてくれています。ぽか〰んとしていた医学生小栗も 最終話では研修医となって
この高度救命センターに戻ってきます。その前には みんなが大都市東京の復興など無理だと思い始めたときに
進藤先生が神戸の新聞社から 阪神大震災直後の神戸の街の写真と、その同じ場所の十年後の写真を取り寄せ
壁に貼り、東京も復活・復興できると頑張るのです。医療関係者だけでなく 私のようなおばさんでも何か
できるのかな・・と思いました。
このドラマの数年あとに 東日本大震災と大津波に日本は襲われるわけです。
3月11日が近づき 関西のテレビ局でも毎日のように南海トラフの大地震と引き起こる大津波にどう対処するのか
各地の自治体に取材し放送しています。私の住む串本町でも 役場を高台に移転する計画があり、いまは町立病院と
消防署が高台に、そしてそこにつながるように高速道路の工事が始まっています。町内で高いところは潮岬とサンゴ台
しかし、それ以外の土地に住む町民は家の近くの少しでも高いところに避難するしかありません。
海に面しての防潮堤も 海岸全部を囲いきることはできず 土地のかさ上げなどもできません。
ある番組では町民の方が「津波が起きたら逃げなくてはいけないけど 高いところが無い。国も町も高いところに
移り住んでくれというけど、それはムリや。お金がある人は高台に土地を買って家を建てられるけど、な。
国や町が家を建ててくれたら移れるけど」と言っていました。まったく トルコトルコという前にもっとなんとか
することもあったと思うよね、と観ながら思ったのでした。東北の復興の様子も遅々として進まず、私たちが得た教訓は
逃げることだけ。東北は 原発の放射能の影響もあり 除染した土が山積みになりどうもこうもできず そりゃ被災地の
人からすれば 東京五輪は 復興五輪と言われても期待もできないだろう。どこか 忘れられているような気がする。
こうしてのんびり、こげとの散歩もいつ何時避難生活に変わるかもしれません。
ヤマザクラも満開に近く 夜になれば カジカ?か声の良いカエルが鳴いているし、この間は「テッペンカケタカ」とホトトギスが
鳴いていました。そういう風景が 日本のどこにもあるはず。そんなありふれた毎日の 過ぎていく時間をもっと大切にしていきたいと
思うのです。
東北のみならず 日本中にはヤマザクラや桜の花を楽しみにしている人がたくさんいて その昔からの風景が
大地震や自然災害で崩壊してしまうのは残念だけど そういうことを繰り返して今になっているし、
そこから学んでいかなければと思う。遠い先もこのサクラを見たいというより 自分もこげも高齢化になって来たから
そうだなぁ、とりあえずまた来年も見られたらいいね・・・