The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“意思決定のためのリスクマネジメント”を読んで―網羅的な工学系のリスク論
昨年末“意思決定のためのリスクマネジメント”を読んだのでコメントしたい。その内容はリスク・マネジメントで考慮するべきことをほぼ網羅的に記述しているもので、リスク・マネジメント全般を知るテキストとして使える力作だと思う。だが、非常に残念なのは、ISO31000について本の一部を割いて深く言及していないことである。この本は平成23年つまり2011年に第一版第一刷となっているが、ISO31000は その時既に発効していたはずにもかかわらず言及していない。恐らくこの本を企画したにもかかわらず、ISO31000の情報を事前に入手することもなく書き進めていて、しかも発行後も著者の筆が進まず、気付いていても今更構成を変える訳にも行かないため、生じた違和感なのであろう。リスク・マネジメントを意識したISO9001やISO14001には言及しているので、もう少し ISO31000にも言及すべきであっただろう。序文には、言い訳がましく“本書がISO31000の逐次解説を意図したものではない”とは言っているのだが、・・・。
さらに言えば、この本ではCOSOや内部統制には言及している。しかし、それを強く意識して運用される金融業界で使用されているヴァリュー・アット・リスクVARの概念に代表される財務リスクには言及していない。また 斯界に激震を与えた本“ブラック・スワン”にも言及していない。この点については、前に読後感想を書いた“リスク、不確実性、そして想定外”では、本の構成の流れの上に設定されているテーマとなっていた。
そう考えると、この本の序文で“リスクは金融工学や安全工学などの異なる分野ごとに研究される” ようになったため、“リスクとその概念は多様化することになり、リスクの理解が複雑化することになった。そのため「リスクには本家が存在せず、分家だらけである」などと揶揄されることになるのである。”と指摘しているように、それぞれでタコツボを掘っている印象だ。それにしても、「分家だらけ」とは至言であるが、どなたの言であるのだろうか。
この本の著者・榎本徹氏は日刊工業新聞社刊の雑誌“ISOマネジメント”には投稿多数のようであり、“環境ボランティアを指向する”と紹介されているので、恐らく工学系の人であろう。それに対し、“リスク、不確実性、そして想定外”の著者・植村修一氏は、日本銀行出身の金融マン。
つまるところ、この本は安全工学系の視点からのリスク・マネジメント解説であり、“リスク、不確実性、そして想定外”は金融工学系の視点からの解説であると理解すれば良く、どうやら世の中には この2つの系統のリスク・マネジメント論が存在すると思えば良いのであろう。日本におけるリスクの学会も この2つの系統で存在するようだ。
だが、このように互いに行き来することなくタコツボを掘っているのは、健全な状態とは言えないのではないか。また、この分類から重要な研究分野がこぼれ落ちることはないだろうか。例えば、国家の意思が激突する軍事的リスク研究は、どちらに所属するべきだろうか。金融系の“リスク、不確実性、そして想定外”には軍事エピソードが多く語られているのだが、軍事は本来 理工学系のものではないだろうか。戦争はある種の技術論であるし、工学的にISO9001は米軍のMIL規格にその源流を見ることからも分かることだ。
このようなことを考えている内に、気付いたのだが、この“意思決定のためのリスクマネジメント”は工学系にもかかわらず、FMEAには深く言及していない。一方、この本ではFTAについては、デシジョン・ツリーからの発展として結構詳しく言及している。通常、工学系の安全のための手法として、FMEAとFTAを同じテキスト内で論じられることが多いにもかかわらず、この点に関し奇異な印象を与えている。むしろ、自動車用のISO/TS16949のコア・ツールとしてはFMEAは 取上げられているが、FTAは そのように扱われていない点を考慮すれば、FMEAの方が汎用的で重要であるとも考えられるのだが・・・。
こう断言するのも問題あるかも知れないが、そう言えば工学系にもかかわらず、プラントのメンテナンスで使われるRBMにも言及していないのも残念なことである。そうなると、ベイズ理論にも言及しなければならないだろう。またHAZOPという手法も紹介するべきだったかも知れない。
何だか気付けば、この本“意思決定のためのリスクマネジメント”への批判ばかりになってしまったが、私はこの本で“1.2.1生命の進化とリスクマネジメント”で解説しているように、地球史の生命誕生以降の視点でリスクを論じる姿勢には好印象を持つのだ。私は、このように生命への危害という観点から、かつて生命にどのようなリスクが存在していたのかを理解しておくことは重要であると思うからだ。このような視点を欠いたままリスクを論じるのは、どこかに危うさをはらむのではないかと思うのだ。
