話のずれ

2007年06月15日 | Weblog

 たけ47さんが、おいしいチーズを東京でゲットしたというので、私も奥さんに頼んでデパートを見てもらいました。ありました。私もゲットしました。
 
http://blog.livedoor.jp/potatojaga/ をごらんください。

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 先日、親類の人が来ていろいろ話をしていきました。その人は専業の農家の人です。私がニンニクを作っているという話をすると、ちょっと意外な顔をして、それは難しいので、農家では普通は作らないと言います。私は作れば出来るので、出来ますよと言いました。

 このへんの農家はたいていは米が主体です。野菜の農家もありますが、ニンジン、ニラ、カボチャ、などなどで、ニンニクのようなものは特殊なので、作っていません。


 あとで考えたら、その親類の人の言いたいことと、私が言っていることにズレがあったのではないかと気づきました。私の場合は、どんなものでも食べられるようなものができれば、出来たとするわけです。

 それに対して、彼の場合は商品価値がなければ、出来たことにはならないということでしょう。立場の違いで話がちぐはぐになっていたことを、双方ともその時にはそのズレに気づきませんでした。そういうことが世の中にはいろいろとあるんでしょうね。


               ~

  

 かなり大きな白菜ですが、もうそろそろ終わりです。外の葉をどんどん取り払っても、かたくなってきました。まだあと少しの間は食べられそうですが、そのあとは鶏にやるほかありません。鶏はよろこびますよ。雄鳥などは鳴き声が変わります。雌たちに おいしいものが来たぞ~ と知らせているんです。最初は自分からは食べません。私ならいち早く食べてしまうでしょうね。だから女性にもてないんですね。知っていてもそれができない。  どうして白菜がそう話になるんでしょう。


  

 ジャガイモの葉っぱが急に枯れ始めました。だんだん掘る日が近づいてきています。楽しみです。枯れておいしくなる。人間もそうですね。年を取ってきて味わいがでる。いいですね。例外があります。それは私。まだ少年の気分ですから。体は枯れても気持ちは若い。言い直し。体は枯れても気持ちは幼い。だから女性にもてなかったんですね。・・・・・ どうしてじゃがいもの話がこうなるのでしょうか。

 雑草が写っていますが、いくら取っても出てきます。夏は地べたをはい回るようにして雑草取りです。まるで蟻です。雑草取り、つまり草むしりの時間は哲学の時間です。藤原紀香が結婚したとか、宇都宮餃子をまた食べに行こうとか、納豆は粘るから粘菌なのだろうかとか、粘菌と年金の関係は? とか、三時のおやつは文明堂の歌を繰り返し歌ってみたりとかです。かなりレベルが高いでしょう?



  

 スナップエンドウもそろそろ終わりでしょうか。サヤが固くなってきました。それでも食べてみればまだまだ食べられそうです。この豆は甘みがあって何にしても美味しいですね。


      


小麦とカボチャ

2007年06月14日 | Weblog


 トラックバックにエッチなサイトが掲載されるようになったので、トラックバックの機能は閉鎖しています。しかし、こんどはコメントに掲載するようになってきました。

 それで、しばらくの間は [事前承認をする] という機能を使うことにしました。皆さんにご不便をおかけすると思いますがよろしくお願いします。この機能が働いている場合には、コメントを受け付けますが、すぐには公開されません。管理者の私が見て、だいじょうぶだと思うものだけ公開できるようになります。

 したがって、公開までの時間がかかるようになってしまいます。せっかくコメントを書いていただくのに、すぐに見られない読めない思いをさせてしまうのは心苦しいのですが、なるべく早く公開するように努力します。

 人間というものは、本当にどうしようもないところがありますね。どうしてこうなのかと思いますよ。便利な機能を逆手にとってウィルスをまき散らしたりする人がいたりするしね。

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 さて、暑くなりました。6月半ばですからね。当たり前と言えば、その通りです。でも、今のところは来る日もくる日も雨という梅雨の状態ではないです。助かるといえば助かるのですが、どうやらダムの水が足りなくなってきたとか。

 季節はめぐり、人の動きがあって、今いた人が遠くに行ってしまったり、新しく楽しそうな人を迎えることができたり、それを繰り返しながら年を取っていくんですね。フォークソングには、たとえば 「 岬巡り( この漢字でよいのでしょうか )」 のような、あなたはいないけれと、約束したように岬巡りをしているよというような、過ぎ去った思い出を爽やかに歌うというものが多かったような気がします。

 人生五十年と昔は言っていましたが、今はものすごく平均寿命が延びていますね。でも、誰もが健康で長寿という訳にはいきませんからねと言われたことがあります。だいたいはベッドの中ですね。

 いつか言ったかも知れませんが、聖書には人生七十年と書いてありますね。聖書の場合は、日本人が人生のスパンを考えるものとは、微妙なところでずれがあるのかも知れません。そのところは聖書に詳しい方にでも聞かなければ分かりませんね。

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 小麦です。ずいぶん茶色になったように見えますが、まだ青いものが混じっています。もう少しですね。もう私の地域では刈った人もいるようです。

 ネットで覆ってあるので、鳥の被害はゼロです。近所で少し造った人がいますが、穂の部分が全部たべられ棒のようになっているそうです。

 手間がたいへんですから、今年は大幅減反です。手間と言ってもたかが知れていますけど、ぜんぶ機械を使わずに手仕事なのでたいへんです。

 種として少し残し、あとは粉にして天ぷら粉にでもしようと思っています。うどんにするとつながらないそうです。米なら大吟醸のように本当の芯に近い辺りしか使わないというようにしないと、うどんにならないんでしょうか。それとも品質の問題かな。すいとんくらいなら出来ますかね。


