歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久市“得月院”と“小川芋銭”と“宇宙人”

2008年05月02日 | お寺・神社
先日、牛久に行って来ました。

“小川芋銭”の雲魚亭、芋銭のお墓のある“得月院”を見物してきました。“イモ・ゼニ”と書いて“ウセン”と読みます。

東京からこちらに移って、いろいろ歩き回り、雲魚亭には何度が訪れています。始めて、案内看板に書かれた“小川芋銭”の文字を見て、

“い・も・ぜ・に? いくら何でも、そうは?、読まないよなァ~”と思ったのですが、“芋”を“う”と読むのを知りませんでした。

兎に角、こちらに来るまで“小川芋銭”の名前はまったく持って知りませんでした。教科書とかクイズとかに出てくる名前ではありません。

私の“有名故人独自ランキング”としては“青木昆陽”の一つ下に位置します。

先ずは、道順から得月院を参拝します。寺の構えとしてはイイ感じです。残念なのが本堂の屋根です。

茅葺き屋根にトタンを被せ、朱色のペンキが塗ってあるのです。これは、明らかに財政上の理由からでしょう。


門前の案内板です。一に芋銭、二に榧、三に五輪塔です。芋銭が一番の売りになっております。


無宗派のようで、本堂の看板には「得月禅院」と書かれています。禅寺のようです。


本堂から山門の眺めもいいです。


“汚れ”が付着し、一部に“曇りガラス化”が進行した“透明ガラス”越しに“密かに撮った”本堂の内部です。ふつうの田舎の、ふつうの本堂です。


これが2番目の売り“榧”です。太く、高く、立派で、確かに四、五百年は生きているようです。


墓地に居た三毛猫です。とても愛想が良く、「ミャーゴ」と声を掛けると、こちらを向いて「ミャーゴ」と返事をしてくれました。


こちらが、3番目の売り「五輪塔」です。“まぁ。そうか”と云った処です。


これが、得月院の一番の売り「小川芋銭」の墓です。墓に刻まれた“小川芋銭墓”の書体は何処かで見たような、律儀で、優しく、ゆったりとして、懐かしい感じがします。


芋銭の戒名 “潮光院清淵芋銭大居士”
        
俗名「小川茂吉」。昭和13年に71歳で亡くなっています。奥さんの「こう」は昭和41年91歳で亡くなりました。女性は長生きです。

奥さんは旦那より13歳年下だったようです。奥さんは丈夫で働き者で、芋銭は虚弱体質だったそうです。

画号の『芋銭』は、『自分の絵が芋を買う銭(金)になれば』という思いによるとの説明を何処かで見ました。

得月院から雲魚亭までは車で5分、歩いて7分ぐらいです。細くてくねくねの道は車では大変なのです。ホントに右折、左折が、連続する道です。

対向車とのすれ違いはかなり困難です、片方が少し広い処を見つけ待機していなければなりません。

得月院の駐車場(20~30台は駐車できそうです。満車になるほど観光客は来ません)に車を置いて歩いた方が賢明です。

雲魚亭です。


3組ほどの見学者が居りました。ここはいつ来ても静かです。来訪者が少ないのです。

ベンチに腰掛け、弁当を食べるのも良いかもしれません。私も以前に二人で来た時は、ここで昼食を摂りました。

     【向かい側が牛久沼方向です】

牛久沼は庭先の林の先なのですが、樹が繁り沼を見渡すことはできません。眼を凝らして見つめれば、梢えの隙間から水面がのぞく程度です。

七重、八重、花は咲けども“山吹”の・・・・・・。綺麗です! 爽やかです! 見事な山吹色です。


芋銭を詠った歌碑です。これは数年前?、十数年前? だったか、たまたま行ったその時に、除幕式に接近遭遇したのでした。


雲魚亭から“カッパの碑”へ続く路です。夏は涼しくて快適ですよ。


芋銭が描いた“カッパの絵”を彫ったものです。芋銭と云えば河童です。河童に“特化”したことで、後世にその名を残したのです。

“河童の芋銭”


ここに刻まれている書ですが、

『誰識古人画龍心』と書いてあり、描いた絵に書き入れる「画賛」です。

【昔は龍を画いて宇宙の尊厳を表したように,私は河童を画いて宇宙太陽系の偉大さに感激し,その不可思議さ大自然の大切さを世に訴えようとしているが,誰かこれを理解してくれる人がいるだろうか】

と、云うような意味なのだそうです。龍で「宇宙の尊厳」は、それなりに理解できるのですが、河童となると・・・・・・世間では、なかな理解し難いところがあります。

でも、しかし、今では、龍よりも河童の方が、宇宙と繋がりをイメージするのは容易だと思います。

河童の“地球外知的生物説”とか“宇宙人説”は、“ある層”に“それなりに”受け入れられています。

背中に背負っているのは「甲羅」ではなく、「生命維持装置」の可能性があります?