例えばIPCCのように地球史的に見れば近視眼的な視点で気候を見てしまったために、最近の温暖化の主因が人類の活動によるものだという主張をしてしまう誤りを犯すのであり、そうしたことを誤りだとも見抜けなくなるのだと思っている。
この本では、内部統制について、その限界を指摘しているが、これは重要なことだ。“判断の誤りや不注意、そして複数の担当者(特に、経営者や権力者)による共謀によって内部統制が有効に機能しなくなる場合(たとえば内部統制でヒューマンエラーを防止することは困難)”や“想定外の組織内外の変化や否定型な取引等には必ずしも対応しない場合”、“内部統制の整備及び運用に際しては、費用と便益との兼ね合いを考慮するべき”としている。だが、具体的にどうするべきかまでは言っていない。つまるところ、仕組を構築して運用しつつ それ自身を組織の権力者や外部監査によるチェック機能を働かせ、PDCAを回して継続的改善が可能な柔軟な組織構造にすることが肝要なのであろう。
また、最後に意思決定の限界性についても指摘しており、それを考慮した仕組構築と対策が必要なのであろう。
モンティ・ホール問題*や、固定観念をパラダイム・シフトすることの重要性、専門家の固定観念への留意**、非常に大きいショックによるパラダイム・シフト、擬似相関、囚人のジレンマ、サンクコストに引きずられる判断、いわゆるKKD(勘と経験、度胸)によるヒューリスティック、多すぎる選択肢による混乱、統計的処理における母集団の不適切性による誤判断等を取上げている。
こうした人間の判断ミスを誘うような要因をあげてはいるが、では組織的に仕組上どう防止・抑制するのかまでは述べてくれていない。組織の状況によって、いろいろな対応があり過ぎるからであろうか。
*この本のモンティ・ホール問題の解説は分かりやすい。
**専門家の固定観念の問題は、それに頼るデルファイ分析の有効性への疑念を抱かせるが、どうなのだろう。
こうした誤判断や直感に基づくヒューマン・エラー対策をテーマにして、別途 何らかの系統的分析をした研究があってもよいのではないかと思われるが、そういった本は あまり見かけないような気がする。そう言えば、ポカ・ミス対策についてのまとまった書物も中々見当たらない。
それから、“リスク・マネジメントは失敗しないためのマネジメント”であることを肝に銘じるべきで、“失敗に学ぶ”ことや様子見のためのPDCAを前提としたリスク・マネジメント・システムでは、本末転倒となる。特に、変化の激しい業界や製品寿命の短い業界では、失敗は許されない状態にあり、PDCAを回す余裕すらないと言える。そのためにはリスクを意識したP(計画・企画)が 特に重要なプロセスとなるのであり、様々なプロセス内での小さなPDCAをこまめに回すマネジメントが必要となるのであろう。小さなPDCAをこまめに回すには、優秀なミドルの存在が鍵となる。
失敗すれば、営々として築き上げたブランドやレピュテーション(信頼)が一朝にして崩れてしまうのであり、巨大な損失となる時代となっている。当然、このことは、この本でも指摘している。ここにリスク・マネジメントが脚光を浴びる御時勢となっている理由があるのだろう。しかし、想定外の外部影響は尽きることはなく、また人間は経験を経ないと 理解できない部分もあるので硬直化したルールや仕組は問題であることも事実だ。だが、仕組には原則が必要なので、この辺りの勘案が難しいところなのだろう。
また組織の仕組の問題として、品質システムや環境システム、その他のシステムとの組み合わせの中でリスク・マネジメントをどのようにビルト・インするかも大きな問題であろうが、それはその組織の歴史的発展の経過も含めて様々な形態となることを想定するのが肝要であろう。
さて、今新聞紙上を賑わしている2つの大事件は、いずれもリスク・マネジメントを航空会社やプラント建設メーカがどのように行っていたかの問題であろう。航空会社は新鋭機のトラブルの確率を どのように見込んで新しい路線開設等の経営戦略を構築したのか、プラント建設メーカは非合法アラブ武装勢力の動きの情報をどの程度把握し、想定していたかと言ったリスク感覚の問題でもある。
特に 新鋭機のトラブルの確率については、最新技術の集積であるため各システムにブラック・ボックスがあるということだが、それはリスク・マネジメント上全く好ましいことではない。機材運用者としては、その程度のリスク算定のノウハウは持っているべきだが、ブラック・ボックスの存在がトラブル発生確率算定の手懸りを阻害するからだ。そのような機種に闇雲に依存する経営戦略は問題ではなかっただろうか。
