歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

殺人報道が好きなのですか?

2010年01月15日 | 世間話し
今日の朝刊の記事です。

この記事を見て、「エッ!ウッソー!」と思われる方が、かなり居ると思います。母が新聞を読む前に、そのこと云うと、「エッ!ホント?」と、反応しました。

“体感的”には、殺人事件は増加しているのです。でも、“体感”するのは、隣近所、親戚、友人などの被害からではありません。


この記事では、“体感治安”に影響を与えるのは窃盗事件であり、それも減っているとだけ書かれています。でも、しかし、誰しもが“世の中物騒になった”と感じているのです。

普通の人は、世の中の出来事は、新聞、テレビ、週刊誌等の、マスコミ報道で知るのです。マスコミが報道しなければ、その出来事は世の中で発生しなかった事になるのです。

特にテレビの影響が大きいと思います。テレビは視覚に訴え、考えることもなく、映像を眺めているだけで、本人の自覚が無いまま、頭に入り込んでしまうのです。

テレビを眺めていると、殺人事件の報道が“ヤタラ・メッタラ”流れているのです。ワイドショーでは、同じ事件を、毎日、毎日、繰り返し報道するし、番組の中では、同じ映像を、何度も何度も繰り返し流しています。

87歳の母は、新聞の事件報道の繰り返し、テレビの事件報道の繰り返し、週刊誌の新聞広告、その後の裁判開始の報道も、判決の報道も、控訴の報道も、みなん、ゴチャゴチャで、すべて別々の犯罪と、勘違いする事もあるのです。

あるところで、ある方の話では、日本のマスコミの殺人事件報道は異常に多いとの事でした。

外国の殺人事件の発生件数をチョット調べたてみたら、

            殺人        強姦       強盗      
日  本      0.50       1.78      4.07

アメリカ      4.55      32.05    147.36

イギリス      1.61      16.23    179.73

ド イ ツ       1.17       9.12     72.28 

イタリア      1.29       4.05     65.38

フランス      1.78      14.36     41.26

ロシア      19.80       4.78     90.68 

       ※2000年国連統計 件数/10万人

発生率は少ないのです。

報道、特にテレビのワイドショーの影響が大きいと思います。それと、報道番組までがワイドショーと同じように、隣近所のおじさん、おばさんに、事件の感想を聞いたり、犯人や被害者の、隣近所での評判を聞いたり、生い立ちを調べたり、視聴者の欲望な反映なのか、“そこまでやるかァ”と思うのです。

これって、やっぱり、殺人事件は視聴率が取れるからなのでしょうねェ。私の母も、困ったものだと云いながら、殺人報道をよく見ています。

やるから見るのか? 見るからやるのか? まぁ、どっちも、どっちで、イタチごっこ? いや、鶏か卵ですか? 

皆さん、殺人事件が好きなの? いや、殺人関連報道が好き? 

でも、何と云っても、やはり、殺人事件は究極のドラマなので、興味をそそられるのです。でも、見続けると、“体感治安の悪化”と云う、“副作用”を伴います。 

テレビと新聞が、相互に報道姿勢を批判できると、また、それなりに、緊張関係が生まれ、報道もそれなりに変わり、風通しも良くなり、とても良いと思うのですが、現在は、テレビと新聞は、資本系列でしっかりと、堅く結ばれていますから、なかなか難しいのです。

民主党の選挙マニアルに、同一の資本が、テレビと新聞を所有する事を、禁止する法案の提出が書かれていたと?思います。

この辺は、テレビも新聞も採り上げないのようです。記者会見の“開放”も、大手マスコミは“惚けて”いましたが、が少しずつ進んでいるようですから、次は、ここらへんで頑張って貰いたいと思うのです。

でも、これは、かなり、難しいでしょう。でも、すべてを決めるのは世論です。選挙民の支持次第です。でも、世論を作るのは新聞とテレビ、ここら辺も“イタチ”か“鶏”なのです。


それでは、また来週。


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沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その7-

2010年01月14日 | 映画の話し

昨日の続きです。

今日で、“小津の秋”は、ホントに、ホントに、終わりです。

それで、昨日の記事の最後に「キネマ旬報には、いろいろ、云いたいことがある」と書きました。

それで、その事なんですが、“小津の秋”の制作年度を調べようと、キネマ旬報の“映画データーベース”をみたところ、

小津の秋の“ストーリー”が、こんな風に書かれていたのです。


     ----- 引用開始 -----


“新聞記者の佐々木明子”(沢口靖子)は、父の遺品を持って蓼科に来た。取材もあったが、実は探している人に会えるかもしれない、という予感があった。

高原のホテルは秋の気配が立ち籠め、湖は色づいた木立を映していた。明子が吉岡園子(藤村志保)という老婦人を最初に見かけたのは、観光スポットにもなっている小さな庵、無藝荘だった。

