The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
8月の“朝まで生テレビ・ドーする?!地球温暖化”を見て
猛暑の時期は去って、温暖化している?とは言え、朝晩が大分涼しくなってきた。
先週の“朝まで生テレビ”は“激論!ドーする?!地球温暖化”だった。パネリストにはどういう人物を集め、どういう激論になるのか 非常に興味深かったので 見ることにした。
パネリストは、CO2ガスが温暖化の主要因であるとする5人と その議論への懐疑派2人、産業界(東電出身)から1人、官僚出身で中立的装いの人が1人、同じく中立派のエコノミスト1人、という配役であった。これは 面白いと思わせるメンバーであった。特に、パネリストとして参加された懐疑派の丸山氏の 一般向けの図書は読んだことがあるので ますます興味をそそったのである。
番組を見終わっての印象だが、IPCCという組織の評価論についての話題の中で、司会の田原氏が言ったことで、CO2ガスが温暖化の主要因であるとする5人に向かって、苛立ち紛れに “何だか、共産主義者みたいだね。”と言い、それに追い討ちをかけるようにエコノミストの吉崎氏が“何か皆同じことを言っていて、どこかの回し者のような気がする。”と言っていたのが 非常に残っている。
それについては 私も同感なのである。何だか 一つの思い込みにのめり込んでしまっていて、他の議論を受け付けない心理状況に陥ってしまっているかのようだ。
CO2ガスが温暖化の主要因であるとする江守氏が “健全な懐疑論と不健全な懐疑論がある。”と かなり鼻持ちならない 分かり切った解説を くどくどしくしていたが、その台詞はそのまま 彼ら自身に お返ししたいような気分である。IPCCの権威が絶対化してしまっているという状態で 彼らの思考回路には 最早他の議論が入り込まないようだ。IPCCの結論をドグマ化するのは 非常に危険な精神状態と言わざるを得ない。そして、そういう人々の見解が 世の中の主流になってしまうのは危いと思うのだ。
何だか 世界の科学者の多数決の中に真理があるかのような議論は 絶対的に危険なのだ。
“CO2ガスの排出量”の予測が こうした議論のベースになるが、これは 世界の経済がどうなるか、という予測をベースにしなければならない。これについてエコノミストは “経済予測が 正確に当たった例はない”と言っていた。
ところが、どうやら明日香氏らは、2%の経済成長をしながら、“CO2ガスの排出量80%削減は可能”としているらしい。そこには お気楽にも 環境産業が新たな雇用を創出するなどという要素も入っているようだ。
これには、東電顧問の桝本氏が 珍しく いささか激して“既に この7月の失業率や失業者がピークに達している時期に、様々な経済活動に付加価値を付けながら、経済的負担を負い、法人税を支払いながら (そのような困難なことを 気楽に)可能だなどと言うのは 無責任に過ぎる。”と 言っていたが、その議論には大いに共感するのだ。
将来の暗い警告を発しながら、意識的にお気楽な経済予測を使うという、捩れた発想に違和感を感じるのだ。“容易に出来ることなのに、日本の産業界はやらない。”という議論へ持ち込むためのワナとしか思えない。
また 彼らの議論は コンピュータ・シミュレーションの結果が相当な決め手になっているようだが、シミュレーションは 所詮 シミュレーションでしかないのではないか、と私は思っている。特に、こういう気候変動と言った議論に使用するには 考慮すべき要因(変数)が 多過ぎて 計算しきれないのではないか、と思う。それに、“どうしても 現実に合わない部分が出てくることが往々にしてあるが、その場合は係数合わせで対応するのが、こういったコンピュータ・シミュレーションでは よくやる手法だ。”という陰の声もあるのは事実だ。それに、10年以内の将来予測なら 信じられるかも知れない。それも“温暖化するか、しないか”という Yes,Noの定性的な解に使う程度の話であって、50年、100年先の気温が定量的に何度になるかなどという話になるとマユツバもの、と言わざるを得ないと思っている。
江守氏自身が“自然変動で、何も原因がなくても (大気と海水面の間に)いろんな動きをしていて、温度が上がったり下がったりしている。”などと 全く科学者らしくない発言をしていたのには驚いてしまった。そして こう言いつつ、この原因がよくわからないエルニーニョ現象も計算モデルに入れていて、この現象の予測もこのモデルの中ではできている、という意味のことを話していたが、これは 私には引っかかるのだ。“原因がわからない”のに、計算に取り込むきっかけというか、エルニーニョ現象のインプット条件の設定をどうしているのか 不思議に思うのだ。そこに計算者の恣意が入り込むのなら シミュレーションの意味はないからだ。つまりどうしても“温暖化する”結論が欲しい人が 恣意的にモデルを作るのならば そのようにコンピュータは 御託宣を出してくれるのではないのか。