     【アヤメ園近く三日月橋の河童】


芋銭も“河童宇宙人説”を密かに抱いていたのかも知れません。こんなことを想像すると、芋銭がぐっと身近に感じてきました。

兎に角です。得月院から雲魚亭、そして、牛久アヤメ園コースはおすすめです。雲魚亭から徒歩10分くらいです。

アヤメの季節には少し早いです。

     【牛久観光アヤメ園】

今週は、我孫子シリーズを中断して、ゴールデンウィーク特集でした。

来週からはシリーズ再開です。

それでは、また来週。


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大統寺“神木の竹柏”と“夏目雅子地蔵”

2008年05月01日 | お寺・神社
昨日の続きです。

先ずは、大統寺の豆知識からです。

正式名称は「龍峰山 大統寺」と云い、宗派は曹洞宗です。龍ヶ崎城主の「土岐胤倫(たねみち)」が、叔父の天岩梵宿和尚を招いて天正13年に開山したそうです

その際、根町台にあった“大”運寺、さらに“大”聖院、天真院の3つの寺を合併して、寺名を大統寺としたそうです。

二つ“大”を統合したので“大統寺”と命名した様な気がします。天真院は二つの寺よりも格下だったのか、統合後の寺名から天真の文字は消し去られました。

現在の本堂は、文化年間(1804~1818)に再建されたそうです。このときに、新築の記念として、本堂の前に竹柏(なぎ)を植えたようです。

昨日は、バランスの良いお寺だと誉め捲ったのですが、チョット気になるのが、参道から見た本堂の“向拝”を覆う樹の枝です。


近づくと、かなり鬱陶しい枝です。


寺の名前が書かれた“大看板”、撮すのに“かなり角度”を考えました。この看板を隠すように枝が張っているのです。


大看板には、禅の文字が加えられ“大統禅寺”となっています。曹洞宗は臨済宗と並ぶ禅宗の二大宗派なのです。

禅宗と聞くと、渋くて、地味な、そんなイメージを抱きます。それに対して、この看板の大きさと云い、金箔文字と云い、“豪華絢爛“で、“派手”で、目立ち過ぎています。

推測ですが、・・・・・・看板は“何処”かの“誰か”から、寄贈されたのですが、住職としては、この“金ピカ大看板”を掲げることは納得できませんでした。

しかし、それでも、寄贈者との“浮き世のしがらみ”から、掲げる事を拒めず、枝を伸ばし覆い隠す作戦に出たのです・・・・・・・・。

そんな“妄想”を抱くほど、不自然でかなり鬱陶しいと感じた次第です。まぁ、これも趣味の問題ですからね。

人によっては、“なかなかケッコー”と思う方も居るのです。

兎に角、こちらはお地蔵様です。


本堂から山門の眺めです。鐘楼に八重桜が似合います。


この鬱陶しい枝の片側の樹は、説明板を読むとかなり珍しい樹のようでした。


竹柏と書いて「なぎ」、始めてみました。


木肌も確かに珍しい。


帰宅後に、広辞苑を見ると、

なぎ【梛・竹柏】
マキ科の常緑高木。暖地に自生。高さ約15メートル。葉は披針形で、多数の平行脈を有し、強靱で光沢がある。雌雄異株。花は夏開き、雄花は淡黄色で小さく、雌花は球形の種子を結ぶ。材質は緻密で床柱・家具用、樹皮を染色および鞣皮じゆうひ剤とする。

熊野地方で神木とされ、竹の葉に似る葉は古く鏡の裏や守り袋に入れて災難除けにした。

          引用終わり


樹の高さは、龍ヶ崎教育委員会では20㍍、広辞苑では15㍍と5㍍程の差があるようです。

それにしても、教育委員会の説明は“植物学的”な内容のみで、何故本堂前に“竹柏”が植えられているのか、“民俗学的”説明がありません。

広辞苑で後段に触れている「熊野地方で“神木”とされ、竹の葉に似る葉は古く鏡の裏や守り袋に入れて災難除けにした」を、説明に追加されていると、それなりに有り難いと思ったりしました。

「花は夏開き、雄花は淡黄色で小さく、雌花は球形の種子を結ぶ」とありましたが、枝の葉を眺めていたら、“球形の種子”を発見しました。


と云う事は、雌雄異株のこの樹は、種子を付けているので“雌”となります。しかし、変です。

“花は夏開き”とありますから、実がなるのは“秋”と思われます。しかし、今は春です。

“狂い咲き?の狂い成り?”、それとも常緑樹なので、去年の花の種子なのでしょうか? 



兎に角、そんな事など考えながら、帰り際に、誰かに似ていた“六地蔵”を改めて見つめていると、思い出したのです!

夏目雅子です! そうです!『西遊記』の“三蔵法師”です!

夏目雅子の三蔵法師に間違いありません!

あの時の、夏目雅子は最高に輝いていました。伊集院静との結婚を境に、不幸が始まりました。本当に残念なことをしました。

改めて、お地蔵様に“合掌”しました。


それでは、また明日。


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