無藝荘の守女である園子に、ホテルの支配人(栗塚旭)が恭しく“紅茶”を注ぎ差し出していた。“薄汚れた老婆に仕える紳士、それは奇妙な取り合わせだった。明子はそんな二人に興味を持つ。”

最初は固く心を閉ざしていた園子だったが、徐々に心を開いていった。“「わたし、人殺しなの」嘘か本当か分からない園子の話に明子は引き込まれていく”。園子の穏やかな顔のなかにも戦争の深い傷痕があった。

また、明子には恋人の達也と少し距離を置いて、もう一度自分を見つめ直したいという気持ちもあった。付き合って5年、達也とも最近なにかしっくり来ない苛立ちを感じていた。結婚に踏み切れない自分の中のわだかまり…。

園子のもうひとつの記憶、それは今の明子と同じような年頃のことだった。戦後の混乱の中、“園子は家族のために働き続けた。結婚なんてする資格がないと考えていた。” そんなとき蓼科に女神湖の開発設計の青年と園子は恋に落ちた。

二人は愛を深めていったが、青年には妻子がいた。二人で外国に行こうと約束した日、青年は来なかった。園子は身篭っていた子供を堕ろし、一人旅に出た。

明子は父の遺品である一冊の文庫本を園子に渡した。「あなたが父に贈ったものですね。あなたのおかげで母は狂い私の家庭は地獄のようになりました。父の心にはあなたしか映っていなかった」

文庫本には愛の証である花が挟まれていた。「たとえこの身が灰になっても、わたしはあの人を愛しつづけます」園子は明子に言った。

蓼科に初雪が降った。園子は一人雪を見ていた。淡い雪は積もることなく、蓼科の高原を滑るように転がり、溶けた。

“「園子さん、今日は温かいスープとサンドイッチを用意しました」振り向くとホテルの支配人が少し足を引きずりながら近付いてきた。「茂ちゃん、いつもありがとう」園子は女神のようにほほえむのだった。”

※文中“”で括ったのは私です。

----- 引用終了 -----


それで、先ず、最初はカワイイ誤りで、“新聞記者の佐々木明子”と、ありますが、明子の台詞で、「灯文社の佐々木です」とか、「貧乏出版社ですから」とかあり、画面にも“灯文社”と映し出されています。これは、どう見ても、明子は雑誌記者です。


もう一つ、カワイイ誤りはも“紅茶”です。このシーンでは、明らかに“ヘミングウェーも好きだったコーヒー”です。

そして、最悪なのが。“薄汚れた老婆に仕える紳士、それは奇妙な取り合わせだった。明子はそんな二人に興味を持つ。”

明子は、藤村志保が演ずる園子を、“薄汚れた老婆”と感じ、“薄汚れた老婆”と紳士の“奇妙な取り合わせ”に興味を持った?    

どのシーンの、どのカットの、どの台詞に、そんな表現があったのか? こんな見方しかできない人が、“キネ旬のデーターベース”でストーリーを書いているのです。

そして、ラストシーンが、
“「園子さん、今日は温かいスープとサンドイッチを用意しました」振り向くとホテルの支配人が少し足を引きずりながら近付いてきた。「茂ちゃん、いつもありがとう」園子は女神のようにほほえむのだった。”

こんなシーン、こんな台詞があったのですか? 私が観たのはテレビで放映したものでした。

もしかして、劇場公開の作品とはラストが異なるのですか? そんな事は無い筈です。

これまでの関係、これからの関係からして、園子が「茂ちゃん、いつもありがとう」何て、台詞は不自然です。

ストーリーを書いた人の、かなりいい加減な想像と思われます。それにしても、キネ旬のデータベースは、この程度だったのです。

もしかして、映画を観ないで、観た人の感想だけを聞いて、それもかなり偏った感想を聞いて、それをもとに想像を巡らし書かれたのでしょうか?

これまで、それなりに参考にしていた“データベース”でしたが、これからは、ホントに“参考程度”にした方がよさそうです。

最終回は、ちょっと、映画の本筋からはかなり遠い話となってしまいました。気に入った映画を、こんな書き方をされ、かなり感情的になってしまった・・・・・・。


兎に角“小津の秋”は、30歳半ば以上の特に女性の方、男女ともに50代以上の方には、特におすすめの映画です。


“兎に角「憎しみを赦すのは女神、女神はあなた自身」です。これまでの時間よりも、これからの時間が長い方は、過去の憎しみを赦し、これからの幸せに向かって歩きだしましょう”

