The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
野口悠紀雄教授の“変わった世界 変わらない日本”を読んで
ゴールデン・ウィーク中、安倍首相は欧州を外遊し、アベノミクスの喧伝に努めた。しかし、それを聞いた欧州エコノミストの受け止め方は芳しいものではなく、“Stay short!(売りのままだ!)”と言っていたとの報道があった。何がダメなのか。まず、首相は改革とは言っているが、1年経ってもこれからやるとしか言えないこと。6月に出る予定の“第3の矢”はサプライズなく、期待できそうもないこと。なので、日銀の金融緩和のみに期待しているが、それも“順調に物価上昇している”と日銀総裁が自信を持っていることから、すぐには期待できない。企業業績は、足下は良くてもその先が不透明であること。従い、外人は日本株に妙味なく、昨年仕入れたのを年初から売っており、それを“Stay short!”と叫んだようだ。アベノミクスの口先効果は、市場では年初より既に剥落してきている。
日本の株式市場は、ほぼ外国人の意向に左右されているので、この反応は厳しい。今週はヘッジファンドの決算期末売りのピークになる可能性もある。4月末の終値もチャート的には節目を割り込んでいるとのことで、セリング・メイ(5月売り)は今年もある可能性は高いようだ。
それにしても日本の機関投資家が何故か日本株を買わず国債の売買に明け暮れているのには失望だ。それは一昨年から続いていて、買わずに売っていた。かつての日本市場はセイホ等機関投資家が相場を上げ、海外の相場に影響され難かったが、今は様変わりで、逆に外人の思惑で左右され、前日のニューヨーク相場に敏感に反応し、日本の経済ニュースは日本の雇用よりも米国の雇用を懸念する情けない状態になっている。
私は、安倍首相には日本を未来に向けて改革するのは無理だと思っている。“戦後レジームからの脱却”を目指す人には、将来を見通すより、むしろ過去を指向したほうが分かり易いのだろう。このためか、未来志向の経済政策を二の次にして“集団的自衛権”にこだわっていて、政界はそれで手一杯になるのだろう。
こういう日本の状況を何が問題なのか、経済学的に説明ができるのだろうか。そういう思いで、飛びつくように読んだのが野口悠紀雄教授の最新刊“変わった世界 変わらない日本”であった。それは、1980年代の頃から世界で何が起きていたかの俯瞰から始まる。
まず、サッチャーとレーガンの経済改革があり、米ソの軍備拡張競争からソ連の崩壊があり、計画経済は機能しないことが証明され、マルクス主義経済の機能しないことと市場経済しか選択の余地がないことが判明した。そこへ、IT革命が進行し、それを有効に使えば空間的隔絶を乗り越え、発展する国が出てきた。これにより、垂直統合型の産業から水平分業型産業の有効性が際立って来た。
この結果、70~80年代には日独が台頭したが、米英が復活し逆転したかのような情勢となり、特にIT化に本格対応できなかった日本の衰退がはなはだしい。米国は製造業を縮小し、高度サービス産業の拡大を図り、英国は特に金融業で復活し、総じて脱工業化は進展した。
製造業は発展途上国で開花し、特に経済活動を社会主義から市場経済へ転換させた中国において浸透拡大し、工業化に大成功した。この中で、日本は不良債権処理に追われIT化に産業転換の面で十分対応できず、企業内革新も不徹底のまま新たな産業も興らず、円高の中で主産業の製造業は衰退し目先の効く生産会社は規模に関わらず海外に逃避、産業空洞化は進展した。この環境下で雇用は減少し、追い打ちを駆けるように非正規雇用を是認する法制を整備して、正規雇用はさらに減少、個人間の勝ち組と負け組も鮮明となり、平等な中間層社会は格差社会へと変容し、結果GDPは増加せず、日本の経済的国際的地位は大きく低下した。
このような状況で、100年に一度の金融危機が米国で発生する。このリーマンショック後の世界で何が起きたか。著者は、“傷が最も深かったのは、日本”だと指摘する。“この期間の実質GDPの成長率(年率換算値)は、日本が-12.1%だったのに対して、ユーロ圏は-5.9%、そしてアメリカは-6.2%だった”という。そして“日本の輸出立国モデルも破綻した”とする。確かに一昨年末から貿易赤字は拡大していて、円安変化後も輸出数量が伸びず回復していない。
そんな日本政府は対岸の火事として楽観していたが、結局為すところを知らず、実際に経済危機を回避したのは、中国と米国の市場への資金供給によってであった。そして今後の世界は両国をG2として展開するのではないかという見通しとなる。