  

 そろそろ食べられるでしょうか。味の方はまだわかりませんが、とにかく出来ています。わりあい楽に作れるものですね。最初はまだ寒かったので、トンネルにしておきました。追肥も考えたのですが、おかしなことをすると実が落ちるといけないかなと思って、何もしませんでした。

 どういうものでしょうか。中途で、鶏糞のようなものとか、あるいは液肥とかの栄養の補給が必要なのでしょうか。そのあたりが初心者なので分かりません。

 とにかく、形になりましたので、とても嬉しいです。こうなると、やり甲斐があるというものです。


    

             


   

 カンパニュラというのは、「 小さな鐘 」 という意味なんだそうです。ラ・カンパネラという曲がありますが、やはり 「 鐘 」 という意味だとか。

 


新ジャガたべたけど

2007年06月13日 | Weblog


     やれうつな 蠅が手をすり 足をする

の季節になりましたね。蠅はつい数年前までは、近所に豚を飼っている人がいましたので、そこからたくさん飛んできました。少し困ってはいましたが、生業(なりわい)さまざまですから文句は言ったことがありませんでした。

 今は旧式のやり方では許可が下りませんので、採算が合わないということでほとんどやめてしまいましたので、蠅はあまりいません。要するに正式には何と言うのかわかりませんが、一種の合併槽にしなければならないんでしょうね。

 蠅が手をすったり足をすったりして、拝んでいるかの様子は、今の子供には蠅などあまり見たことがほとんどないとおもいますから、よく分からないでしょうか。蠅はいても、観察するなんてことはどうですかね。

     やれ打つな 飲むな買うなと 手をこすり   


                                     


 江戸の大旦那。どら息子をかかえている親の苦労。たのむから遊びはいいかげんにして商売に身を入れてくれよー と言いたいんでしょうね。杉浦日奈子さんの世界ですなー。 




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 アブラナの末期です。からからに枯れて、実がはじける寸前ですね。ポリバケツを持っていって、その上でこれをクシャクシャにもんでやると、サヤと種がバケツの中に落ちますから、あとでサヤを除いて実を取ります。

 あちこちたくさんあるので全部は取りません。もうやっていられないですよ。いつまでも茶色に目立つので、そのうちに草刈り機で全部刈り取って粉砕してしまおうと思っています。多少は鶏の餌にして、あとは来年用の種にします。

 こういうのは、ぜんぶが草むらの中にあります。畑のものはすべてトラクターでうないこんで緑肥にしてしまいました。


  

 じゃがいもを試しに掘ってみました。さっそく食べましたが、おいしいことはおいしいのですが、今一歩のおいしさがまだ足りませんでした。本当のうまみや、ほくほく感はまだまだです。

 じゃがいもを出荷しているある方が教えてくれたのですが、地上の苗の部分がまだあるうちは掘らない方がよいとか。それが全部茶色になって、壊れてきてからが良いのだそうです。そうすると上にある養分が芋に下がっていって旨みが増すのだそうです。

 とすると、このあたりでは梅雨も半ば過ぎになる頃かなと思っています。今はじっと我慢の時期ですね。



  

  



    短所でひきたつ人もいれば長所で見劣りする人もいる

なるほど。良いことをいうもんですね。



               お知らせ

    いかがわしいコメントが投稿されるようになりましたので、
   
[事前承認をする]に設定をしました。悪しからずご了承ください。




ほととぎすとピンぼけ写真

2007年06月12日 | Weblog


 ほととぎす がよく鳴いています。スズメ や ウグイス とか コジュケイ や キジ のように、ここに一緒に暮らしているわけではないので、そらを飛んでいる時だけ聞こえます。この声が昔の人にとって特別なものであったらしいのですが、どうしてなのか私には分かりません。昔は郭公と書いてホトトギスと読んだらしいので、まぎらわしいです。この場合には、あのカッコーとなくカッコウらしいのです。

 郭公をよめる。と言って

 心をぞつくし果てつるほととぎすほのめく宵のむら雨(さめ)の空

と詠んでいる人がいます。この場合は郭公は ほととぎす と読むんでしょうね。


 よく、「 同じ穴のムジナ 」 なんて言いますが、ムジナという動物は生物学上はいないそうです。タヌキとかキツネあたりを言っていたとか。狢 という漢字までありますからね。ムジナはどちらかというと妖怪に近い存在だったのかも知れませんね。

 今もさかんに鳴いて空を飛んでいますよ。マイクを向けてみますか。なんて言っても、そんなものは無い。マイ句でもどうぞ。

   ほととぎす ああほととぎす ほととぎす

   明け空に なにをせわしか ほととぎす

   明け空に いとし恋しと ほととぎす

   ほととぎす 鳴きつる方(かた)をながむれば
             すずめチュンチュン烏カーカー



 相変わらず下手くそですねー。


               


  

 ミツバを食い尽くすニンジン虫です。これがあのきれいな揚羽になるとは、、、。これがまあ 元のすがたか あげはちょう 。 冒頭からこういう写真ですので、少しぼかしました。というのはウソで、ぼけちゃったんです。オートフォーカスのデジカメの欠点ですね。向こうの地面にピントが合ってしまいました。