まだ観ていない方は、是非、直ぐに、お近くのレンタルビデオ店に向かって走って下さい。でも、50代以上の方は走ってはいけません。


それでは、また明日。


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沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その6-

2010年01月13日 | 映画の話し
昨日の続きです。

今日こそ、ホントに最終回になる、と、思います。

映画はラストシーンに近づきます。

女神湖の畔で、

「ここで父と出会ったのですね」
「えェ」
「父はどんな人でしたか」
「心配してらしたは、あなたのこと・・・、いままで、お話してたの・・・、云ってらしたは、“憎しみを赦すのは女神”だと・・・。明子さん、女神はあなた自身・・・、だから・・・・・・」
「聞こえない・・・・・・・、お父さん・・・」


最後まで、父のことを知ることができなかった明子。

園子が愛した男としての父。

父を愛し、恨み、苦しみ、生きてた園子。

園子を知り、赦す明子。

むかし、明子の父と観た「秋日和」を、明子と観る園子。


父と観た時につけていた、母の形見の帯留めをつけて。


明子のなかにいる父と母。

父が愛した女、園子。

園子が愛した男の娘、明子。


結婚を決めた明子に、園子は母の形見の“鼈甲の帯留め”を贈る。


また、静かな日常に戻る、園子と茂の二人。



いつものように、何もなかったように、コーヒーを飲む二人、このラストシーンで、茂が・・・・・・、


「あァーあ、雪・・・ですねェ・・・」
「あっ、・・・えー・・・」と、ちいさく、つぶやく園子。

園子と茂、明子と出会い、これから、二人の、あたらしい物語がはじまるのです。

戦争、疎開、不倫、駆け落ち、恨み、憎しみ、そして、赦し、いろいろと絡まる大人の映画でした。わたしのなかでは“ベストテン”に入る映画です。


“ベストテン”と云えば、今日の朝刊に、キネマ旬報の2009年度のベストテンが発表されていました。

一位が「ディア・ドクター」でした。わたしが水戸で観た映画です。まぁ、それなりにヨカッタです。一位になると思いませんでした。
※7/27~7/31で記事にしています。

それで、「キネマ旬報」なのですが、いろいろと、云いたい事がありまして・・・・・・。

でも、今日は、区切りのイイこの辺で終わりにします。冒頭で最終回になる書いたのですが、またも、終わりませんでした。失礼しました。

それでは、また明日。
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沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その5-

2010年01月12日 | 映画の話し
昨日の続きです。

まだ、しつこく“小津の秋”で想いをめぐらしています。でも、たぶん、今日が最終回になる筈です。

それで、今回は監督へ“疑問”を、いくつか投げかけたいと思います。

先ずです。冒頭の茅野駅のホームに列車が到着して、乗客が降りてきますが、そこに、あの“永六輔”が映し出されるのです。

偶々乗り合わせ、観客へのサービスカットのつもりで使ったのでしょう。本編にまったく関係なく、映画全体の格調を低下させる邪魔なカットです。

次ぎに、幼い茂と園子がグラマン戦闘機に機銃掃射されるシーンです。
グラマンに気付いた時、茂は川の中にいて、園子は川に降りようとしていたところでした。

訓練されていなくても、ふつう人間の心理として、上から攻撃に対しては、姿勢を低くするとか、低い場所に逃げ込むとか、物陰に隠れようとします。

茂は一段低い川の中、園子はそこに降りようとしていたのです、それに、側に石積みの橋があるのです。咄嗟の判断として橋の下に潜るのが自然です。

それが、ところが、平らで見通しがよく、身を隠す場所もなく、上空からの攻撃には理想的な、刈り入れの終わった田圃を走り、銃撃され傷つくのです。これは、とても、不自然です。

橋の下に隠れて、それでも、茂は機銃掃射で脚を失ったとした方が自然な演出でした。


次ぎに、“不自然その2”として、園子をピクニック誘い断られるシーンで、明子と園子がぶつかり弁当を落とすシーンです。

このカットは、何度も繰り返しても、不可抗力で偶々弁当が落下したように見える、“ぶつかり方”の動作が見つからず、妥協したものと思います。

これは、演出意図として、落下して地面に散らばった弁当を、茂が黙々と拾う事で、明子と茂の関係を表現したかったので、どうしても、何が何でも、弁当を落下させ、地面に散乱させたかった、と、思うのです。


ぶつかり方と云い、重箱に入り、風呂敷にしっかり包まれた弁当が、あのように散乱するのは、とても不自然です。演出意図先行の不自然なシーンでした。

最後に、疑問と云うか、質問と云うか、わたしが映画に詳しくないので分からないのですが、あの“詐欺師”がトランペットで吹いた曲は、何と云う映画の、何という曲なのでしょうか?

