先週土曜日、ご近所さん達の新年会に私たち夫婦もよんでくれました。メンバーは昨年夏にも集まった方たちで、みなさん地区の幼馴染です。とはいえ、私たちは10歳以上年下で
普段顔なじみであっても親しく話すことはそうありませんが、おじいちゃんと親戚になる人もいるし場所もお隣の家なので喜んで参加しました。年末にも忘年会にと誘ってくれたけど
その時は、ちょうどおじいちゃんが家にいる日だったので出てはいけませんでしたが、今回はショートに行っていたのでよかった。
参加した中には 料理上手の奥さんがいるし魚屋さんをしていた人もいる、イカを釣ってきてくれる人もいてグレとイカのお造りに、おでんにお寿司、赤飯とサラダにアユや川エビの唐揚げ
サラダにもちろんアルコールも用意してくれています。私も下手ではあるもののエビと鶏肉の春巻きを作って持っていきましたが、やはり最後はカラオケという新年会になりました。
私たちにもいろいろと気を配ってくれて楽しく飲み食いをして、飲みすぎました。私は、そう顔に出ない、でもお酒は強くないんですぅと言っても赤くもならないから注がれるのを頑張って
飲みましたが、気分がとても楽しくなり音を外しながらも歌ったりもしたわけです。ただ、渡された楽曲カードには歌える歌が、少なすぎ前回歌った中島みゆきの≪あの娘≫でしたか、
それはなくて『マッサン』の主題歌をという声もありましたが、それも幸いなくて・・・というか、メンバーのなかにサントリーを退職されたかたがいて、その方の前で歌う勇気もありません
だからもちろんテーブルには プレミアムモルツや角瓶が並び、サントリーのお話も聞かせてもらったり楽しいひと時でしたが、はた目にも私が酔ってきたのがわかったのか、先に帰らせて
もらいました。もちろん家まで数十メートル。そのあとが記憶もボロボロ・・・。まずは吐きそうなのでトイレに向かい何度か戻して、そうそう指を口に入れて汚いない話ゲェゲェ。
出さないと気分が悪いのでやることはやらないとね・・と思いながら吐いていたら、トイレまでこげがついてきて心配なのか介助するかのように 顔をあげたらペロペロと汚い口元を
舐めてくれます。こっちは出さなきゃという一心だからこげがどうしようとこげにお礼を言う間もありません。ここまでな状態になったのは30数年ぶり。学生時代に合コンで酔って
合コン相手の学生に背負われて、当時一緒に下宿していた友達とホテルに泊まったことがありまして、いえ普通のホテルですよ、OS大阪だったかな。で、それ以来そこまで飲むのはやめようと
その時も顔に出ないからねぇ・・・反省したんですが・・・そんなことを思いだしながらも私はトイレの便座にもたれかかり吐いては水で流しを繰り返し、幾分落ち着いたときには
トイレ前の廊下に顔を横にしたらひんやりして気持ちよく その時もこげは起きろというのか顔を舐めていたけど「ねむいんだよ~こげ、ここで寝かせて・・・」と15分くらい眠って
いたようです。さすがに冷えてきたので立ち上がるとふらつくだろうなと思って、四つん這いで部屋に戻って布団を引っ張り出し着替えもせずにひたすら眠りました。でも頭は「まだ
全部出してないからな、このあとまた吐き気がくるな」と考えていました。おとうさんが帰宅したのも知らずに朝を迎えていました。おとうさんも撃沈したのかこたつで寝ています。
何度か同じようにトイレに行く音を聞いていたら、やってきました。最後の吐き気が・・・で、そこで胃液を出して凹さんはまた少し眠ったのでした。胃液を出すと楽になるのでという
思い込みかもしれないけど、後は少々のむかつきを胃腸薬で封じ込めたのでした。布団の中で「久しぶりなゲロだなぁ」と思っていたら「え~一年前やったやん!救急車のなかで!」
そう、ちょうど一年前おじいちゃんが脳出血で倒れて田辺の病院に救急車で運ばれ同乗した私は、救急車に酔ってしまってこともあろうに救急車の中で吐いたのでした。その日が土曜日。
そんなこと忘れていたのでした・・・・。ふだんはノンアルコール飲料の梅酒みたいなのを炭酸か氷で飲んでるのだから、ビールはやはりきつかったようです。次回はノンアルを持参して
行こうと思ったのでした。でも、楽しい場は好きです。みなさん優しいから感謝しています。でも酔ってたんでしょうね、≪思い出の九十九里浜≫を振付けていた記憶や、嫌いな松山千春
