先日、“つくばエクスプレス”の“みらい平駅”近くの「立浪部屋」に行って来ました。
みらい平駅はホームが地下になっています。秋葉原に向かって、みらい平駅を発車して直ぐ地上に出ます。ですから、当然、つくばに向かっては、みらい平駅の直前で電車は地面より下の溝に入るのです。
と、云う事は、この付近は周囲よりも出っ張っている分けです。ですから、みらい平の駅名の“平”は、平らな土地ではなく、“平らな台地”を意味しています。それに“つくばみらい市”の“みらい”を組み合わせたのです。
それと、何ですが、「みらい平」は駅名だけで、付近に「みらい平」と云う地名は御座いません。
つまらない講釈をたれてしまいました。それで、立浪部屋ですが、駅舎に沿ってこの道をずっと真っ直ぐ行きます。
そして、この駐車場の先を右折して、
左側の5階建てのマンションの先を左折すると、
黒と灰色の2階建ての建物が見えます“立浪部屋”です。
郵便受けと、、インターホンと、監視カメラがセットになった装置?に、立浪部屋と表札が掲げられています。隣には、親方の本名が書かれた装置?も設置されています。自宅も兼ねているようです。
玄関には立派な看板?がありました。ガレージには高級外車が2台並んでいます。
建物の反対側、外周道路に面した側から、稽古場を覗いてみようと思います。
手前の二階建てが、親方の自宅兼、弟子達の部屋で、奥の黒い平屋が稽古場のようです。
こんな感じになります。
稽古場の窓の上にも立浪部屋の看板が掛かっています。
大きなガラス張りの窓から、稽古土俵が見えるように造られています。これは、なかなかいいですよ。光線の関係でうまく撮れませんでしたが、真冬でなければ、窓を開け放して稽古をする筈です。
躰の激しくぶつかる音、張り手の音、投げ飛ばす音、激しい息づかい、親方の叱責、指導の声、いろいろな、声、音が響き、外にも緊張が伝わってきそうです。
これは、絶対に、一度と云わず、二度三度、稽古の見学に来なければ、そう思ったのでした。
ドデカイ!力士の、パンツやシャツが干してありましたが、先ほどから、まったく人の気配はありません。みんな、初場所が終わり、休暇で故郷に帰っているのでしうか?
初場所後が、お相撲さんのお正月だと聞いたことがあります。一年で一番長い休暇だそうです。でも、一週間ぐらい? とすると、24日が千秋楽でしたから、もう直ぐお終い?
そんな、こんなを考えつつ、自販機で買ったコーヒーを飲みつつ、あたりの景色を眺めたりしていたのです。
あたりは、こんな感じと、
こんな感じで、歩道を歩く人影も、車道を走る車影もない、静かな、トテモ静かな環境です。
駅からは、歩いて5分、走って3分ほどです。
それにしても、貴の花親方は、どうなるのでしょうか?
それにしても、もう朝青龍は終わりでしょうか?
千代大海が引退、魁皇もたぶん来場所が最後? 残る大関の、琴光喜も、琴欧州も、日馬富士も、上を狙えるどころか、大関の地位を守るだけで精一杯。
こんな状態では、大相撲は、かなり、あぶないかも・・・・・・。ホント! 最近の相撲はつまらん!
愚痴がこぼれてしまいました。
そうでした。立浪部屋の話でした。実は、前からブログを読んでいる方はご存じでしょうが、私と立浪部屋には、他ならぬ関係があるのでした。
昭和20年代から30年代の初期、立浪部屋には、“七つ海”という幕内力士がいたのです。その「七つ海」が、幕内力士の頃に我が家に来た事があるのです。また、その弟は、我が家で一緒に生活したことがあるのです。
詳しいことは、東京は立石の、“ちゃんこ七つ海”に飲みに行った話に書いてあります。
それにしても、立浪部屋の筆頭は、幕内のモンゴル出身、“猛虎浪”ですから・・・・・・、ここも外国人力士なのです。幕下にもモンゴル出身“大鷹浪”が居るのです。
立浪部屋は、幕内1人、幕下3人、序二段5人の9人の力士がいます。そして、スゴイ事に、“立行司”の、あの“木村庄之助さん”が居るのです。
まぁ、兎に角、理事選挙では、皆さん頑張って下さい。何を?と聞かれても困るのですが、このままでは、間違いなく、大相撲は衰退します。それだけは確かです。
大相撲が衰退すると、私としては、年6回の12週間の楽しみが無くなるのです。とても困るのです。
ここは、ひとつ、立浪部屋の“ファンクラブ”に入会して、大相撲界の衰退に歯止め掛けるとするか・・・・・・。それにしても、ホームページに入会金とか、年会費とか書いて無いんだよなァ。
電話で聞くのも、チョット、何だし、たぶん、5千から1万円の間位かな・・・・・・・。
何だか、だら、だら、書き続けてしまいました。ここらで、終わります。
それでは、また来週。