先週の続きです。
映画“小津の秋”で、まだ、いろいろと想いをめぐらしています。
先ず、二つ訂正があります。
一つは前回、今を2007年として、駆け落ちが30年前で1977年で、園子の生まれが1944年の時に5歳ですから、生まれたのは「1944-5」で、「1939」なのに、「1933」書き、「1977-1933」は「38歳」なのに、「三十と四・五歳」書き、二重の誤りをしていました。
かなり、これは、ヤバイかも? 頭の中が、ゴチャゴチャしてきました。
もう一つの誤りは、前回、年齢計算で“今”が映画の中に表現されていなかったので、制作年度の2007年を“今”としましたが、先日、もう一度、観たら、画面に“今”が映っていまいた。
“小津安二郎記念映画祭”で、園子と明子の二人が仲良く寄り添い“秋日和”を見に行くシーンに、“第8回”とあったのです。
調べてみたら、第8回は“2005年”でした。映画の中の今は「2005年」が正解です。因みに、実際の第8回映画祭で上映された小津監督作品は、“麦秋”と“おはよう”でした。
ホントの映画祭で“秋日和”が上映されたのは、2000年の第3回です。“小津の秋”の上映は、制作された2007年の第10回の時です。
そうすると、明子が駆け落ちしたときの年齢は、今(2005年)から30年前ですから、1975年となり、明子は1939年生まれですから36歳となります。
まぁ、年齢の細かい計算はこれで止めておきます。以上で、お詫びと訂正を終わります。
それで、本題の“想いをめぐらす”話しに入ります。
それで、陰の主役である“明子の父”なのですが、園子は明子の“父はどんな人だったのですか”の質問には、直接的に一言も答えていません。
山の小学校教師で、まじめに、地味に、質素に、ひたむきに、ひとり寂しく暮らしていた女が、恋に落ち、身籠もってしまう・・・・・・、そんな相手とは?
こういう女性と云うのは、世間では得てして“つまらない男”に引っ掛かる事があるのです。もしかして、明子の父も・・・・・・?、妻子がありながら、別の女性に恋をし、身籠もらせ、駆け落ちですから・・・・・・。
駆け落ちる先が、何と!スペインの“セビリア”ですよ! 花の咲く街を二人で寄り添い歩こう!ですよ! そんな夢のような事を云う男は、ちょっと普通では・・・ねェ。
セビリアと云えば、“スペイン”で、あの“女たらし”の代名詞“ドン・ファン”伝説の舞台です。明子の父は、そんな男では?と思ったりして・・・・・・。まぁ、それでは、映画の流れ的には、チョット・・・・・・・ですね。
それで、セビリアで暮らすの? 就労ビザは? どんな仕事で?どうやって収入を得るの?それとも、甘い夢のひとときを過ごす為の、ひととき旅ですか? 帰国してから、何処で?どうして暮らすの?
二人は“甘い夢の中”に居たのでしょう。きっと、あの時、男が病に倒れず、駆け落ちが成功していたら、二人の仲は“厳しい現実”に押しつぶされ、儚い夢に終わったと思うのです。
恋が成就しなかった事で、悩み、苦しみ、恋い焦がれ、そして、それなりに、甘く輝く夢の一瞬を、想い出として、それなりの夢を、30年の歳月、見続けることができた?
そんな園子を間近で見守り続けていた茂ですが、彼の恋も成就しなかった事で、それなりに夢の中で、“すこ~し愛して、永~く愛して”状態を保っていたのでは?
園子の駆け落ちの過去、園子を銃撃から守り脚を失った茂の過去、いろいろにものを背負い、引きずり、絡み合う、いろいろな障害こそ、人生の、恋の、愛の、香辛料でしょうか?
茂と明子がペンションで食事をするシーンで茂が明子に、
「ここを買わないかと云う話が・・・・・・、まだ思案中です、一人ではできませんから・・・・・・」
「思い切って云ってしまったら、どうですか? 園子さんに! ただ見守っているだけで良いのですか?」
「釣りって云うのはね、魚だけを相手にしていてはダメなんですよ、気温や、水温、気圧、それに時間・・・・・・、難しいですよ、魚を釣るのは、この歳になっても」
恋愛を釣りに例えています。つり上げたらゲームは終了です。
いつしか、物語をゲームとして楽しむ二人に・・・・・・。なん~て事に、想いをめぐらしたりしているのです。
今日も、小津の秋で想いをめぐらしてしまいました。
まだ、しつこく、想いをめぐらします。
それにしても、今日は寒い!
それでは、また明日。
映画“小津の秋”で、まだ、いろいろと想いをめぐらしています。
先ず、二つ訂正があります。
一つは前回、今を2007年として、駆け落ちが30年前で1977年で、園子の生まれが1944年の時に5歳ですから、生まれたのは「1944-5」で、「1939」なのに、「1933」書き、「1977-1933」は「38歳」なのに、「三十と四・五歳」書き、二重の誤りをしていました。
かなり、これは、ヤバイかも? 頭の中が、ゴチャゴチャしてきました。
もう一つの誤りは、前回、年齢計算で“今”が映画の中に表現されていなかったので、制作年度の2007年を“今”としましたが、先日、もう一度、観たら、画面に“今”が映っていまいた。
“小津安二郎記念映画祭”で、園子と明子の二人が仲良く寄り添い“秋日和”を見に行くシーンに、“第8回”とあったのです。
調べてみたら、第8回は“2005年”でした。映画の中の今は「2005年」が正解です。因みに、実際の第8回映画祭で上映された小津監督作品は、“麦秋”と“おはよう”でした。
ホントの映画祭で“秋日和”が上映されたのは、2000年の第3回です。“小津の秋”の上映は、制作された2007年の第10回の時です。
そうすると、明子が駆け落ちしたときの年齢は、今(2005年)から30年前ですから、1975年となり、明子は1939年生まれですから36歳となります。
まぁ、年齢の細かい計算はこれで止めておきます。以上で、お詫びと訂正を終わります。
それで、本題の“想いをめぐらす”話しに入ります。
それで、陰の主役である“明子の父”なのですが、園子は明子の“父はどんな人だったのですか”の質問には、直接的に一言も答えていません。
山の小学校教師で、まじめに、地味に、質素に、ひたむきに、ひとり寂しく暮らしていた女が、恋に落ち、身籠もってしまう・・・・・・、そんな相手とは?
こういう女性と云うのは、世間では得てして“つまらない男”に引っ掛かる事があるのです。もしかして、明子の父も・・・・・・?、妻子がありながら、別の女性に恋をし、身籠もらせ、駆け落ちですから・・・・・・。
駆け落ちる先が、何と!スペインの“セビリア”ですよ! 花の咲く街を二人で寄り添い歩こう!ですよ! そんな夢のような事を云う男は、ちょっと普通では・・・ねェ。
セビリアと云えば、“スペイン”で、あの“女たらし”の代名詞“ドン・ファン”伝説の舞台です。明子の父は、そんな男では?と思ったりして・・・・・・。まぁ、それでは、映画の流れ的には、チョット・・・・・・・ですね。
それで、セビリアで暮らすの? 就労ビザは? どんな仕事で?どうやって収入を得るの?それとも、甘い夢のひとときを過ごす為の、ひととき旅ですか? 帰国してから、何処で?どうして暮らすの?
二人は“甘い夢の中”に居たのでしょう。きっと、あの時、男が病に倒れず、駆け落ちが成功していたら、二人の仲は“厳しい現実”に押しつぶされ、儚い夢に終わったと思うのです。
恋が成就しなかった事で、悩み、苦しみ、恋い焦がれ、そして、それなりに、甘く輝く夢の一瞬を、想い出として、それなりの夢を、30年の歳月、見続けることができた?
そんな園子を間近で見守り続けていた茂ですが、彼の恋も成就しなかった事で、それなりに夢の中で、“すこ~し愛して、永~く愛して”状態を保っていたのでは?
園子の駆け落ちの過去、園子を銃撃から守り脚を失った茂の過去、いろいろにものを背負い、引きずり、絡み合う、いろいろな障害こそ、人生の、恋の、愛の、香辛料でしょうか?
茂と明子がペンションで食事をするシーンで茂が明子に、
「ここを買わないかと云う話が・・・・・・、まだ思案中です、一人ではできませんから・・・・・・」
「思い切って云ってしまったら、どうですか? 園子さんに! ただ見守っているだけで良いのですか?」
「釣りって云うのはね、魚だけを相手にしていてはダメなんですよ、気温や、水温、気圧、それに時間・・・・・・、難しいですよ、魚を釣るのは、この歳になっても」
恋愛を釣りに例えています。つり上げたらゲームは終了です。
いつしか、物語をゲームとして楽しむ二人に・・・・・・。なん~て事に、想いをめぐらしたりしているのです。
今日も、小津の秋で想いをめぐらしてしまいました。
まだ、しつこく、想いをめぐらします。
それにしても、今日は寒い!
それでは、また明日。