あの詐欺師は、何の役割があって登場したのか、まったく判らないのです。あの曲名が判ると、役割が判る演出をしていた、筈なので、とても残念なのです。

このシーンで明子に、

「佐々木さ~ん、あなたにピッタリな曲があります」
「どんな曲ですか?」
「古い映画の主題歌なんですがねェ、オヤジがよく吹いてました」
これで、会話は終わってしまうのです。男に曲名を云わせてほしかった。

そして、このシーン。

【どう見ても、どう転んでも、あの動きは、とても吹いているように見えませんでした】

窓のカーテンが風にゆれ、トランペットの音が部屋に流れ、微睡む明子が父の幻を見る。この映画の主題曲を流す為に、詐欺師を登場させた、筈です。


この曲は、明子の父への想い、父の明子への想い、そのような事を表現する手段として使った、筈です。ですから、この主題曲名は大事なです、判らないと観客は“置いてけ堀”にされ、チンプンカンプンのまま終わってしまいます。

でも、しかし、この曲は云わなくとも、誰もが知っている、超が付くほど有名な映画の、超有名な主題曲なのでしょうか? 知らないのはわたしだけ?

つまらん永六輔のサービスカットを入れたのに、どうして、曲名を云わせるサービスをしなかったのですか、野村惠一さん?

エッ! もしかして? 曲名が判っても、それほど意味がなかったりして? いや、それは絶対に無い筈です。

これを読んだ方で、判る方がいたら教えて下さい! どうも、喉に小骨が刺さっているようで、とても、とても気持ち悪いのです。

今日は、最終回のつもりでしたが、まだ、少し、云い足りない、書き足りない、ので、明日も、想いをめぐらします。


それでは、また明日。


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沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その4-

2010年01月11日 | 映画の話し
先週の続きです。

映画“小津の秋”で、まだ、いろいろと想いをめぐらしています。

先ず、二つ訂正があります。

一つは前回、今を2007年として、駆け落ちが30年前で1977年で、園子の生まれが1944年の時に5歳ですから、生まれたのは「1944-5」で、「1939」なのに、「1933」書き、「1977-1933」は「38歳」なのに、「三十と四・五歳」書き、二重の誤りをしていました。

かなり、これは、ヤバイかも? 頭の中が、ゴチャゴチャしてきました。

もう一つの誤りは、前回、年齢計算で“今”が映画の中に表現されていなかったので、制作年度の2007年を“今”としましたが、先日、もう一度、観たら、画面に“今”が映っていまいた。

“小津安二郎記念映画祭”で、園子と明子の二人が仲良く寄り添い“秋日和”を見に行くシーンに、“第8回”とあったのです。


調べてみたら、第8回は“2005年”でした。映画の中の今は「2005年」が正解です。因みに、実際の第8回映画祭で上映された小津監督作品は、“麦秋”と“おはよう”でした。

ホントの映画祭で“秋日和”が上映されたのは、2000年の第3回です。“小津の秋”の上映は、制作された2007年の第10回の時です。

そうすると、明子が駆け落ちしたときの年齢は、今(2005年)から30年前ですから、1975年となり、明子は1939年生まれですから36歳となります。

まぁ、年齢の細かい計算はこれで止めておきます。以上で、お詫びと訂正を終わります。

それで、本題の“想いをめぐらす”話しに入ります。

それで、陰の主役である“明子の父”なのですが、園子は明子の“父はどんな人だったのですか”の質問には、直接的に一言も答えていません。

山の小学校教師で、まじめに、地味に、質素に、ひたむきに、ひとり寂しく暮らしていた女が、恋に落ち、身籠もってしまう・・・・・・、そんな相手とは?

こういう女性と云うのは、世間では得てして“つまらない男”に引っ掛かる事があるのです。もしかして、明子の父も・・・・・・?、妻子がありながら、別の女性に恋をし、身籠もらせ、駆け落ちですから・・・・・・。

駆け落ちる先が、何と!スペインの“セビリア”ですよ! 花の咲く街を二人で寄り添い歩こう!ですよ! そんな夢のような事を云う男は、ちょっと普通では・・・ねェ。

セビリアと云えば、“スペイン”で、あの“女たらし”の代名詞“ドン・ファン”伝説の舞台です。明子の父は、そんな男では?と思ったりして・・・・・・。まぁ、それでは、映画の流れ的には、チョット・・・・・・・ですね。

それで、セビリアで暮らすの? 就労ビザは? どんな仕事で?どうやって収入を得るの?それとも、甘い夢のひとときを過ごす為の、ひととき旅ですか? 帰国してから、何処で?どうして暮らすの?