を歌ったり・・・。おとうさんは歌うのが苦手なので代わりに歌わないとしらけるし・・・。久々に酔うのもいいものだなと・・・いやいやまた同じことをするのだったら飲むのはやめなさい
ともう一人の凹さんが目くじらを立てて怒ってます。
普段顔なじみであっても親しく話すことはそうありませんが、おじいちゃんと親戚になる人もいるし場所もお隣の家なので喜んで参加しました。年末にも忘年会にと誘ってくれたけど
その時は、ちょうどおじいちゃんが家にいる日だったので出てはいけませんでしたが、今回はショートに行っていたのでよかった。
参加した中には 料理上手の奥さんがいるし魚屋さんをしていた人もいる、イカを釣ってきてくれる人もいてグレとイカのお造りに、おでんにお寿司、赤飯とサラダにアユや川エビの唐揚げ
サラダにもちろんアルコールも用意してくれています。私も下手ではあるもののエビと鶏肉の春巻きを作って持っていきましたが、やはり最後はカラオケという新年会になりました。
私たちにもいろいろと気を配ってくれて楽しく飲み食いをして、飲みすぎました。私は、そう顔に出ない、でもお酒は強くないんですぅと言っても赤くもならないから注がれるのを頑張って
飲みましたが、気分がとても楽しくなり音を外しながらも歌ったりもしたわけです。ただ、渡された楽曲カードには歌える歌が、少なすぎ前回歌った中島みゆきの≪あの娘≫でしたか、
それはなくて『マッサン』の主題歌をという声もありましたが、それも幸いなくて・・・というか、メンバーのなかにサントリーを退職されたかたがいて、その方の前で歌う勇気もありません
だからもちろんテーブルには プレミアムモルツや角瓶が並び、サントリーのお話も聞かせてもらったり楽しいひと時でしたが、はた目にも私が酔ってきたのがわかったのか、先に帰らせて
もらいました。もちろん家まで数十メートル。そのあとが記憶もボロボロ・・・。まずは吐きそうなのでトイレに向かい何度か戻して、そうそう指を口に入れて汚いない話ゲェゲェ。
出さないと気分が悪いのでやることはやらないとね・・と思いながら吐いていたら、トイレまでこげがついてきて心配なのか介助するかのように 顔をあげたらペロペロと汚い口元を
舐めてくれます。こっちは出さなきゃという一心だからこげがどうしようとこげにお礼を言う間もありません。ここまでな状態になったのは30数年ぶり。学生時代に合コンで酔って
合コン相手の学生に背負われて、当時一緒に下宿していた友達とホテルに泊まったことがありまして、いえ普通のホテルですよ、OS大阪だったかな。で、それ以来そこまで飲むのはやめようと
その時も顔に出ないからねぇ・・・反省したんですが・・・そんなことを思いだしながらも私はトイレの便座にもたれかかり吐いては水で流しを繰り返し、幾分落ち着いたときには
トイレ前の廊下に顔を横にしたらひんやりして気持ちよく その時もこげは起きろというのか顔を舐めていたけど「ねむいんだよ~こげ、ここで寝かせて・・・」と15分くらい眠って
いたようです。さすがに冷えてきたので立ち上がるとふらつくだろうなと思って、四つん這いで部屋に戻って布団を引っ張り出し着替えもせずにひたすら眠りました。でも頭は「まだ
全部出してないからな、このあとまた吐き気がくるな」と考えていました。おとうさんが帰宅したのも知らずに朝を迎えていました。おとうさんも撃沈したのかこたつで寝ています。
何度か同じようにトイレに行く音を聞いていたら、やってきました。最後の吐き気が・・・で、そこで胃液を出して凹さんはまた少し眠ったのでした。胃液を出すと楽になるのでという
思い込みかもしれないけど、後は少々のむかつきを胃腸薬で封じ込めたのでした。布団の中で「久しぶりなゲロだなぁ」と思っていたら「え~一年前やったやん!救急車のなかで!」
そう、ちょうど一年前おじいちゃんが脳出血で倒れて田辺の病院に救急車で運ばれ同乗した私は、救急車に酔ってしまってこともあろうに救急車の中で吐いたのでした。その日が土曜日。
そんなこと忘れていたのでした・・・・。ふだんはノンアルコール飲料の梅酒みたいなのを炭酸か氷で飲んでるのだから、ビールはやはりきつかったようです。次回はノンアルを持参して