この疑問は重箱の隅の議論ではない。こうした要因(変数)が多い現象をシミュレーションする時は 見落とした現象が解に与える影響が意外に大きかったりするものなので、重箱の隅の議論はシミュレーションには重要なのだ。小さいと思った要因が 思わぬ結果を出すということを明らかにするのがシミュレーションの効用だからである。現に、大気成分の高々350ppmに過ぎないCO2ガスが それこそ地球温暖化に 大きく影響することがシミュレーションで分かった、という議論をしているではないか。一見些細な事象を見落としてはシミュレーションの意味はないのだ。一見些細な事象を正確にモデルに取り込まなければ 予測不可能なのである。まして100年先のこととなると 詐欺に近いものがある。
口の悪い誰かが“今の シミュレーションは 正解を見ながら、答案を作っているようなものだ。直近の現象が 合っているからと言って、それを先に延ばして 予測などと言えるのか。”と言っていたが、江守氏も そうなのだろうか。現実との不整合を見ながら、幾度も バージョン改訂しなければならない予測は 予測と言えるのだろうか。それが 科学と言える代物なのだろうか。科学は原理原則から事態を予測するものであって、原理原則がふらついていては科学とは言えまい。江守氏は 果たして科学者なのか。予想屋なのか。
末吉氏は“これ(CO2ガスが温暖化の主要因とする議論)が世界の潮流であって、日本が乗り遅れるべきではない。”としきりに言っていたが、“世界の潮流”が 常に正しいことである、と言えるのだろうか。これも 非常に危険な発想である。戦前の“バスに乗り遅れるな!”という掛け声で議論を打ち切ってしまう精神を想起させるものがある。この精神構造で戦争に突入したのだ。“世界の潮流”が正しいのなら、あの金融資本主義の世界の潮流はどうなったのか。同氏は“あれは間違いだった。”との発言はしていた。この人は付和雷同型の思考をする人で、“世界の潮流”に乗って一旗上げたいと思っているのであろう。ちなみに、この人は“このままでは日本は理路整然と間違う”などという 訳のわからない台詞のレポートを A4の紙にスペースを無駄に使って政府に提出した 御仁である。この番組に登場した肩書きを見ると“国連環境計画特別顧問”となっているが、“国連”にも相当怪しい人々が群がっている印象だ。
とにかく、私にとって“CO2ガスが温暖化の主要因である”という議論は 信頼度が低い、という印象は依然として打ち消すことはできなかった。これが この番組を見ての私の感想である。
だが、誤解しないでいただきたい。地球資源が 人口爆発によって枯渇するのは 人類社会に迫っている最大の危機要因であるのは間違いない“事実”だと思っている。だからこそ、省エネ、省資源は重要なのだ。“CO2ガス排出抑制”のために省エネ、省資源の活動を展開するのではないのだ。これこそが 私が信じるドグマなのだ。
正に丸山氏が、“世界の資源の50%を これまでの100年で使いきってしまった。残り 50%があるはずだが、それは、これまで、欧米と日本の約7億人が100年かけて使ったのであって、これからは、中国13億人、インド12億人、その周辺のアジアの人々40億人も参加して 使い始める訳だから たちまち枯渇するのは明らかなのだ。”と言っていたことに尽きるのだ。
やろうとしていることは 全体的に一見同じようだが方向性は 全く異なっているのだ。だからこそ、CO2ガスの排出量取引や、そのためのキャップ&トレードなどは 全く怪しい話だと考えているし、原子力発電も慎重に推進するべきだと思っているのだ。この違いは 大きく、非常に重要なのだ。
この番組でも議論があったが、排出権取引こそは またあの忌まわしい金融資本主義の暗躍の場を提供するだけなのだ。金融界出身の末吉氏はその代理人なのだろうか。米国発のIPCCのドグマは そのためのものなのだろうか。
とにかく“温暖化防止”と称して 無駄なエネルギーを大量に費消するのは、資源の無駄遣いではないかと心配なのである。それが当たっていないことを願っている。“温暖化防止”が 地球の運動を止めようとする行為に等しいものとなっていないか、心配なのである。