二人は“甘い夢の中”に居たのでしょう。きっと、あの時、男が病に倒れず、駆け落ちが成功していたら、二人の仲は“厳しい現実”に押しつぶされ、儚い夢に終わったと思うのです。

恋が成就しなかった事で、悩み、苦しみ、恋い焦がれ、そして、それなりに、甘く輝く夢の一瞬を、想い出として、それなりの夢を、30年の歳月、見続けることができた?

そんな園子を間近で見守り続けていた茂ですが、彼の恋も成就しなかった事で、それなりに夢の中で、“すこ~し愛して、永~く愛して”状態を保っていたのでは?

園子の駆け落ちの過去、園子を銃撃から守り脚を失った茂の過去、いろいろにものを背負い、引きずり、絡み合う、いろいろな障害こそ、人生の、恋の、愛の、香辛料でしょうか?

茂と明子がペンションで食事をするシーンで茂が明子に、

「ここを買わないかと云う話が・・・・・・、まだ思案中です、一人ではできませんから・・・・・・」
「思い切って云ってしまったら、どうですか? 園子さんに! ただ見守っているだけで良いのですか?」
「釣りって云うのはね、魚だけを相手にしていてはダメなんですよ、気温や、水温、気圧、それに時間・・・・・・、難しいですよ、魚を釣るのは、この歳になっても」


恋愛を釣りに例えています。つり上げたらゲームは終了です。

いつしか、物語をゲームとして楽しむ二人に・・・・・・。なん~て事に、想いをめぐらしたりしているのです。

今日も、小津の秋で想いをめぐらしてしまいました。

まだ、しつこく、想いをめぐらします。

それにしても、今日は寒い!


それでは、また明日。
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沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その3-

2010年01月08日 | 映画の話し
昨日の続きです。

今日は、本筋の明子と園子の話しです。

30年もの間、父を奪った女と、妻と娘を棄てた父を、憎み続ける母と娘。

落ち合う場所に男は現れず、裏切られたと思う女。それでも、30年もの間、どこかで生きているだろ男に、想いを馳せる女。

母が亡くなり、“その女”に会いに行く娘。30年の歳月は、永いのか、短いのか。

裏切られたと思いつづけている女に、駆け落ち場所に向かう途中、病に倒れ亡くなった事を伝え、裏切られたのは“私達”だと告げる娘。

まぁ、そう云うところから、ドラマは展開していくのですが、ドラマッチックとは無縁の普通人としては、こんな人生模様に惹かれるのです。

兎に角です。妻子ある男が、他の女性に、心を寄せ、躰も寄せ、子を孕ませたりするのは、一般的、世間的な常識では、やってはいけない事になっています。

でも、しかし、法律的には、何ら罪には為らづ、お咎めは無いのです。だからと云って堂々とやる行為ではありません、秘かにやるところが・・・・・・ねェ。

でも、いつの世も、不倫はドラマチックで、誰しもが、一度や二度は、自分もと思い、また、思うだけではなく実行してしまう人が後をたたないのです。

不倫は文化だと云った男優が居ましたが、不倫は動物的な本能なのです。まぁ、生物学的の方向に話を進めると、身も蓋も、味気も、何も無く、詰まらなくなるので止めておきます。

詩情あふれる、彩り鮮やかな、美しい蓼科高原の秋を舞台にした、男と女の物語に話しを戻します。

それで、明子の父ですが、観光開発で湿地帯を湖に変える工事の技術者として蓼科を訪れ、園子と出会い恋に落ち、駆け落ちを約束し、叶わままに命が終わる。

それで、映画を見終わり、いろいろ想いを馳せたのですが、明子の父は、自分の死期が迫っていたことを知っていたのでは?と思いました。

事故ではなく病ですから、それなりに自覚症状があった筈ですし、それに人間は自分の死期が近づくと、何となく、それとなく悟るような気がします。

死を意識しながらの叶わぬ恋。ドラマチックです。

湿地帯を美しい湖に変身させ、それを最後の仕事として、美しい自然に包まれ、死んでいきたかった。そこには、美しい女性との物語も必要だった・・・・・・。

そこに、O・ヘンリーの短編小説の文庫本、「最後の一葉」のページに枯葉を挟んで贈った園子。

その文庫本を遺品とて持っていた明子。「最後の一葉」に対する想いは、園子と明子の父とでは、異なっていたと思います。


明子の父は、死んでいった老画家に自分を重ね合わせたと思います。老画家は人生で最高傑作である“一葉”を描いて亡くなり、明子の父は最高傑作の“女神湖”遺して・・・・・・。

女教師の園子の方は、ナレーションで昭和19年に5歳だった語っていたこと、駆け落ちが30年前だったこと、いつから30年前かと云えば、映画の中で“今が”特にふれられていないので、制作年度が“今”と解釈できます。