また情報収集能力の乏しい日本政府の下で、世界の危険地帯でのビジネスを展開せざるを得ない日本企業は、政府以上の情報収集力を持たねばならない。しかし、そうした独自情報を入手できる状態にない場合、その地域での活動は差し控えるというリスク感覚が必要ではなかったかと思う。また今回の危機に際して、慌てふためいて情報不足を嘆いているのは、危機対応力が全く欠如している印象である。
こうしたリスク感覚の乏しいままでのビジネス展開は、その企業のブランドやレピュテーション(信頼)を今後大きく棄損することになるのではなかろうか。
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さらに言えば、この本ではCOSOや内部統制には言及している。しかし、それを強く意識して運用される金融業界で使用されているヴァリュー・アット・リスクVARの概念に代表される財務リスクには言及していない。また 斯界に激震を与えた本“ブラック・スワン”にも言及していない。この点については、前に読後感想を書いた“リスク、不確実性、そして想定外”では、本の構成の流れの上に設定されているテーマとなっていた。
そう考えると、この本の序文で“リスクは金融工学や安全工学などの異なる分野ごとに研究される” ようになったため、“リスクとその概念は多様化することになり、リスクの理解が複雑化することになった。そのため「リスクには本家が存在せず、分家だらけである」などと揶揄されることになるのである。”と指摘しているように、それぞれでタコツボを掘っている印象だ。それにしても、「分家だらけ」とは至言であるが、どなたの言であるのだろうか。
この本の著者・榎本徹氏は日刊工業新聞社刊の雑誌“ISOマネジメント”には投稿多数のようであり、“環境ボランティアを指向する”と紹介されているので、恐らく工学系の人であろう。それに対し、“リスク、不確実性、そして想定外”の著者・植村修一氏は、日本銀行出身の金融マン。
つまるところ、この本は安全工学系の視点からのリスク・マネジメント解説であり、“リスク、不確実性、そして想定外”は金融工学系の視点からの解説であると理解すれば良く、どうやら世の中には この2つの系統のリスク・マネジメント論が存在すると思えば良いのであろう。日本におけるリスクの学会も この2つの系統で存在するようだ。
だが、このように互いに行き来することなくタコツボを掘っているのは、健全な状態とは言えないのではないか。また、この分類から重要な研究分野がこぼれ落ちることはないだろうか。例えば、国家の意思が激突する軍事的リスク研究は、どちらに所属するべきだろうか。金融系の“リスク、不確実性、そして想定外”には軍事エピソードが多く語られているのだが、軍事は本来 理工学系のものではないだろうか。戦争はある種の技術論であるし、工学的にISO9001は米軍のMIL規格にその源流を見ることからも分かることだ。
このようなことを考えている内に、気付いたのだが、この“意思決定のためのリスクマネジメント”は工学系にもかかわらず、FMEAには深く言及していない。一方、この本ではFTAについては、デシジョン・ツリーからの発展として結構詳しく言及している。通常、工学系の安全のための手法として、FMEAとFTAを同じテキスト内で論じられることが多いにもかかわらず、この点に関し奇異な印象を与えている。むしろ、自動車用のISO/TS16949のコア・ツールとしてはFMEAは 取上げられているが、FTAは そのように扱われていない点を考慮すれば、FMEAの方が汎用的で重要であるとも考えられるのだが・・・。
こう断言するのも問題あるかも知れないが、そう言えば工学系にもかかわらず、プラントのメンテナンスで使われるRBMにも言及していないのも残念なことである。そうなると、ベイズ理論にも言及しなければならないだろう。またHAZOPという手法も紹介するべきだったかも知れない。
何だか気付けば、この本“意思決定のためのリスクマネジメント”への批判ばかりになってしまったが、私はこの本で“1.2.1生命の進化とリスクマネジメント”で解説しているように、地球史の生命誕生以降の視点でリスクを論じる姿勢には好印象を持つのだ。私は、このように生命への危害という観点から、かつて生命にどのようなリスクが存在していたのかを理解しておくことは重要であると思うからだ。このような視点を欠いたままリスクを論じるのは、どこかに危うさをはらむのではないかと思うのだ。
例えばIPCCのように地球史的に見れば近視眼的な視点で気候を見てしまったために、最近の温暖化の主因が人類の活動によるものだという主張をしてしまう誤りを犯すのであり、そうしたことを誤りだとも見抜けなくなるのだと思っている。
