歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その1-

2010年01月06日 | 映画の話し
しばらく前に録画しておいた“小津の秋”を、先日の深夜に一人でじっくり観たのです。

晩秋から初冬に移る蓼科の自然を背景にして、出会い、愛、恋い、別れ、死、嫉妬、憎しみ、同情、理解、和解、赦し・・・・・・、そんな人間模様が描かれるのです。

昔は、こんなテーマの映画は見向きもしなかったのです、それが、どうしたことか見終わっても、何か、とても、いろいろと気にかかるのです。

信州蓼科に自然開発の技師として現れた妻子ある男性と、小学校の女性教師が出会い、恋に落ち、駆け落ちを決意し、その実行の日、男は約束の場所に向かう途中で突然の病に倒れる。

男は死に際にすべてを妻に告白し、死んだら駆け落ち相手の女性に知らせて欲しい頼むが、妻は女への嫉妬から拒絶する。

女性教師は、男の死を知らぬまま、約束の場所で一晩中待ち続け、朝になり、裏切られたと悟。

妻は、夫と相手の女を憎み、精神を病んでしまう。女性教師は裏切った男を忘れられず、想いを抱きつつ30年の歳月がながれる。

そこに、雑誌記者となった娘が、取材を兼ねて晩秋の蓼科を訪れる。

娘は長年付き合って来た男から求婚されているのだが、父と女教師への憎しみを抱いたままでの結婚に答えを出し倦ねていた。

顔も覚えていない父、父を愛した女教師、30年前に何があったのか、何故、妻子ある男を愛し、駆け落ちまでしたのか? それを知ることで、何らかの答えを探しだそうと・・・・・・。

映画“小津の秋”そんな、ストーリーなのです。


雑誌記者“明子”には“沢口靖子”


女教師“園子”には“藤村志保”


そして、園子を“幼いころから想いつづける”ホテル支配人に“栗塚旭”


この三人によりドラマは展開していきます。それで、栗塚旭ですが、私としては久ぶりで、兎に角、驚きでした。最初は誰だか気付きませんでした。

時代劇の、あの“土方歳三”が、気品の漂う老紳士になっていたとは、本当に信じられませんでした。1937年の生まれですから、今年で73歳です。

それで、映画の方ですが、冒頭に近い博物館のシーンで、縄文時代の“女神像”について、館長が“女神は醜く嫉妬深い”との台詞、そして、蓼科は“女神の里”と云わせているのです。


“醜く、嫉妬深く、そして美しく、魅力的な女神”の居る蓼科の地で、妻子ある男と、女教師とのドラマが、30年前に始まったのです。


それとは別に、支配人の“茂”と、女教師“園子”とのドラマは、終戦間際の昭和19年からはじまっていたのです。


この二つの糸が絡み合い、ドラマは展開していきます。


見終わって、気にかかるのは、支配人“茂”でした。

蓼科の開発に訪れた、妻子ある土木技師の男に恋した園子、愛し合い駆け落ちを決意し、裏切られたと想いつつ流れていく歳月。

すべてを知りながら、園子を見守りつづけ、想いを寄せつづける支配人の茂。このへんが、とても、う~ん・・・・・・惹かれるのです。

それは、・・・・・・・。

この続きは次回とします。


それでは、また明日。



コメント (4)
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