この映画は2007年の制作ですから、30年前は“1977年”となり、昭和19年(1944年)に5歳ですから、園子の生まれは1939年となります。

そうなると、駆け落ちした時の園子は“三十と七・八歳”と云うことなります。何故こんな年齢計算をしたかと云えば、女性にとって、このあたりの年齢が、かなり微妙だと思うのです。

明子が入浴中に、となりの浴場から、若い男女の睦言を聞いてしまうシーンがあり、


鏡に映し出された、自らの裸身を見つめ、肉体の衰え感じ、不安な表情をするのです。

【このカットで全身のバックショットがほしかったです。沢口さんも44歳ですからねェ~・・・・・・拒否されたのかも?】

求婚をされている明子も、30年前に父を亡くした時、3歳であったことから、園子と父が恋に落ち、駆け落ちをした、微妙な年齢に差し掛かっているのです。

30年前と今では、年齢に対する想いは、かなり異なるかも知れません。30年前の園子は、肉体の衰えに対する焦りは、当然明子以上だったはずです。

いろいろな事を背負い始める、その時、同じ年頃の女としての園子、父を奪った“女”への憎しみは、父が愛した、“生身の園子”と云う女性を目の前にすることで、すこしずつ変化していった・・・・・・、と、思うのです。

ふつうの人生では、なかなか経験出来ない人間模様、“小津の秋”いろいろと、楽しめる大人の映画です。


まだ、話は、すこし、続きます。


それでは、また来週。





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沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その2-

2010年01月07日 | 映画の話し
昨日の続きです。

“園子”と“茂”の出会いは昭和19年の“秋の蓼科”でした。


園子を初めて見た時、茂は“恋”をしてしまったのです。田舎者の茂と、


都会から秋の蓼科に現れた少女の園子、茂にとって女神でした。


園子への想いと“赤い靴”


グラマン戦闘機の機銃掃射から、


園子を自分の体を張って守り、


被弾し、傷つき、“血”を流し、片足を失った茂。


蓼科の秋に出会い“真っ赤”な“血と靴”の鮮烈な想い出。助けられた園子と、助けた茂、この過去を二人は、ずっと引きずるのです。

助けた男と、助けられた女、この過去を背負っての愛は結び難いのです。そして、園子には駆け落ちの過去も重なるのです。

時が流れ、ホテルの支配人となり、毎日、コーヒーを持って園子の元へ、杖を突き脚を引きずり通う茂。

茂がホテルマンの修行でイギリスに渡ったのは、園子への想いからでした。都会育ちの園子と、山奥の田舎育ちの茂、その距離を埋めるためです。

イギリスで覚えた“フライフィッシング”も、竹筒でドジョウを捕っていた田舎者から、イギリス紳士に変身し、園子の心を自分に向けさせる手段でした。

しかし、どこか、すれ違うのです。

ヘミングウェーも好きだった高価なコーヒーを園子に進め、“苦い。わたし、ヘミングウェーは嫌いなの”と云われてしまう茂。

園子は、「O・ヘンリー」が好きなのです。その対極にあるような「ヘミングウェー」を口にした茂、どこかで、すれ違っているのです。

明子と一緒にピクニックに誘い、園子に“あなたまで、どうしたの!”と拒絶され、“明子さんが・・・・・”と、口ごもる茂。

明子と園子を会わせる事により、園子が過去を清算し、自分一人に向き合う事を願ったが、それも叶わず。


冷たく拒絶されるのは、いつもの事だったのです。


助けた過去、助けられた過去、互いに過去に縛られ、素直に表現できないもどかしさ、しかし、歳月の流れで、いつしか、その関係を楽しんでいる様にもみえるのです。

男と女の関係、そして、年老いて過去を振り返り、出会った頃の、甘く切ない想いを、楽しむような二人、男と女の関係でもなく、純真無垢の関係。

“わたしたち、変わらないわネェ”と、コーヒーを飲みながら呟く園子。

年老い、すべてを“そぎ落とした”男と女、人生の晩秋、何とも、枯れて味わいのある関係に辿り着いたのです。


小津安二郎の映画は、秋の匂いがします。

“小津の秋”、園子と茂の出会いも、教師時代の園子と明子の父との出会いも、明子が蓼科を訪れたのも秋。

蓼科の秋は美しく、そこには女神が現れ、男を惑わし、物語がうまれる・・・・・・。

それにしても、栗塚旭は良い芝居をしています。声質と云い、台詞の間と云い、表情と云い、立ち振る舞いと云い、園子への一途な想いが伝わってきます。良い歳のとり方をしたようです。