 まあ、グロテスクな虫と思うお方もいるでしょうから、ぼけた方がいいでしょう。カメラのせいにするのは楽ですね。私がナスの近くに行くとボケナスです。どうしてボケキュウリと言わないんだろう。どうしてボケカボチャと言わないんだろう。ああ、もうどうなっちゃってんだろう。


  

 見てみれば 今年も豊作間違いないらし ブラックベリー。なんか、和歌のような狂歌のような口調になりました。花もあり 実もある人生 ブラックベリー 。これは狂句っぽいですね。 何か、これもボケているかな? シャッターぶれかも知れません。これ私のせい。


  

 写真撮り こいつはどうだと ブルーベリー。これも狂句っぽい。ポイというのですから、狂句まではレベルが達していないということです。

 これは近くの葉っぱあたりにピントがあっているみたいな、、、。とにかく、これくらいの実になっています。まだブルーなはくグリーンです。今のところはグリーンベリー。私のカメラの腕はベリーベリーバッド。日本語便利ネ。




    


    





  

        


 


刻んで食べればみなおなじ

2007年06月11日 | Weblog

 私などは写真でごまかしてしまうのですが、文字だけでブログをがんばっている方もいますから、すごいと思います。しま姉さんはアクセスしてみると文字だけです。わーっと思って、やーめたなんて気分になっちゃうかもしれませんが、その日そのひのエピソードを女性らしく写真に頼らずに書きつづっています。実力派。脱帽ですね。

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 今日も地球の上に朝がきました。今は降っていません。曇天なのですが、雲がやや薄いのか、爽やかな感じがします。朝食は終わってるんですが、コーヒーが飲みたいな。奥さんは出勤で忙しいから、口が裂けても言えませんね。がまん出来なくて言っちゃうから、口裂けじいさんですね。私自身はまだ青年の気分ですが、孫がいるからじいさんであることは否めない。口酒なんて人もいるでしょう。

 口裂けじいさんはすぐにしゃべっちゃって正直なので、掘ってみたら大判小判がザックザックで、口酒じいさんは、掘ってみたところ500円玉がザックザックと出てきましたとさ。は私が考えた現代の童話。私なら、がらくたばかり出てきたなんて、無粋な話しになんぞしません。

 ワンカップは500円では買えないですか? 猫がみたら食べられるのかななんて、いちおう鼻先をくっつけてみたりして。猫に500円玉。

 何をでたらめなことを朝から出任せに言っているのか。内閣が悪いのです。とは言いませんが、年金問題はこりゃ大変ですねー。と、話題がコロコロと変わるのは子供と同じで次からつぎへと移って行くんですよ。それを楽しむこのごろでもあります。おかげさまで、毎日はたのしいですね。


       


 でも、ときどき野良仕事の手を休めて、周りのみどりを見渡してみると、無性にさびしいですねー。  草木は黙ったままですからね。語りかけてこない。彼らがしゃべらなくなったのは、天の神様が下りてきて、しゃべるなと言ってからだそうです。そんなことが何かに書いてありました。

 もくもくと、ひとりであっちに行ったりこっちに来たりして仕事をしていて、ハッと気が付くと誰もしゃべっていない。スズメはチュンチュン、猫は無言で、鶏がかってにコッココッコとやっているだけ。「 あのぉ、口裂けじいさんよ。」 なんて誰も語りかけてきませんね。もくもくじいさんです。


                  


  

 キュウリです。やっと出来ました。最初から曲がってますね。うちは放任主義ですから。曲がりたきゃ曲がるし。 京都先斗町のキュウリでも~ 味に変わりがないじゃなし~ きざんで食べれば皆おなじ~    先斗町(ぽんとちょう)ではキュウリ作れないですね。この場合は先斗町で食べるキュウリと考えてください。


  

 こちらはごぞんじ鞍馬天狗じゃなくって、ズッキーニです。こちらは一直線です。葉の柄もすごいですね。どっちが実なのかわからないくらい太いです。ワイルドですね。初めて作るものなので少しびっくりしています。

  

 両方です。左からキュウリ、真ん中が取ってみたら曲がっていることが分かったズッキーニ、右が伸びないで太ってしまったズッキーニ。キュウリもこんな風になっちゃうのがありますよね。これは固いのかなぁ。まだ食べていません。押してみると固いみたいです。



   


   




オクラと黒豆

2007年06月10日 | Weblog

 昨日は予報にだまされました。 だまされるなんて言葉は良い表現ではありませんが、どうしてもそういう気持ちになってしまいます。人には予定がありますからね。でも、予報ですから当たらなくてもしかたないですね。予報士が天気を100%当てたとしたら、魔法使いだ。天気を支配できたら神様だ。

 予報士の中にはきれいな女性もかなりいますから、美人の女神ということに、、、。どういうわけか、男の予報士に対してはそういう考えが浮かばないですね。なんでだろう。そんなこと考えていると楽しいです。ノー天気。

 読者数が減ってきました。万歳です。分相応と言う言葉がありますからね。読者数が100を越えると気分はドタン・バキュンです。おどろきもものきさんしょのき で たまげたこまげたひよりげた で このえんのしたのくぎひきぬきにくい なんて滅茶苦茶な心境になります。きこりのべんとう になっちゃいます。