しかし、著者はここで覇権国の条件として言われるのは“寛容性”つまり多様な文化・文明を許容する容量の大きさと、包括的な経済制度である市場経済の下での技術革新による経済成長を持続すること、民主的な政治制度(これは自由や寛容を含む制度でもある)の下にあること、だと指摘し、中国はその条件の下にはないと断じている。
次に、日本経済の何が問題なのかを明らかにする。90年代不況で製造業が合理化を推進し、その就業者数を減らす一方、あふれた人々は賃金単価の低いサービス業に移動した。この動きによって、日本の平均賃金は長期にわたって漸減して行った。このように日本人の所得が低下したのが問題であり、デフレにより経済停滞したのではないとしている。従って、“製造業に代わって雇用を創出する新しい生産性の高い産業が登場しなければならない”と言っている。
さらに、貿易赤字の問題に入るが、その原因は“①アメリカの消費ブームの終焉、②発電用燃料輸入の増加、③生産拠点の海外移転”である。ここで日本の電力販売総量の約4分の1は製造業向けであるが、その製造業はかなりの程度海外移転しており、原発のコスト高を考慮すると日本では脱原発が合理的判断なので、電力需要増大を懸念する必要はないとしている。
また、著者は少子老齢化から社会保障関係費の財政支出増大から さらなる財政の硬直化を指摘し、それと円安からインフレの火種はあると言っている。特に個人生活にとっては、インフレは“消費者の実質所得は減少”し、“いったん起これば急速に進行することが多いので、対応する余裕もなく国民生活が破壊されるだろう。”そして、これは拒否できない“過酷な税”であるとも言っている。日本政府には、戦後直ぐにこうしたインフレによって破綻した財政を回復した実績がある。私はこの部分の記述は非常に重要だと思う。それは、現在の日銀はインフレを起こそうと躍起だからであり、恐らくはこのシナリオは必然ではないかと思っている。急激なインフレによって国民の多くの財、特にタンス預金は失われるであろう。
さらに著者は、もし金融緩和等のアベノミクスによって経済の好循環が始まっているのだとすれば、“①実質所得が増えて、実質消費が増える、②金利が下がって、設備投資や住宅投資が増える、③円安によって輸出が増え、輸入は抑制される。この結果、純輸出が増大する、”という変化があるはずだが、起きていないと指摘している。さらに円安は、いずれ原材料価格の上昇により企業収益を圧迫するだろう、とも言っている。
そして、帯に書かれた次の台詞となる。“日本の将来を考えるにあたって最も重要な原則は、「経済法則に逆らってはいけない」ということだ。これまで日本がとってきた経済政策は、経済法則に逆らうものだった。日本は、円安頼みの輸出立国モデルに固執し、為替介入や金融緩和を繰り返し、円安に誘導してきた。その結果、競争力を失いつつあった古い産業が生き延びてしまったのである。”
さて、ここでいう古い産業とは具体的にどの会社であろうか。シャープやパナソニック、ソニーであろうか。否、重厚長大産業のいずれもを指すのであろうか。著者は言う、“新興国が工業化したことを踏まえて、先進国の比較優位がどこにあるのかを考えることが必要である。これが経済法則に従う考え方である。” また、オリンピック誘致を“わずか数週間の需要のために巨額の投資を行えば、将来に向かって大きな重荷を残すことになるだろう”と警告する。
また、日本の経済戦略は、日本の製造業のためアジアの中間層8.8億人をヴォリューム・ゾーンとして、取り込むことを目指しているが、日本のような成熟社会の産業にとってはこのような市場は不適当なのだという。何故ならば、その中間層の“大部分は150万円未満。つまり月収12万円程度”で“日本の生活保護の所帯よりかなり低い”。“こうした消費層に向けた製品は、30万円の自動車や1万円未満の冷蔵庫”とならざるを得ず、“そうしたものを日本の高い賃金で製造して売っても、利益がでるはずがない”からだと言う。比較優位は、経済を貫徹するのだ。
では、日本は何をなすべきか。製造業が縮小する中で、その雇用を引き受ける“高度サービス産業の構築”が必要だと言う。具体的には、金融サービス、データ処理、コンサルティング、会計、法律の専門的サービス等とは言ってはいるが、あまり具体的な提案はない。製造業では水平分業化は進むはずなので、その点を意識するべきであり、或いは、製造プロセスの中の企画、研究開発、設計、マーケティング等の部分に特化することが必要だと言っている。
さらに著者は“人材育成のために高等教育の充実”を言っているが、将来何をなすべきか、となればこれは欠かせないであろう。しかし、日本の高等教育や研究機関は世界的に見て高いのだろうか。先日来の日本の高等研究機関でのスキャンダルから知れた、日本の大学の授与する博士号のレベルがおしなべてあの程度だとしたら、お寒い限りだ。