“小津の秋”は明日も続きます。明子と園子のメインストーリーに戻ります。


それでは、また明日。

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沢口靖子の“小津の秋”で想いをめぐらす -その1-

2010年01月06日 | 映画の話し
しばらく前に録画しておいた“小津の秋”を、先日の深夜に一人でじっくり観たのです。

晩秋から初冬に移る蓼科の自然を背景にして、出会い、愛、恋い、別れ、死、嫉妬、憎しみ、同情、理解、和解、赦し・・・・・・、そんな人間模様が描かれるのです。

昔は、こんなテーマの映画は見向きもしなかったのです、それが、どうしたことか見終わっても、何か、とても、いろいろと気にかかるのです。

信州蓼科に自然開発の技師として現れた妻子ある男性と、小学校の女性教師が出会い、恋に落ち、駆け落ちを決意し、その実行の日、男は約束の場所に向かう途中で突然の病に倒れる。

男は死に際にすべてを妻に告白し、死んだら駆け落ち相手の女性に知らせて欲しい頼むが、妻は女への嫉妬から拒絶する。

女性教師は、男の死を知らぬまま、約束の場所で一晩中待ち続け、朝になり、裏切られたと悟。

妻は、夫と相手の女を憎み、精神を病んでしまう。女性教師は裏切った男を忘れられず、想いを抱きつつ30年の歳月がながれる。

そこに、雑誌記者となった娘が、取材を兼ねて晩秋の蓼科を訪れる。

娘は長年付き合って来た男から求婚されているのだが、父と女教師への憎しみを抱いたままでの結婚に答えを出し倦ねていた。

顔も覚えていない父、父を愛した女教師、30年前に何があったのか、何故、妻子ある男を愛し、駆け落ちまでしたのか? それを知ることで、何らかの答えを探しだそうと・・・・・・。

映画“小津の秋”そんな、ストーリーなのです。


雑誌記者“明子”には“沢口靖子”


女教師“園子”には“藤村志保”


そして、園子を“幼いころから想いつづける”ホテル支配人に“栗塚旭”


この三人によりドラマは展開していきます。それで、栗塚旭ですが、私としては久ぶりで、兎に角、驚きでした。最初は誰だか気付きませんでした。

時代劇の、あの“土方歳三”が、気品の漂う老紳士になっていたとは、本当に信じられませんでした。1937年の生まれですから、今年で73歳です。

それで、映画の方ですが、冒頭に近い博物館のシーンで、縄文時代の“女神像”について、館長が“女神は醜く嫉妬深い”との台詞、そして、蓼科は“女神の里”と云わせているのです。


“醜く、嫉妬深く、そして美しく、魅力的な女神”の居る蓼科の地で、妻子ある男と、女教師とのドラマが、30年前に始まったのです。


それとは別に、支配人の“茂”と、女教師“園子”とのドラマは、終戦間際の昭和19年からはじまっていたのです。


この二つの糸が絡み合い、ドラマは展開していきます。


見終わって、気にかかるのは、支配人“茂”でした。

蓼科の開発に訪れた、妻子ある土木技師の男に恋した園子、愛し合い駆け落ちを決意し、裏切られたと想いつつ流れていく歳月。

すべてを知りながら、園子を見守りつづけ、想いを寄せつづける支配人の茂。このへんが、とても、う~ん・・・・・・惹かれるのです。

それは、・・・・・・・。

この続きは次回とします。


それでは、また明日。



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ついに?とうとう?やっと?還暦です!まあそれなりに“大したもんだァ”

2010年01月05日 | その他

本日、わたくしは、何と、還暦を迎えたのです。

還暦デスヨ! まさか自分が60歳になったとは、とても、とても、信じられな~い!のです。

厳しい世の中を、端っこの方で、なんとか60年、う~ん、生きてきたのです。これは、やはり、それなりに“大したもんだァ”と、思ってもみたりしているのです。

厚生労働省発表の「平成20年簡易生命表」によれば、わたくしの“平均余命”は“22.58年”だそうです。

わたくしは、極めて普通の“平均的”な人間ですから、たぶんこの程度は生きていると思うのです。

平成12年の“年齢別生存率”をみると、男性(78歳)、女性(85歳)ともに平均寿命時点で6割が生存しているそうです。

78歳まで生き残った人の、平均余命は“9.59年”だそうで、そうすると、かなりの確率で、87歳まで生き残るかも? 