 木こりは下に弁当を置いたら草で見え無くなっちゃいますからね。それにタヌキとかキツネに持って行かれてしまうこともあるかも知れません。木にかけておけば見えます。安全です。ですので、木(気)にかける(する)こと、またそういう人は 木こりの弁当 です。



               ~


  

 ご存じオクラなのですが、小さな体でまあ、よく花が咲いたことという気持ちです。ちょっと早すぎるような気がするのですが、どうなるかまあ見ていましょう。

 このオクラは取るのがむずかしいです。ちょっと油断をしていると巨大オクラになってしまいます。そんな時にはお蔵入りなんてね。

 おいらはオクラ、やくざなオクラ、おいらが花咲きゃ主はあわて、年がら年じゅうすぐ実がでかく、あるじの顔も真っ青さ~ 。 懐かしい石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」のオクラ版でした。

 いつも今の歌が出てきませんね。今の歌は分からないんです。ただの雑音にしか聞こえないんですよ。みんなのうた がいいですね。あれも最近は、、、。

 話しがずっとあっちの方にいってしまいました。ハッと気が付いて、戻ります。エダマメを植えました。黒豆です。たくさんできたら、もちろん食べ切れませんから、その時には黒豆にしてしまいます。これもおいしいんですよね。


  

 今回は葉が茂らないようにと、リン酸だけが特に数値の高い、いも・まめ用の肥料を使いました。窒素とカリも少しはあるようですが、葉が多いと実の生り具合が悪いですから困ります。あとは前作の残りの肥料を吸収するんでしょう。どうしてエダマメって言うのでしょうか。大豆になるんだけども、早く取っても ええだ が縮んだのかな。だいずょうぶだ。

  

 つるのあるインゲンです。手を立てました。斜めになっている棒は篠棒です。となり町のとあるところから刈り取ってきました。魚の王様に行って生えているところを見つけました。藪をかき分けて入っていって太くて良いものだけ取ってきました。小枝に頬っぺたをひっぱたかれたり、蚊に襲われたりと、たいへんな作業であったことは奥さんには黙っています。男ですからね。

 支柱と横棒は真竹です。わが家のです。全部を真竹にすると厳めしい感じになるので、少し考えました。それに、少しは自分のものも使わないと、、、。


    


    


 なんだか台風の時の雨みたいですね。ゴーッと降ったかと思うとパタリとやんで、しばらくして思い出したようにゴーッと降ります。今日は日曜日なので、寝て曜日かな。でも起きてしまった。


 

散髪するがごとき

2007年06月09日 | Weblog


 朝いちばんに起きるのが私です。朝から軽トラを乗り回し近所周りをしている人がいるので、すぐに雨戸を開けて 「 ほれ、もう起きてるぞ。」とデモをして見せています。

 遅く寝ても起きる時間は早いです。同じではありません。4時半から5時半頃までですね。5時半は遅い方です。朝が来なければ良いのになどとは感じません。「 オ、朝か。」という感じです。

 朝はどこからくるのでしょう。あの山こえて野をこえて~。なんて歌がありましたが、どこから来るんでしょうね。いい歌ですね。こういう歌は今は出来ませんね。汽車の窓からハンカチ振れば、牧場の乙女が花束投げる~♪ なんて、非現実ではありますが、とてもロマンチックな絵本の中の光景のような歌など、今の人は作れませんよ。カラスと一緒にかえりましょー、なんてのも  NHKみんなのうた  とか、絵本のなかの世界ですね。

 朝から何をぶーぶー言っているのなんて言われそうですね。過ぎ去ってしまった、もう戻らない過去を振り返っているんです。朝から。あくびしながら、、、。

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 畑の作物の写真など撮りだめしておいたら、作物はどんどん変わりますから、ボツになったのがかなり出てしまいました。花が咲いたよなんて言うのが、もう実になり食べちゃったなんてなっちゃいますから。撮りだめはだめですね。


  

 
 栗山の草刈りをしました。気持ちいいですね。こうなると、ここにテーブルを持ってきてお茶でも飲みたくなります。誰かお茶のみに来ないかナー。 

 草が伸びてくると、髪がのびてきてクシャクシャになり、いくら洗ってもどこかむず痒いようなのに似た気持ちになるのですが、きれいさっぱりと刈ってしまうとホントに気持ちも清々して良いものです。


   

 木があるので、刈るのにはじゃまですね。そこをなんとかやりながら刈るのですが、ときどき目から火がでることがあります。太い低い枝に思い切り頭をぶつけることがありますからね。何が起こったんだろうという感じでしばーらく立ったままでいますね。何も悪いことしてないのに。

                 



    

    





アスパラガスと四角豆の移植

2007年06月08日 | Weblog


 ときどきウォーキングをやります。ときどきじゃ駄目なんですけどね。田舎なのでちょっとやりずらいことがあります。みんな顔見知りなものですから、一人で歩いていると 「暇だこと。」 とか 「 他人(ひと)の田んぼが気になるの?」 とか、二人で歩いていると 「 二人そろっていいね。」 なんて、チクリと刺すような挨拶が飛んできます。別に悪気があるわけではなく、どんな返事が来るのか待っているんですね。ちょっとしたゲームみたいなものです。

              

 それはいいんですが、いちいち挨拶しながら歩くのは面倒です。ですので、すぐ近くに境界のある隣町に行ってしまいます。そこは知らない人ばかりですから。しかし欠点があり、そちらの方面は家がほとんど無いので、夕方以降は行きたくありません。