この本の数々の指摘のようにアベノミクスは 先の先を見つめた戦略になっていない。つまり、短期的に見ても長期的に見ても、その見通しはいい加減な印象であり、特に 足下で宣伝効果がさらに剥落して行くことは間違いないようである。テレビの経済番組に登場する若い日本人コメンテータは、そういうことを知ってか、いずれも元気がないような気がするのが、大いに気懸りなのだ。
日本の株式市場は、ほぼ外国人の意向に左右されているので、この反応は厳しい。今週はヘッジファンドの決算期末売りのピークになる可能性もある。4月末の終値もチャート的には節目を割り込んでいるとのことで、セリング・メイ(5月売り)は今年もある可能性は高いようだ。
それにしても日本の機関投資家が何故か日本株を買わず国債の売買に明け暮れているのには失望だ。それは一昨年から続いていて、買わずに売っていた。かつての日本市場はセイホ等機関投資家が相場を上げ、海外の相場に影響され難かったが、今は様変わりで、逆に外人の思惑で左右され、前日のニューヨーク相場に敏感に反応し、日本の経済ニュースは日本の雇用よりも米国の雇用を懸念する情けない状態になっている。
私は、安倍首相には日本を未来に向けて改革するのは無理だと思っている。“戦後レジームからの脱却”を目指す人には、将来を見通すより、むしろ過去を指向したほうが分かり易いのだろう。このためか、未来志向の経済政策を二の次にして“集団的自衛権”にこだわっていて、政界はそれで手一杯になるのだろう。
こういう日本の状況を何が問題なのか、経済学的に説明ができるのだろうか。そういう思いで、飛びつくように読んだのが野口悠紀雄教授の最新刊“変わった世界 変わらない日本”であった。それは、1980年代の頃から世界で何が起きていたかの俯瞰から始まる。
まず、サッチャーとレーガンの経済改革があり、米ソの軍備拡張競争からソ連の崩壊があり、計画経済は機能しないことが証明され、マルクス主義経済の機能しないことと市場経済しか選択の余地がないことが判明した。そこへ、IT革命が進行し、それを有効に使えば空間的隔絶を乗り越え、発展する国が出てきた。これにより、垂直統合型の産業から水平分業型産業の有効性が際立って来た。
この結果、70~80年代には日独が台頭したが、米英が復活し逆転したかのような情勢となり、特にIT化に本格対応できなかった日本の衰退がはなはだしい。米国は製造業を縮小し、高度サービス産業の拡大を図り、英国は特に金融業で復活し、総じて脱工業化は進展した。
製造業は発展途上国で開花し、特に経済活動を社会主義から市場経済へ転換させた中国において浸透拡大し、工業化に大成功した。この中で、日本は不良債権処理に追われIT化に産業転換の面で十分対応できず、企業内革新も不徹底のまま新たな産業も興らず、円高の中で主産業の製造業は衰退し目先の効く生産会社は規模に関わらず海外に逃避、産業空洞化は進展した。この環境下で雇用は減少し、追い打ちを駆けるように非正規雇用を是認する法制を整備して、正規雇用はさらに減少、個人間の勝ち組と負け組も鮮明となり、平等な中間層社会は格差社会へと変容し、結果GDPは増加せず、日本の経済的国際的地位は大きく低下した。
このような状況で、100年に一度の金融危機が米国で発生する。このリーマンショック後の世界で何が起きたか。著者は、“傷が最も深かったのは、日本”だと指摘する。“この期間の実質GDPの成長率(年率換算値)は、日本が-12.1%だったのに対して、ユーロ圏は-5.9%、そしてアメリカは-6.2%だった”という。そして“日本の輸出立国モデルも破綻した”とする。確かに一昨年末から貿易赤字は拡大していて、円安変化後も輸出数量が伸びず回復していない。
そんな日本政府は対岸の火事として楽観していたが、結局為すところを知らず、実際に経済危機を回避したのは、中国と米国の市場への資金供給によってであった。そして今後の世界は両国をG2として展開するのではないかという見通しとなる。
しかし、著者はここで覇権国の条件として言われるのは“寛容性”つまり多様な文化・文明を許容する容量の大きさと、包括的な経済制度である市場経済の下での技術革新による経済成長を持続すること、民主的な政治制度(これは自由や寛容を含む制度でもある)の下にあること、だと指摘し、中国はその条件の下にはないと断じている。
次に、日本経済の何が問題なのかを明らかにする。90年代不況で製造業が合理化を推進し、その就業者数を減らす一方、あふれた人々は賃金単価の低いサービス業に移動した。この動きによって、日本の平均賃金は長期にわたって漸減して行った。このように日本人の所得が低下したのが問題であり、デフレにより経済停滞したのではないとしている。従って、“製造業に代わって雇用を創出する新しい生産性の高い産業が登場しなければならない”と言っている。