行こうと思ったのでした。でも、楽しい場は好きです。みなさん優しいから感謝しています。でも酔ってたんでしょうね、≪思い出の九十九里浜≫を振付けていた記憶や、嫌いな松山千春
を歌ったり・・・。おとうさんは歌うのが苦手なので代わりに歌わないとしらけるし・・・。久々に酔うのもいいものだなと・・・いやいやまた同じことをするのだったら飲むのはやめなさい
ともう一人の凹さんが目くじらを立てて怒ってます。
>嫌いな松山千春を歌ったり・・・。
僕は彼の曲は「恋」が好きで、たまにカラオケで歌います。もちろんキーを下げますが・・・(^^;
>天空マラソン
画像を見ました。絶景です!一度走って見たいなあ。
>タヌキのケンカ声が家の周りから聞こえるほどの田舎です。
すごい・・・。
こんな時にいいのかな・・と思い、少し自己嫌悪に陥りました。でも、気持ちのどこかにスッキリした自分もいて、難しいですね。この一年のありとあらゆる鬱憤が少し、ガス抜きできたのかもしれません。
松山千春は そう売れ出した頃が1978~1982,3年頃が良かったと思います。キーは高いけど、♪ぎんの雨が降るぅ~歌えるように練習しましょう。
それでいいと思います。
>♪ぎんの雨が降るぅ~歌えるように練習しましょう。
「銀の雨」もいい曲ですね。シングルのB面ですが、人気があります。
ところで「銀の雨」「旅立ち」「恋」・・・etc.
男性が女性の側になって書いた詩。女性から見てどうなんでしょうか?「違う!女はこんなものじゃない!」と思いますか?
そして僕がいつも思うのは中島みゆき「悪女」。あれは男性には書けない詩だと思いますよ。
中島みゆきも最近の歌い方は、媚びるような歌い方に聞こえ、昔のようにストレートに訴えてこないように感じ・・・ます。あくまでもワタクシ的意見です。昔の、私も若かったころの歌のほうが好きですね。
>女子の心理、というか心境に近いところはあるなぁと昔から思っています
なるほど。「違う!」と思ったら、そうでもないんですね。
>男性で女性側を歌う作詞は、誰か女性に心境とか聞くんでしょうか?
もしかして、聞いているかも知れませんね。
僕が大好きなのは、岩崎宏美の「未来」。阿久悠が作詞。曲も詩も素晴らしいです。youtubeで聞けます。
>女性が男性側を歌う作詞は、どうなんだろう思いつきません。
山本達彦「Lonely Journey」。作詞は来生えつこ。女性が書いた詩ですが、男心をうまく表現しています。
>中島みゆきも最近の歌い方は、媚びるような歌い方に聞こえ
「昔の方が吟遊詩人っぽくていい」と職場の上司が言ってました。
岩崎宏美は昔から歌唱力ありすぎ!な女の子でしたね、顔だちはごく普通だけど剣道をやっていたせいか腕が太かった。≪思秋期≫(この字だったか?)、に涙した記憶があります。
上司さんって私くらいの年齢か上のかたでしょうね。吟遊詩人っぽくて・・・なるほど、そうかもしれない。
そう思いますね!
>顔だちはごく普通だけど剣道をやっていたせいか腕が太かった。
そしていかにも気が強そうな感じです。
>≪思秋期≫
メロディも歌詞も悲しいです。僕は「センチメンタル」「未来」みたいな明るい曲が好きです。
>上司さんって私くらいの年齢か上のかたでしょうね。
実は3年前に定年退職を迎えた方で現在63歳です。すごく博学で知的な方です。
>歌は、不思議ですね。50年も生きてきたら会ったこともない歌手が歌う歌に、気持ちが浄化されている・・・
僕にとっては「花子とアン」の主題歌がまさにそうです。
さて休日出勤。行って来ます!
気持ちに鼻歌を交えながら、無事にお仕事を終えたことを信じます。
まさに♪青春はこわれもの・・・自分が傷つきそして相手も傷つき、あぁこういうことを体験しなければ成長できないなんて、人間って複雑ね。
今、「自分のテーマ曲ってなんだろう」と考えました。自分を鼓舞する歌、涙に浸る歌・・・甲斐バンドの≪HERO≫の歌詞に
♪太陽が燃え尽き 月が砕け散っても~という歌詞がありました。太陽が燃え尽きる、月が砕け散る・・・想像の翼を広げてみたら ありえない様子が当時から衝撃的で、そんなふうに感受性豊かな人間になりたいと思ったんですが、ダメですね・・・、あ、テーマ曲ってことにもあてはまらないのかなぁ