母は今年の5月で88歳になり、かなり元気に生きてます。

孫からは本日の午後、こんなにカワイイ、誕生祝いのお手紙も届きました。

「・・・またあそびにいきますね」に、成長のあとを感じます。以前ですと「あそびにいくね」と表現されていたのです。「いきますね」ですよ!う~ん、かなり成長しました。

それから、ついに、わたくしも、年金生活に入るのです。本日、銀行に行き、年金請求の、代行を以来する、手続きを済ましてきました。

銀行が手続きの代行をしてくれるのですが、今になって提出書類を、よく見て、よく考えてみると、大した手続きではないと思いました。

銀行が、社会保険事務所よりも遠方にある方は、銀行に任せた方が楽かも知れませんが、銀行より社会保険事務所が近い方は自分で手続きした方がよさそうです。まぁ、その程度の問題です。

1月生まれのわたくしは、2月から年金が支給され、実際の振り込みは3月からだそうです。

それと、厚生年金だけの代行で、年金基金の方は代行してはくれないのです。まぁ、こちらは、厚生年金よりも手続きは簡単です。

還暦で、年金受給で、これで、ホントに“老人”の仲間入りですか?

老人とか、高齢者とか・・・・・・・、そのうち後期高齢者? 

ホントに、ホントに、信じられん! 

先ほど、鏡で、じっくり、我が顔を眺めたのですが、白髪頭と云い、シミと云い、シワと云い、喉や、瞼や、頬の、弛み具合と云い、残念ながら、それなりに、60歳程度の“くたびれ感”が漂っていました。

まぁ、現実は、それは、それで、それなりに、受け入れて、何とか、これからも、それなりに、生きていこうと思うのです。

兎に角! 暦も一巡して、これから新しい門出なのです!

あしたから、以前にも増して、自転車で走りまわりま~~す!

          以上

それでは、また明日。

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お正月に“男たちの大和”

2010年01月04日 | 映画の話し
年が明け、4日が過ぎ、そろそろ、ブログも再開するかと思いつつ、なかなかなのです。年末のごあいさつでは、3日から再開なんて書いたりしていたのですが・・・・・・。まぁ、のんびりとしていたら、もう4日なのでした。

孫が3日に遊びに来て、みんなに笑顔を、いっぱい、いっぱいプレゼントして帰っていきました。ずっと、ずっと、動きぱっなし、しゃべりぱっなしでした。

孫に、“初詣で神様に何をお願いしたの?”と聞いたら、衝撃の!答えが返ってきました。“○○クンか、○○クンのどちらかとケッコンできますように”お願いしたそうなのです。

一人は優しくて、もう一人はカワイイそうで、どちらが良いか? とても迷い、悩んでいるそうなのです。未だ6歳ですよ! ホントに! 今年はピカピカの一年生になります。

しかし、世間では、笑いの無い、暗い話題ばかりで、ホントに困ったものです。

鳩山サンも段々頼り無さが目立ってきて、困ったものです。我々の投票で変えた政権ですから、もう少し我慢してあげます。

それで、先日、テレビで“男たちの大和”を観てしまいました。最初はチラットと覗くつもりが、結局は最後まで観てしまいました。

負け戦と判っていながら、命を賭けて闘う事を強いられ、そんな状況において、そんな状況だからこそ、死ぬことの意味を見つけだそうとする・・・・・・。

いくつかのシーンで涙を流してしまいました。

いつの時代でも、個人は時代の制約から逃れることは不可能なのですが、生存を制約される時代は、極限の制約です。

でも、命を懸けるる事、それが、家族とか、社会とか、国家とか、大きくなれば、なるほど、命を懸ける行為が“美しく”見えてしまうのには、困ったものです。

で、この“男たちの大和”ですが、戦闘シーンの“血だらけの惨たらしさ”が眼につきました。戦場での死を美化しない意図を表現したのでしょう。

戦争映画は、反戦映画でも主人公は、将校で、美男で、美人の恋人や妻がいたりして、とてもカッコよく死んでいく、そんな傾向があったりするのです。

でも、この映画はそれなりに、カッコ良さは避けていたようです。戦場では、ふつうのカッコ悪い、一平卒が、惨たらしく死んでいくのです。

私などは、スクリーンの端っこで、誰にも観られる事も無く死んでいく兵士に、自分の姿を見てしまうのです。

それにしても、公開されたのが2005年だったようで、その当時の事は、うっすらと記憶していますが、タイトルからして、何となく、観るのを避けていた気がします。

今回、観て、これは“戦争を賛美”すると、云うよりも、それなりに、反戦と云うか、どちらかと云えば、非戦的な映画の気がしました。

でも、やっぱり、戦艦大和はそれなりに見た目はカッコ良く、ワクワク感は生じるのです。兵器とか軍服は、それなりにカッコ良く、勇ましいとか、凛々しいとか、かなり魅力的なのです。

やっぱり、思うに、人類は、争い好き、戦争好き、そんな気がするのです。そこを前提にして、考えた方が、いろいろと、良いような、気がするのです。

お正月に、戦艦大和は、それなりに、意味が、あったような・・・・・・。


それでは、また明日。







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