さらに、貿易赤字の問題に入るが、その原因は“①アメリカの消費ブームの終焉、②発電用燃料輸入の増加、③生産拠点の海外移転”である。ここで日本の電力販売総量の約4分の1は製造業向けであるが、その製造業はかなりの程度海外移転しており、原発のコスト高を考慮すると日本では脱原発が合理的判断なので、電力需要増大を懸念する必要はないとしている。
また、著者は少子老齢化から社会保障関係費の財政支出増大から さらなる財政の硬直化を指摘し、それと円安からインフレの火種はあると言っている。特に個人生活にとっては、インフレは“消費者の実質所得は減少”し、“いったん起これば急速に進行することが多いので、対応する余裕もなく国民生活が破壊されるだろう。”そして、これは拒否できない“過酷な税”であるとも言っている。日本政府には、戦後直ぐにこうしたインフレによって破綻した財政を回復した実績がある。私はこの部分の記述は非常に重要だと思う。それは、現在の日銀はインフレを起こそうと躍起だからであり、恐らくはこのシナリオは必然ではないかと思っている。急激なインフレによって国民の多くの財、特にタンス預金は失われるであろう。
さらに著者は、もし金融緩和等のアベノミクスによって経済の好循環が始まっているのだとすれば、“①実質所得が増えて、実質消費が増える、②金利が下がって、設備投資や住宅投資が増える、③円安によって輸出が増え、輸入は抑制される。この結果、純輸出が増大する、”という変化があるはずだが、起きていないと指摘している。さらに円安は、いずれ原材料価格の上昇により企業収益を圧迫するだろう、とも言っている。
そして、帯に書かれた次の台詞となる。“日本の将来を考えるにあたって最も重要な原則は、「経済法則に逆らってはいけない」ということだ。これまで日本がとってきた経済政策は、経済法則に逆らうものだった。日本は、円安頼みの輸出立国モデルに固執し、為替介入や金融緩和を繰り返し、円安に誘導してきた。その結果、競争力を失いつつあった古い産業が生き延びてしまったのである。”
さて、ここでいう古い産業とは具体的にどの会社であろうか。シャープやパナソニック、ソニーであろうか。否、重厚長大産業のいずれもを指すのであろうか。著者は言う、“新興国が工業化したことを踏まえて、先進国の比較優位がどこにあるのかを考えることが必要である。これが経済法則に従う考え方である。” また、オリンピック誘致を“わずか数週間の需要のために巨額の投資を行えば、将来に向かって大きな重荷を残すことになるだろう”と警告する。
また、日本の経済戦略は、日本の製造業のためアジアの中間層8.8億人をヴォリューム・ゾーンとして、取り込むことを目指しているが、日本のような成熟社会の産業にとってはこのような市場は不適当なのだという。何故ならば、その中間層の“大部分は150万円未満。つまり月収12万円程度”で“日本の生活保護の所帯よりかなり低い”。“こうした消費層に向けた製品は、30万円の自動車や1万円未満の冷蔵庫”とならざるを得ず、“そうしたものを日本の高い賃金で製造して売っても、利益がでるはずがない”からだと言う。比較優位は、経済を貫徹するのだ。
では、日本は何をなすべきか。製造業が縮小する中で、その雇用を引き受ける“高度サービス産業の構築”が必要だと言う。具体的には、金融サービス、データ処理、コンサルティング、会計、法律の専門的サービス等とは言ってはいるが、あまり具体的な提案はない。製造業では水平分業化は進むはずなので、その点を意識するべきであり、或いは、製造プロセスの中の企画、研究開発、設計、マーケティング等の部分に特化することが必要だと言っている。
さらに著者は“人材育成のために高等教育の充実”を言っているが、将来何をなすべきか、となればこれは欠かせないであろう。しかし、日本の高等教育や研究機関は世界的に見て高いのだろうか。先日来の日本の高等研究機関でのスキャンダルから知れた、日本の大学の授与する博士号のレベルがおしなべてあの程度だとしたら、お寒い限りだ。
この本の数々の指摘のようにアベノミクスは 先の先を見つめた戦略になっていない。つまり、短期的に見ても長期的に見ても、その見通しはいい加減な印象であり、特に 足下で宣伝効果がさらに剥落して行くことは間違いないようである。テレビの経済番組に登場する若い日本人コメンテータは、そういうことを知ってか、いずれも元気がないような気がするのが、大いに気懸りなのだ。
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