昨日の続きです。
今日は、本筋の明子と園子の話しです。
30年もの間、父を奪った女と、妻と娘を棄てた父を、憎み続ける母と娘。
落ち合う場所に男は現れず、裏切られたと思う女。それでも、30年もの間、どこかで生きているだろ男に、想いを馳せる女。
母が亡くなり、“その女”に会いに行く娘。30年の歳月は、永いのか、短いのか。
裏切られたと思いつづけている女に、駆け落ち場所に向かう途中、病に倒れ亡くなった事を伝え、裏切られたのは“私達”だと告げる娘。
まぁ、そう云うところから、ドラマは展開していくのですが、ドラマッチックとは無縁の普通人としては、こんな人生模様に惹かれるのです。
兎に角です。妻子ある男が、他の女性に、心を寄せ、躰も寄せ、子を孕ませたりするのは、一般的、世間的な常識では、やってはいけない事になっています。
でも、しかし、法律的には、何ら罪には為らづ、お咎めは無いのです。だからと云って堂々とやる行為ではありません、秘かにやるところが・・・・・・ねェ。
でも、いつの世も、不倫はドラマチックで、誰しもが、一度や二度は、自分もと思い、また、思うだけではなく実行してしまう人が後をたたないのです。
不倫は文化だと云った男優が居ましたが、不倫は動物的な本能なのです。まぁ、生物学的の方向に話を進めると、身も蓋も、味気も、何も無く、詰まらなくなるので止めておきます。
詩情あふれる、彩り鮮やかな、美しい蓼科高原の秋を舞台にした、男と女の物語に話しを戻します。
それで、明子の父ですが、観光開発で湿地帯を湖に変える工事の技術者として蓼科を訪れ、園子と出会い恋に落ち、駆け落ちを約束し、叶わままに命が終わる。
それで、映画を見終わり、いろいろ想いを馳せたのですが、明子の父は、自分の死期が迫っていたことを知っていたのでは?と思いました。
事故ではなく病ですから、それなりに自覚症状があった筈ですし、それに人間は自分の死期が近づくと、何となく、それとなく悟るような気がします。
死を意識しながらの叶わぬ恋。ドラマチックです。
湿地帯を美しい湖に変身させ、それを最後の仕事として、美しい自然に包まれ、死んでいきたかった。そこには、美しい女性との物語も必要だった・・・・・・。
そこに、O・ヘンリーの短編小説の文庫本、「最後の一葉」のページに枯葉を挟んで贈った園子。
その文庫本を遺品とて持っていた明子。「最後の一葉」に対する想いは、園子と明子の父とでは、異なっていたと思います。
明子の父は、死んでいった老画家に自分を重ね合わせたと思います。老画家は人生で最高傑作である“一葉”を描いて亡くなり、明子の父は最高傑作の“女神湖”遺して・・・・・・。
女教師の園子の方は、ナレーションで昭和19年に5歳だった語っていたこと、駆け落ちが30年前だったこと、いつから30年前かと云えば、映画の中で“今が”特にふれられていないので、制作年度が“今”と解釈できます。
この映画は2007年の制作ですから、30年前は“1977年”となり、昭和19年(1944年)に5歳ですから、園子の生まれは1939年となります。
そうなると、駆け落ちした時の園子は“三十と七・八歳”と云うことなります。何故こんな年齢計算をしたかと云えば、女性にとって、このあたりの年齢が、かなり微妙だと思うのです。
明子が入浴中に、となりの浴場から、若い男女の睦言を聞いてしまうシーンがあり、
鏡に映し出された、自らの裸身を見つめ、肉体の衰え感じ、不安な表情をするのです。
【このカットで全身のバックショットがほしかったです。沢口さんも44歳ですからねェ~・・・・・・拒否されたのかも?】
求婚をされている明子も、30年前に父を亡くした時、3歳であったことから、園子と父が恋に落ち、駆け落ちをした、微妙な年齢に差し掛かっているのです。
30年前と今では、年齢に対する想いは、かなり異なるかも知れません。30年前の園子は、肉体の衰えに対する焦りは、当然明子以上だったはずです。
いろいろな事を背負い始める、その時、同じ年頃の女としての園子、父を奪った“女”への憎しみは、父が愛した、“生身の園子”と云う女性を目の前にすることで、すこしずつ変化していった・・・・・・、と、思うのです。
ふつうの人生では、なかなか経験出来ない人間模様、“小津の秋”いろいろと、楽しめる大人の映画です。
まだ、話は、すこし、続きます。
それでは、また来週。