この本では、内部統制について、その限界を指摘しているが、これは重要なことだ。“判断の誤りや不注意、そして複数の担当者(特に、経営者や権力者)による共謀によって内部統制が有効に機能しなくなる場合(たとえば内部統制でヒューマンエラーを防止することは困難)”や“想定外の組織内外の変化や否定型な取引等には必ずしも対応しない場合”、“内部統制の整備及び運用に際しては、費用と便益との兼ね合いを考慮するべき”としている。だが、具体的にどうするべきかまでは言っていない。つまるところ、仕組を構築して運用しつつ それ自身を組織の権力者や外部監査によるチェック機能を働かせ、PDCAを回して継続的改善が可能な柔軟な組織構造にすることが肝要なのであろう。
また、最後に意思決定の限界性についても指摘しており、それを考慮した仕組構築と対策が必要なのであろう。
モンティ・ホール問題*や、固定観念をパラダイム・シフトすることの重要性、専門家の固定観念への留意**、非常に大きいショックによるパラダイム・シフト、擬似相関、囚人のジレンマ、サンクコストに引きずられる判断、いわゆるKKD(勘と経験、度胸)によるヒューリスティック、多すぎる選択肢による混乱、統計的処理における母集団の不適切性による誤判断等を取上げている。
こうした人間の判断ミスを誘うような要因をあげてはいるが、では組織的に仕組上どう防止・抑制するのかまでは述べてくれていない。組織の状況によって、いろいろな対応があり過ぎるからであろうか。
*この本のモンティ・ホール問題の解説は分かりやすい。
**専門家の固定観念の問題は、それに頼るデルファイ分析の有効性への疑念を抱かせるが、どうなのだろう。
こうした誤判断や直感に基づくヒューマン・エラー対策をテーマにして、別途 何らかの系統的分析をした研究があってもよいのではないかと思われるが、そういった本は あまり見かけないような気がする。そう言えば、ポカ・ミス対策についてのまとまった書物も中々見当たらない。
それから、“リスク・マネジメントは失敗しないためのマネジメント”であることを肝に銘じるべきで、“失敗に学ぶ”ことや様子見のためのPDCAを前提としたリスク・マネジメント・システムでは、本末転倒となる。特に、変化の激しい業界や製品寿命の短い業界では、失敗は許されない状態にあり、PDCAを回す余裕すらないと言える。そのためにはリスクを意識したP(計画・企画)が 特に重要なプロセスとなるのであり、様々なプロセス内での小さなPDCAをこまめに回すマネジメントが必要となるのであろう。小さなPDCAをこまめに回すには、優秀なミドルの存在が鍵となる。
失敗すれば、営々として築き上げたブランドやレピュテーション(信頼)が一朝にして崩れてしまうのであり、巨大な損失となる時代となっている。当然、このことは、この本でも指摘している。ここにリスク・マネジメントが脚光を浴びる御時勢となっている理由があるのだろう。しかし、想定外の外部影響は尽きることはなく、また人間は経験を経ないと 理解できない部分もあるので硬直化したルールや仕組は問題であることも事実だ。だが、仕組には原則が必要なので、この辺りの勘案が難しいところなのだろう。
また組織の仕組の問題として、品質システムや環境システム、その他のシステムとの組み合わせの中でリスク・マネジメントをどのようにビルト・インするかも大きな問題であろうが、それはその組織の歴史的発展の経過も含めて様々な形態となることを想定するのが肝要であろう。
さて、今新聞紙上を賑わしている2つの大事件は、いずれもリスク・マネジメントを航空会社やプラント建設メーカがどのように行っていたかの問題であろう。航空会社は新鋭機のトラブルの確率を どのように見込んで新しい路線開設等の経営戦略を構築したのか、プラント建設メーカは非合法アラブ武装勢力の動きの情報をどの程度把握し、想定していたかと言ったリスク感覚の問題でもある。
特に 新鋭機のトラブルの確率については、最新技術の集積であるため各システムにブラック・ボックスがあるということだが、それはリスク・マネジメント上全く好ましいことではない。機材運用者としては、その程度のリスク算定のノウハウは持っているべきだが、ブラック・ボックスの存在がトラブル発生確率算定の手懸りを阻害するからだ。そのような機種に闇雲に依存する経営戦略は問題ではなかっただろうか。
また情報収集能力の乏しい日本政府の下で、世界の危険地帯でのビジネスを展開せざるを得ない日本企業は、政府以上の情報収集力を持たねばならない。しかし、そうした独自情報を入手できる状態にない場合、その地域での活動は差し控えるというリスク感覚が必要ではなかったかと思う。また今回の危機に際して、慌てふためいて情報不足を嘆いているのは、危機対応力が全く欠如している印象である。
こうしたリスク感覚の乏しいままでのビジネス展開は、その企業のブランドやレピュテーション(信頼)を今後大きく棄損することになるのではなかろうか。
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