 そう言うときには、団地を歩きます。団地でも国道沿いには店が多くあったりして、全体があかるく歩きやすいです。ほかにも歩いているひと、ジョギングをしている人がいますので、ごく自然な気持ちで歩けます。

 それに、団地は勉強になります。庭の作り方とか、垣根の材料とか、間取りはとか、、、、。すぐに家や庭や垣根をどうするかというわけではありませんけど。

 畑仕事をしていると、先の方の道を、の~~~んびりと犬を2、3匹つれた人が何人か通りますね。犬を引いているのか、引っ張られているのか、どっちにしても「 暇 ~ 」という文字が歩いているような図です。そういうのを見ると犬が欲しいなと思います。めいママさんのようなワンちゃんか、あるいは hachiさんのような柴犬か。でも、犬は世話がかかりますからね。猫はほったらかし。食べたら ごちそうさま も言わずに黙って外に行くか、あるいは座布団の上で寝ていますよ。


         


                   ~

 さて、冒頭のごちゃごちゃ話はそれくらいにして、

   

 アスパラガスと四角豆を移植しました。からから天気だったので、移植後が心配なものですから、まず流しに移植こての柄を使って栓をして水をため、それに思い切り苗を浸して、ビショビショ状態になるまで水をしみ込ませてから移植しました。

 この作業は一昨日だったのですが、一日おいて昨夜は思い切り雨が降ったので、だめ押しの水となりました。これで何とか根付いてくれると思います。


   

 こちらは移植前のエダマメなんですが、何だか出芽が悪いです。出芽したものは移植してあります。全体的に悪いですね。

 よく、花の苗を持ってきてくれる友達がポツリと言うことには、やはり今年は出芽の状態が良くないとか。何かが変なんでしょうか。それとも偶然?

 温度かなと思う時があります。出芽に適した気温がある程度長く続かないのかなと思ったりしています。間違いかも知れませんが。日射しが強すぎるのかもしれませんね。出芽しないので、場所を移したのですが、この場所は朝のうちだけ日があたり、あとは木漏れ日になる場所です。

 てなことで、今日は花の金曜日です。でも特に何てこともありませんが。とにかく、今日も元気ハツラツで行こ~~~~っ。何かコマーシャルみたいになってしまいました。

  

 


おたふく豆

2007年06月07日 | Weblog

 トイレばかり探して、やっとトイレにたどり着いたら誰かが入っていて、そこからものすごいステレオの音が聞こえてきます。やっとドアがあいたら、中から出てきたのはなんだ以前いっしょに働いていた同僚。見慣れた顔で、「 どうぞ。」 ・・・・ やっと入れました。そしたら中は普通の部屋。「 あ~~~~ どうしよう。」 と思っていたら目が覚めました。

 なんか、私の人生の縮図のような夢を明け方に見てしまいました。おろおろ人生ですね。何かやろうとすると、いつもそこには先にやっている人があぐらをかいて腕組みをしていて、、、。

 曇天です。久しぶりに雨が降るかも知れません。畑は砂漠のようになってきました。カリカリ・サクサクと草をむしる鎌の音が乾いてきました。雨が降ったら昼寝と読書だ~~。曇天なので、きょうは曇天返し、いや、どんでんがえしの本がふさわしいでしょうか。あ、それはいつも私の人生で起こっているから、ふつうのでいいのじゃないですか。と別な声が私の中でささやきます。井上さん、そうします。海辺のしっぽじゃのぉ。

               ~

  

 栗の花が咲き始めました。これが咲くと秋にため息です。少しずつ害虫に幹をやられ、減ってきてはいますが、実が落ちてそこから芽がでて苗になり、大きくなってしまうものもあるし、駄目だと思っていたのが、途中から若い枝が出て来て再生してしまうこともありますので、木の数はあまり変わりません。木のほうでやりくりしてしまうんですね。


  

 そらまめです。今年は、やっと人並みに食べられそうです。二年越しの念願が叶ったという感じです。だめな時もあるだろうと承知の上ですが、出来が悪いとやっぱりがっかりしますね。ですので、今年のそらまめは そら おいしいことおいしいこと、、。食べている時は鏡など見るゆとりはありませんが、顔はさぞや おたふく顔 になっていると思いますよ。


  

 向こう側の緑の列はジャガイモです。一番手前の、頭がチラッとでているのがスティックブロッコリーです。太い緑の列がそらまめです。惜しいですが、最後は忘れなければ種も取ってみようかななんて思っています。なにせ、この種が私の買う種の中では一番高いですから。そら豆というだけにね。そらそうだ。


    


 

 いやはやもう、一面に咲いてしまって、、、、。
  

 
                ~
 

 補) 井上

      胃の上には肺があります。ですので、ハイ。つまり yes 。
    
    海辺のしっぽ

      砂浜にしっぽ。 砂尾。 素直。

    これが咲くと秋にため息

      栗拾いのハードな仕事が待っているのです。


すずめさん、どうぞ。

2007年06月06日 | Weblog


 朝は静かですね。新聞配達のバイクが一時あっちこっちで聞こえるくらいです。夕方も静かです。そう言えば昼間も静かですね。ウグイスとか、時折コジュケイが激しく鳴くくらいです。何だ、それなら「一日中静かだ」と言えば良いじゃないかと言われそうです。気づきました。

 畑仕事をしていると、遠くの方でかすかにコーというような音がするなと気づくことがあり、そらを見上げると薄く空の色に溶けそうな感じで、ジャンボ機が羽田か成田をめざして飛んでいるのが見えます。手を振ろうかなと思うことがあるんですが、このごろおかしいねと言われそうなので、ふたたび雑草と対峙します。雑草を退治ですね。ジャンボと雑草。天と地と。作家は虫歯療太郎なんてね。ちょっと変かな。

 手を振ると言えば、ときどき前を走っている車の中で、子供が後の窓から外を見ていることがありますね。「あー、こどもだなー。」と思わせる光景です。大人はやりませんね。大人がやったら気持ち悪い。もっとも、女性なら良いですね。見目麗しき有江ないさんのような女性が後の窓から、うるんだような目でじっとこちらをみ見め、、、、。あー、もう止そう。考えただけで追突事故を起こしそう。 

 それで、その子供(たち)に手を振ってやると喜びます。 こんな仕草とか、 こんなのとか、 こんなの。それから、鼻に人差し指をあてて豚の鼻なんか作ってやると、もう大喜びです。運転している親は「おや、何だろう。」なんてやっている様子が見えます。ちょっとしたコミュニケーションです。「なんだ、くそガキか。」てな顔をしている大人が多いですからね。こどもは国の宝です。

                

  

 育たないスイカがあります。あ、雑草だ抜いてやろうと思ったら、これは台木から葉っぱが出てきた図です。こっちに栄養が盗られてしまいます。さっそく爪でちぎってしまいました。何の台木を使っているのか。夕顔とかそういうものでしょうか。こんなこともある世の中なんですね。ちょっと大げさ。

  

 ちょっと荒っぽい雰囲気の作物なんですが、荒っぽいだけに元気なのか、ズッキーニが次々できている見たいです。初めて作るものですから、大いに楽しみです。強くなった太陽の光を浴びて、本当に健康そうな野菜です。チョイ悪オヤジのイタリアン・ジゴロ向きの野菜なのかも知れません。


  

 写真を大きくしても分かりにくいかも知れませんが、これは小麦をすっぽりとオレンジ色の防鳥ネットで囲ったところの図です。小麦が実ったわけではありません。ラッキーなことに9mx18mのネットで根本まで覆い切れました。今年は少ししか作りませんでしたからね。昨年はこのネットを3枚使いました。

 スズメが来て、食べたあとがあったものですから、さっそくやってしまいました。これくらいだと、棒を立てて横木を作り、その上にネットを乗せるというようなことをしなくても良くて、ただ被せて、裾をちょっと棒で留めるだけなので、仕事は超楽チンです。

 隣にばらまきした小麦があり、その畝間に山芋を植えてあるのですが、それはスズメに食べてもらうことにしています。少しはやってもいいでしょう。なにか、スズメの恩返しなんてあるかも知れませんね。お礼に大きなつづらをくれたりして、中にたくさんのトイレットペーパーなんか入っていたりしたらどうしよう。

 今年はゆとりがありますよ。「スズメめー。すんずめー。」なんて怒鳴るなんて気持ちにはなりません。「スズメさん、どうぞどうぞ。」の気分ですから。

               


   


   






 


とうとうとうがたちました

2007年06月05日 | Weblog


 朝は眠いですね。昼も眠いですけど。眠りに入るときが、目覚めているときと区別がつかないことがおおいです。本を読んでいて眠りに入り、落として目覚める。ハッと気が付くとディスプレイの画面に っっっっっ がいっぱい表示されているなんてことがよくあります。

 不眠症の人がいるとよく話しに聞きますが、およそ無縁の病気です。かえって、睡眠症かもしれません。深眠症とか、没眠症とか、眠りに落ちるから落眠症、苦労しないで眠れるから楽眠症なんていう名前をつけたいです。

 朝は眠りながらですから、ブログの更新がなかなか進みません。更新でなくて後進です。 っっっっっ が画面いっぱに行進しています。スイっと眠るからスイ眠、グをつけるとスイ眠愚、漢字にして睡眠愚、、、ヒッヒッヒ、、、

 それくらいですから、風邪薬など飲んだらたいへんです。もう、効き過ぎて効き過ぎて、こてーんと寝ちゃいますね。儂(わし)にゃ睡眠薬は要らぬわ。

     寝ないなら 寝かせてみせる 風邪薬    農夫名賀(のぶなが)

     そんなこと しなくたって すぐ寝られ   易酔安(いえやす)


                ~

  

 ほうれん草はとう(薹)が立ってしまいました。せっかくおいしく食べていたのに残念です。トウの立たないほうれん草なんていう品種が出来ないですかね。

  

 ごぼうだって負けずに トウ が立っていますよ。これで併せてふたつだから、とうとうトウが立ってしまった、ですね。くだらんダジャレなど言っている場合か。もう気分は開き直りですね。

  

 いつの間にかキウィに花が咲いていました。今年はたくさん花がさいています。不思議に、このキウィというのは自分で摘果しませんね。柿や栗は自摘をしますからね。キウィはそれが無いです。咲いた分だけ実になってしまうんでしょうね。少し肥料をやっておこう。

  
   


   

 補)難しいから大きな文字で

      わし

     この文字を書いて、歴史小説などでは わし と読ませていま
     すね。
     広辞苑の見出しには書いてないです。意味の説明のなかでは儂
     とか 俺 と書くなんて説明しています。大辞林には見出しに
     儂が出ていました。
     中国語で自分のことを指す文字のようです。
     

       とう

     こういう漢字なんですね。調べてしまいましたよ。難しすぎて
     使えませんね。使うのは今回一度限りであとはボツですね



    農夫名賀 = 名が農夫 


アンドレ・ワッツ

2007年06月04日 | Weblog


 いつも野良仕事ばかりでもしかたないです。それが商売なら別ですが。それで、友達から誘われたので、久しぶりにコンサートに行って来ました。

 つくば市にノバホールと言うところがあります。あの英会話の学校ではありませんよ。「何度言ったら分かるんだ。」、、、「ハーイ、たけちゃん。」「やまちゃん。」、、、、「 ウィー・アー・ノバ友。」 なんてCMやってますね。初めのころは 農婆 なんてのが出てきましたっけ。私は 農爺 です。

 ノバ ( nova ) というのは新しい星のことを言います。新星ですね。むかし、「 しんせい 」 というたばこがあったなぁ。おっとっとっと、脇道にいってしまいますね。


  

 アンドレ・ワッツというピアニストが来ました。いやー、このピアニストは懐かしいです。私が高校生の頃に売り出した人ですよ。あの頃はニコニコした青年だったのですが、今は貫禄ある初老のじいさんです。

 ものすごくダイナミックな演奏でした。全身を鍵盤にぶつける感じです、興奮のあまり右足は宙に浮き、足首がプラプラと激しく動いているではないですか。かかとを時にドンと床についたり、「 ンー 」 とかけ声混じりにガツンと音を出したり、鍵盤を叩いた手は勢いついて、斜め上の方にはじき飛んでいったりと、まあ動きがすごかったですね。アンドレーではなくて「 オンドリャー 」ってな感じでした。ステテコ姿で、毛糸の胴巻きにねじりはちまき。焼きトウモロコシ売りのおっさんにしたら似合うだろうなと思いました。


 動きの面ではそうだったのですが、肝心の演奏の方はどうかというと、もちろん満足度100%でした。繊細さを欠くかと思いきや、体格に似合わずとてもやさしく演奏したりする部分もありましたよ。

 曲目は下に紹介しておきます。ただ、彼はあまり我が国では騒がれることなく来たような気がします。CDなどもあまり出していなかったような。私の知識不足かも知れませんが。

 行って良かった~~。


                ~

 コーフンはそれくらいにして、畑の様子を、、、。


  

 スナップエンドウはどんどん取れています。ゆでてそのまま食べたり、サラダに入れたりしています。

  


 水菜はもう固くなってしまいました。食べられないこともありませんが、ちょっと歯触りの点で気になります。

 春菊は大丈夫ですね。しかし、これも季節からして、そのうちにとうがたってくるんでしょうね。



         

     



 補) アンドレ・ワッツ ピアノリサイタル曲目

   J.S.バッハ  コラール前奏曲「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」
                BWV639
             〃   「汝にこそ喜びあり」 BWV615

   モーツアルト ロンド ニ長調 K.485
          ロンド イ短調 K..511
   
   ベートーベン ピアノ・ソナタ7番 ニ長調 op.10-3

   ベリオ    水のクラヴィーア

   ドビュッシー 沈める寺(前奏曲集弟1集から)

   リスト    暗い雲
          エステ荘の噴水

   ショパン   練習曲 嬰ハ短調  op.25-7
           〃  ヘ短調   op.10-9

   ショパン   バラード第1番 ト短調 op.23

                  


山芋はどこに行く

2007年06月03日 | Weblog


 もちろん、私たちは昔からの伝えを聞いて 「 ああ、そうなのか。」 と受け売りしているに過ぎないのですが、この六月のことを みなづき と言って、水無月 と書いています。 この梅雨の時期に水が無いとは。だから空梅雨(からつゆ)なんてことがあるんだな、なんて自由に想像をしてしまいます。

 ところで、昔つまり旧暦の時代は概ね今の六月が五月だったわけです。今年は6月15日が旧暦の5月1日です。梅雨の時期です。

     さみだれや 大河を前に 家二軒  蕪村

とか

     さみだれを 集めて速し 最上川  芭蕉

なんていう、おなじみの句は六月のころと考えられるわけです。ですので、五月雨は梅雨のことでしょうね。今の五月に降るさわやかな雨とは違うわけです。そのあたりはニャンパルさんに解説してもらわないと、自信ないです。  間違うといけませんからね。


 で、その みなづき ですが、「 な 」 は 「 の 」 という意味のようです。つまり水の月です。それなら分かりますよ。

    さみだれや 草いちめんの 畑かな     呆 然  

    さみだれや 田んぼに化けた まめ畑    田子作  

なんて言いたくなるのが、このもうすぐやってくる梅雨なのです。おそまつでした。


               


    

 もう、レタスは終わりになってきました。昨日とったものは、土に触れている部分から腐りが入ってきていました。ずいぶん食べましたね。次のレタスに手を出す時期でしょうか。小さく丸まりつつあるのが、別なところにあったような、無かったような、、。 


  

 ここまで上ってきたんですけど、急に竿がなくなっちゃったんです。どうしよう。わしゃ知らん。伸びたお前が悪いんじゃ。もう面倒見ないぞ。頼むから隣にある柿の木に手を伸ばさないでね。ジャックと豆の木みたいだなー。      【山芋と私の会話】  




   


   


 補) 勝手な感想 自信ないので小さな字で、、、 

    最上川の風景の句は ああそうなのか という感じ
    大河の前に家二軒の句は もうこれ以上の五月雨の句はないという感じ




ズッキーニを食す

2007年06月02日 | Weblog

 朝起きて一番に七枚の雨戸を開けます。すると猫が飛び込んできます。元気でいいねー。あやかりたいですよ。このごろは夜は外です。

                   


 ズッキーニが出来た出来たと喜んでいたら、開花後4~5日で食べるべしということを知りました。それであわてて畑に行きました。

  

 これくらいになっていました。まるでキュウリですね。違いはツルが伸びてそこに生るのでなないんですね。茎に直に生っています。キュウリじゃないって、とズッキーニに怒られそうですね。

 ズッキーニは、いつまでもこのままにしておいたら固くなってしまうそうです。そりゃそうだ。食べられるために生ったわけではなく、子孫を残すためですから。と、たったいま悟る。

 どうものんびりしていていけません。総領の甚六なんですね。かと言って、これで60年もやってきているんですから、急には変えられないし、変えても疲れるだけです。もう変えられませんね。。 変えない、変えます、変える、変えるとき、変えれば、変えろ。いや変えない。このままで行きます。列車なら鈍行です。 今日も青空を眺めて過ごそうかな~。(補へ)

 そう言えば、これがキュウリのようにではなくて、カボチャのように丸くなるのがあることを知りました。
kei さん が作っていますよ。丸いのもあるなんておもしろいですね。



     

 さっそく料理してもらいました。一緒にそら豆とスティックブロッコリーもパチリ。食べた感想はというと、ウマイ  と絶句するというわけには行きませんでした。まあ、美味しい部類に入ります。「 はー、こういうのがズッキーニなのか。」 という感じでした。これから、いろいろに料理されると、これまた別なおいしさを感じることでしょうね。

  

 キャベツが自爆しました。もう終わりです。こういうものでも、鶏にやるとおいしそうに食べてくれます。彼らにとってはご馳走なんです。クヮークヮーと、さかんに鳴きながら食べていました。うれしいのかな。


   


   


 補)
     黙って俺についてこい

      金のないやつぁ 俺んとこに来い

       俺もないけど心配するな

       見ろよ青い空白い雲

       そのうち何とかなるだろう  





ダメージを受けたそら豆

2007年06月01日 | Weblog


 ときどき腰の具合が悪くなります。もう、年ですから仕方ありません。昨日はギクッとならないように、気を使いながら重い木を持ち上げて運びましたよ。気をつけないとネ。

 体は年をとっても、気持ちはまだまだ若い、いや青いですね。時として20代の時もありますね。いや、時としてではなく、しょっちゅうですね。もっと低くなることもあります。ナデシコとか、ヤグルマソウとか、チューリップなどを見ていると、いきなり童謡の世界にまでワープしてしまいますから。私にとっては、そういう花が 花 ですね。ときどき 「 ぜんまいざむらい 」 とか 「 おじゃる丸 」 なんか見ます。面白いです。

 なんか、今日も曇天です。さかさにして天曇、てんどん、天丼。カツ丼。うな丼。どんどん持ってこい。大盛りで。 。・・・・・。たぶん降るでしょう。友達が銀座の裏の方で個展をやっているので、見に行こうと思ったのですが止めにします。昼寝+読書+パソコン+音楽=今日の日程 と言うことになりそうです。


               ~~

 

   

 アブラムシの被害を受けたそら豆は、2本ともそのままにしておきました。他の苗と比べると、かなりひどくて生長も悪いですが、それでも片方はこれくらいに育ち、いくつか実をつけています。

  

 もう片方はかなりひどくて、葉の色も変わってしまっていますが、それでもひとつふたつ実をつけています。実は緑色で良い色をしています。命をそちらに向けて、「 おらー、まだ生きてるゾー。」 とラッパを吹いているのかも知れません。あとで、しっかり食べてやりましょう。

 生命力はすごいとつくづく思います。抜き取らずに置いて良かったと思いますよ。作物に教えられるような気がします。よくそういうことを言いますが、果たして自分ではどうだろうか自信がありませんね。何事もないときには偉そうなことをいうのが人間ですから。適当にうろたえるのもしかたないです。パニックにさえならなければ、、、。それもどうかな、、、 さっき、弱い地震がありましたが、こちらは自信がありません。


  

 いつの間にかズッキーニがこんなになっていました。開花後4~5日で食べられるというので、これくらいでよいのでしょうか。遅いよと言われるかも知れませんね。何せ経験がないですから。いつもそのせいにしてはいけないのですが。まあ、失敗ばかりの人生だ。これも人生の縮図?? はい、粛々と行かなければね。人生、 しくしく ではいけませんしね。関係ないですが、鞭声粛々なんていう漢詩を思い出してしまいました。風林火山です。どうしてズッキーニがこんなことになってしまうのか。こめかみがズッキーニ。


  


   


 補)

    不識庵機山を撃つの図に題す
      ふしきあんきざんをうつのずにだいす  頼山陽

  鞭聲肅々夜過河    鞭声粛々夜河を過る 
  曉見千兵擁大牙    曉に見る千兵の大牙を擁するを
  遺恨十年磨一劍    遺恨なり十年一剣を磨き
  流星光底逸長蛇    流星光底長蛇を逸す

    べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる
    あかつきにみるせんぺいのたいがをようするを
    いこんなりじゅうねんいっけんをみがき
    りゅうせいこうていちょうだをいっす

       不識庵 上杉謙信
       機山  武田信玄