歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

水海道諏訪神社の戦闘的 “狛犬と忠魂碑”

2008年02月12日 | お寺・神社
昨日の続きです。

市庁舎の前の路地を抜け、駅を目指して歩いたのですが、この日はホントに寒く、人通りの少ない路地の日陰には、砂埃にまみれた雪が残っていました。

狭くて陽の射さない路地は、余計に寒さを感じます。広い通りに出ます、先の方に大木が見えてきました。

大木は交差点の処にある神社の境内に聳えていました。


周囲には何も無く、真っ直ぐに伸びても良さそうな環境ですが、何故か傾いています。小さい時に何かあったのでしょう。


神社の境内に立ち、〆縄が飾られているので御神木のようです。


根元に「案内板」が立てられているので、何か謂われでも書かれているかと思ったのですが、全く「宗教色」抜きで、植物としての説明だけでした。

樹齢は不明のようで触れられていません、幹の太さから見て「数百年」は経っている筈です。

鳥居から本殿に向かう参道の石畳ですが、根元の部分だけ不自然に「欠け」ています。石を敷いた後で幹が生長し、剥がしたように見えます。


この神社は「諏訪神社」、ここの町名は「諏訪町」、横の通りは「諏訪通り」です。

神社の「案内板」を見ると、創建の記録は無く、むかしは神木と小さな社があっただけだったようです。神木の樹齢と創建はたぶん同時期かも知れません。


かなり年代が経っている様に見えます。創建当時からの狛犬なのでしょう。


戦闘態勢に入っています。



ケヤキの大木を背にして立つ“忠魂碑”かなり存在感があります。忠魂碑が主役でケヤキは単なる背景に見えてしまいます。

忠魂碑は明治新政府の誕生以降、日清戦争、日露戦争での戦死者の「供養」のために「自治体が建立」した慰霊碑だそうです。

自治体が費用を負担していたとは知りませんでした。第二次大戦後は、占領軍が軍国主義の象徴として、各地の忠魂碑を撤去したそうです。

     

この碑は何処かに隠され、講和条約締結後この地に復活したのでしょうか。砲弾を模したデザインに刻まれた「忠魂」、かなり戦闘的です。

「忠義を尽して死んだ人」の「供養」と云うよりも、「顕彰・・・功績などを世間に知らせ、表彰すること」のイメージでデザインされています。

日清か日露かは確認するのを忘れました。この時は10時前で明け方の寒さが残っており、歩いていると手が冷たくなり、寒さに気を取られていたのです。

静かな田舎町の商店街、懐かしい風景が見えてきました。


水海道の町、これからです。


それでは、また明日。





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