先週の“朝まで生テレビ”は“激論!ドーする?!地球温暖化”だった。パネリストにはどういう人物を集め、どういう激論になるのか 非常に興味深かったので 見ることにした。
パネリストは、CO2ガスが温暖化の主要因であるとする5人と その議論への懐疑派2人、産業界(東電出身)から1人、官僚出身で中立的装いの人が1人、同じく中立派のエコノミスト1人、という配役であった。これは 面白いと思わせるメンバーであった。特に、パネリストとして参加された懐疑派の丸山氏の 一般向けの図書は読んだことがあるので ますます興味をそそったのである。
番組を見終わっての印象だが、IPCCという組織の評価論についての話題の中で、司会の田原氏が言ったことで、CO2ガスが温暖化の主要因であるとする5人に向かって、苛立ち紛れに “何だか、共産主義者みたいだね。”と言い、それに追い討ちをかけるようにエコノミストの吉崎氏が“何か皆同じことを言っていて、どこかの回し者のような気がする。”と言っていたのが 非常に残っている。
それについては 私も同感なのである。何だか 一つの思い込みにのめり込んでしまっていて、他の議論を受け付けない心理状況に陥ってしまっているかのようだ。
CO2ガスが温暖化の主要因であるとする江守氏が “健全な懐疑論と不健全な懐疑論がある。”と かなり鼻持ちならない 分かり切った解説を くどくどしくしていたが、その台詞はそのまま 彼ら自身に お返ししたいような気分である。IPCCの権威が絶対化してしまっているという状態で 彼らの思考回路には 最早他の議論が入り込まないようだ。IPCCの結論をドグマ化するのは 非常に危険な精神状態と言わざるを得ない。そして、そういう人々の見解が 世の中の主流になってしまうのは危いと思うのだ。
何だか 世界の科学者の多数決の中に真理があるかのような議論は 絶対的に危険なのだ。
“CO2ガスの排出量”の予測が こうした議論のベースになるが、これは 世界の経済がどうなるか、という予測をベースにしなければならない。これについてエコノミストは “経済予測が 正確に当たった例はない”と言っていた。
ところが、どうやら明日香氏らは、2%の経済成長をしながら、“CO2ガスの排出量80%削減は可能”としているらしい。そこには お気楽にも 環境産業が新たな雇用を創出するなどという要素も入っているようだ。
これには、東電顧問の桝本氏が 珍しく いささか激して“既に この7月の失業率や失業者がピークに達している時期に、様々な経済活動に付加価値を付けながら、経済的負担を負い、法人税を支払いながら (そのような困難なことを 気楽に)可能だなどと言うのは 無責任に過ぎる。”と 言っていたが、その議論には大いに共感するのだ。
将来の暗い警告を発しながら、意識的にお気楽な経済予測を使うという、捩れた発想に違和感を感じるのだ。“容易に出来ることなのに、日本の産業界はやらない。”という議論へ持ち込むためのワナとしか思えない。
また 彼らの議論は コンピュータ・シミュレーションの結果が相当な決め手になっているようだが、シミュレーションは 所詮 シミュレーションでしかないのではないか、と私は思っている。特に、こういう気候変動と言った議論に使用するには 考慮すべき要因(変数)が 多過ぎて 計算しきれないのではないか、と思う。それに、“どうしても 現実に合わない部分が出てくることが往々にしてあるが、その場合は係数合わせで対応するのが、こういったコンピュータ・シミュレーションでは よくやる手法だ。”という陰の声もあるのは事実だ。それに、10年以内の将来予測なら 信じられるかも知れない。それも“温暖化するか、しないか”という Yes,Noの定性的な解に使う程度の話であって、50年、100年先の気温が定量的に何度になるかなどという話になるとマユツバもの、と言わざるを得ないと思っている。
江守氏自身が“自然変動で、何も原因がなくても (大気と海水面の間に)いろんな動きをしていて、温度が上がったり下がったりしている。”などと 全く科学者らしくない発言をしていたのには驚いてしまった。そして こう言いつつ、この原因がよくわからないエルニーニョ現象も計算モデルに入れていて、この現象の予測もこのモデルの中ではできている、という意味のことを話していたが、これは 私には引っかかるのだ。“原因がわからない”のに、計算に取り込むきっかけというか、エルニーニョ現象のインプット条件の設定をどうしているのか 不思議に思うのだ。そこに計算者の恣意が入り込むのなら シミュレーションの意味はないからだ。つまりどうしても“温暖化する”結論が欲しい人が 恣意的にモデルを作るのならば そのようにコンピュータは 御託宣を出してくれるのではないのか。