今日は、本筋の明子と園子の話しです。
30年もの間、父を奪った女と、妻と娘を棄てた父を、憎み続ける母と娘。
落ち合う場所に男は現れず、裏切られたと思う女。それでも、30年もの間、どこかで生きているだろ男に、想いを馳せる女。
母が亡くなり、“その女”に会いに行く娘。30年の歳月は、永いのか、短いのか。
裏切られたと思いつづけている女に、駆け落ち場所に向かう途中、病に倒れ亡くなった事を伝え、裏切られたのは“私達”だと告げる娘。
まぁ、そう云うところから、ドラマは展開していくのですが、ドラマッチックとは無縁の普通人としては、こんな人生模様に惹かれるのです。
兎に角です。妻子ある男が、他の女性に、心を寄せ、躰も寄せ、子を孕ませたりするのは、一般的、世間的な常識では、やってはいけない事になっています。
でも、しかし、法律的には、何ら罪には為らづ、お咎めは無いのです。だからと云って堂々とやる行為ではありません、秘かにやるところが・・・・・・ねェ。
でも、いつの世も、不倫はドラマチックで、誰しもが、一度や二度は、自分もと思い、また、思うだけではなく実行してしまう人が後をたたないのです。
不倫は文化だと云った男優が居ましたが、不倫は動物的な本能なのです。まぁ、生物学的の方向に話を進めると、身も蓋も、味気も、何も無く、詰まらなくなるので止めておきます。
詩情あふれる、彩り鮮やかな、美しい蓼科高原の秋を舞台にした、男と女の物語に話しを戻します。
それで、明子の父ですが、観光開発で湿地帯を湖に変える工事の技術者として蓼科を訪れ、園子と出会い恋に落ち、駆け落ちを約束し、叶わままに命が終わる。
それで、映画を見終わり、いろいろ想いを馳せたのですが、明子の父は、自分の死期が迫っていたことを知っていたのでは?と思いました。
事故ではなく病ですから、それなりに自覚症状があった筈ですし、それに人間は自分の死期が近づくと、何となく、それとなく悟るような気がします。
死を意識しながらの叶わぬ恋。ドラマチックです。
湿地帯を美しい湖に変身させ、それを最後の仕事として、美しい自然に包まれ、死んでいきたかった。そこには、美しい女性との物語も必要だった・・・・・・。
そこに、O・ヘンリーの短編小説の文庫本、「最後の一葉」のページに枯葉を挟んで贈った園子。
その文庫本を遺品とて持っていた明子。「最後の一葉」に対する想いは、園子と明子の父とでは、異なっていたと思います。
明子の父は、死んでいった老画家に自分を重ね合わせたと思います。老画家は人生で最高傑作である“一葉”を描いて亡くなり、明子の父は最高傑作の“女神湖”遺して・・・・・・。
女教師の園子の方は、ナレーションで昭和19年に5歳だった語っていたこと、駆け落ちが30年前だったこと、いつから30年前かと云えば、映画の中で“今が”特にふれられていないので、制作年度が“今”と解釈できます。
この映画は2007年の制作ですから、30年前は“1977年”となり、昭和19年(1944年)に5歳ですから、園子の生まれは1939年となります。
そうなると、駆け落ちした時の園子は“三十と七・八歳”と云うことなります。何故こんな年齢計算をしたかと云えば、女性にとって、このあたりの年齢が、かなり微妙だと思うのです。
明子が入浴中に、となりの浴場から、若い男女の睦言を聞いてしまうシーンがあり、
鏡に映し出された、自らの裸身を見つめ、肉体の衰え感じ、不安な表情をするのです。
【このカットで全身のバックショットがほしかったです。沢口さんも44歳ですからねェ~・・・・・・拒否されたのかも?】
求婚をされている明子も、30年前に父を亡くした時、3歳であったことから、園子と父が恋に落ち、駆け落ちをした、微妙な年齢に差し掛かっているのです。
30年前と今では、年齢に対する想いは、かなり異なるかも知れません。30年前の園子は、肉体の衰えに対する焦りは、当然明子以上だったはずです。
いろいろな事を背負い始める、その時、同じ年頃の女としての園子、父を奪った“女”への憎しみは、父が愛した、“生身の園子”と云う女性を目の前にすることで、すこしずつ変化していった・・・・・・、と、思うのです。
ふつうの人生では、なかなか経験出来ない人間模様、“小津の秋”いろいろと、楽しめる大人の映画です。
まだ、話は、すこし、続きます。
それでは、また来週。