この疑問は重箱の隅の議論ではない。こうした要因(変数)が多い現象をシミュレーションする時は 見落とした現象が解に与える影響が意外に大きかったりするものなので、重箱の隅の議論はシミュレーションには重要なのだ。小さいと思った要因が 思わぬ結果を出すということを明らかにするのがシミュレーションの効用だからである。現に、大気成分の高々350ppmに過ぎないCO2ガスが それこそ地球温暖化に 大きく影響することがシミュレーションで分かった、という議論をしているではないか。一見些細な事象を見落としてはシミュレーションの意味はないのだ。一見些細な事象を正確にモデルに取り込まなければ 予測不可能なのである。まして100年先のこととなると 詐欺に近いものがある。
口の悪い誰かが“今の シミュレーションは 正解を見ながら、答案を作っているようなものだ。直近の現象が 合っているからと言って、それを先に延ばして 予測などと言えるのか。”と言っていたが、江守氏も そうなのだろうか。現実との不整合を見ながら、幾度も バージョン改訂しなければならない予測は 予測と言えるのだろうか。それが 科学と言える代物なのだろうか。科学は原理原則から事態を予測するものであって、原理原則がふらついていては科学とは言えまい。江守氏は 果たして科学者なのか。予想屋なのか。
末吉氏は“これ(CO2ガスが温暖化の主要因とする議論)が世界の潮流であって、日本が乗り遅れるべきではない。”としきりに言っていたが、“世界の潮流”が 常に正しいことである、と言えるのだろうか。これも 非常に危険な発想である。戦前の“バスに乗り遅れるな!”という掛け声で議論を打ち切ってしまう精神を想起させるものがある。この精神構造で戦争に突入したのだ。“世界の潮流”が正しいのなら、あの金融資本主義の世界の潮流はどうなったのか。同氏は“あれは間違いだった。”との発言はしていた。この人は付和雷同型の思考をする人で、“世界の潮流”に乗って一旗上げたいと思っているのであろう。ちなみに、この人は“このままでは日本は理路整然と間違う”などという 訳のわからない台詞のレポートを A4の紙にスペースを無駄に使って政府に提出した 御仁である。この番組に登場した肩書きを見ると“国連環境計画特別顧問”となっているが、“国連”にも相当怪しい人々が群がっている印象だ。
とにかく、私にとって“CO2ガスが温暖化の主要因である”という議論は 信頼度が低い、という印象は依然として打ち消すことはできなかった。これが この番組を見ての私の感想である。
だが、誤解しないでいただきたい。地球資源が 人口爆発によって枯渇するのは 人類社会に迫っている最大の危機要因であるのは間違いない“事実”だと思っている。だからこそ、省エネ、省資源は重要なのだ。“CO2ガス排出抑制”のために省エネ、省資源の活動を展開するのではないのだ。これこそが 私が信じるドグマなのだ。
正に丸山氏が、“世界の資源の50%を これまでの100年で使いきってしまった。残り 50%があるはずだが、それは、これまで、欧米と日本の約7億人が100年かけて使ったのであって、これからは、中国13億人、インド12億人、その周辺のアジアの人々40億人も参加して 使い始める訳だから たちまち枯渇するのは明らかなのだ。”と言っていたことに尽きるのだ。
やろうとしていることは 全体的に一見同じようだが方向性は 全く異なっているのだ。だからこそ、CO2ガスの排出量取引や、そのためのキャップ&トレードなどは 全く怪しい話だと考えているし、原子力発電も慎重に推進するべきだと思っているのだ。この違いは 大きく、非常に重要なのだ。
この番組でも議論があったが、排出権取引こそは またあの忌まわしい金融資本主義の暗躍の場を提供するだけなのだ。金融界出身の末吉氏はその代理人なのだろうか。米国発のIPCCのドグマは そのためのものなのだろうか。
とにかく“温暖化防止”と称して 無駄なエネルギーを大量に費消するのは、資源の無駄遣いではないかと心配なのである。それが当たっていないことを願っている。“温暖化防止”が 地球の運動を止めようとする行為に等しいものとなっていないか、心配なのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

« 五反田?のサンマ | 京都・本家尾... » |
コメント |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |