The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
山田ズーニー・著“話すチカラをつくる本”を読んで
スポーツ界でまた小ボスが問題を起こしている。アメリカン・フット・ボールの大学チームの定期戦で傷害事件が起きた。攻撃側のパスを投げ終えて無防備な状態にあったクオーターバック(QB)に対し、相手の守備側選手が背後から激しくタックルし、仕掛けられたQBは全治3週間のけがを負った。この守備選手はさらに2回も反則行為を続け、資格停止で退場。タックルを仕掛けた側によると内部調査に対し、監督は“反則行為を指示したことはない”と話し、当該選手も“監督から指示されたことはない”と答えたという。しかし、周囲からは“指示があった”との声が漏れて来ている。
この監督、合理性のない独善的な根性論中心でチームを強化し成果を挙げ日本一にもなった。どうやらこうした結果を業績として大学内でも地位を上げ、常務理事に就任し、学内の人事権を握って権力者に収まったようだ。何だか女子レスリングの騒動で見たような、デジャブ話だ。
先週はこの話題で騒然。相手が小ボスなのでマスコミも安心して面白がって叩きまくる。当事者の監督はきわめて真っ黒なグレーの安倍首相に倣って誤魔化そうとしているのではないかと見えるが、いかんせん安倍氏のように万能の権力者ではない。たまりかねて監督辞任を表明したが、誤魔化そうとする底意が透けて感じられる。間違いを認めて真実を語らなければ疑問はどんどん拡大する。言葉だけの謝罪で当該大学のアメフト・チームは世間から受け入れられるのだろうか。この大学の危機管理学部はどんな研究成果を出し、それをどう実践しているのだろうか。
白黒が結構クリアなスポーツ界での事件噴出だが、スポーツと違って正邪を明確にするのが困難な分野では、もっとグレーな事件が沢山あるのではないか。そう考えると、この国の至る所に理不尽な小ボスが巣食っていると考えて良いのではないか。それに周囲の人々は唯々諾々と忖度して小ボスを守るので、一向に小ボスが牛耳る日本は変われないのではないか。
日本が変われないと思われる要因をもう一つ。それは、少し前のセクハラ問題で議論された日本の男女格差だ。
ダボス会議を主催する“世界経済フォーラム”は、男女格差の度合いを示す“ジェンダーギャップ指数”を毎年発表しているが、それによれば日本は世界144カ国中114位、2016年より順位を落とした、という。これで日本は先進国と言えるのだろうか。
かつて経済一流、政治は二流と自己を揶揄していたが、その経済は一向に上向かず、一人当たり所得でシンガポール、香港に抜かれ、やがて韓国にも抜かれる寸前に来ているようだ。最早、変われぬ日本の国力は衰え、ただ漂うばかりで、未だ80年代の気分の中にいる。
何も知らない中国人が最近日本に来て見て、“これで先進国なのか”と日本の現実に呆れて帰るという。新しい建造物ばかりの中国に比べて、経済が沈滞する日本の駅舎等公共施設は古くて薄汚れているように見え、ネットでのショッピング等社会サービスは中国よりもはるかに不便なのだという。これは日本が古い規制の中でがんじがらめになっていることも一因と思われるのだが・・・。多くの日本人は私も含めて、この“事実”に敏感でなければならない。
こうした世界からあまりにも遅れつつある日本の社会を変えるには、日本の男女格差縮小を早急な実施が一助になるはずだと思われるが、盛り上げりかけたこの議論は、またいつの間にか沈静化の傾向にある。すぐ忘れる何も考えない日本人の姿がそこにあるような気がする。
最近の日本人は、少しでも複雑な問題は“難しい。分からない。”と言って忌避する傾向にあるのではないか。単純な問題にだけ単純に反応しているのではないか。いつも思うのだが、世論調査でいつも最も多いのは“どちらとも言えない”だ。いろいろ考えた末でのこの結論なら仕方ないのだが、“難しい。分からない。”ということの反映ならば、単なる思考停止だ。この思考停止の習慣が、仕事にも反映していることはないのだろうか。それが日本経済や社会の進歩を妨げていることはないだろうか。それとも、スマホに溢れる情報の中で、情報の消化不良で自分を見失い、“難しい。分からない。”というのならば、自分で考えられるようになるまでスマホを捨てるべきだ。
審査で経営者トップによる反省の記録と言えるマネジメント・レビューを見ているが、トップの指示に対し、オウム返しの台詞の後に“努力します”、“努めます”、“頑張ります”という言葉を付けているのを見ることが多い。気持は分かるような気がするので、多くの審査員もこれで納得して終わるようだが、実はこれではトップの懸念する問題解決には至らない。
“何をしてどうして” “頑張る”のか、のように具体的な手段HOWの部分が不明のため、その後客観的に改善できたのかどうかの評価ができないのだ。“頑張ったのですが・・・”で終わってしまって、継続的改善にならないのだ。こうしたことの原因は、“何をどうするか”考えるのが面倒臭い、時間が無いなどの言い訳による思考停止でないだろうか。
そうしたことの無気力な総体の結果として日本はどんどん世界から取り残されているような気がする。考えるのが面倒臭い、時間が無いなどの言い訳の結果、不正義の小ボスを守ることにもつながっているのではないだろうか。
さて、今回は人間関係を改善する本を探していたのだが、そのためにはいつのまにか“話す力”をつけるのが良いということになり、この本が推奨されてきた。中でもこの本は、アマゾンの書評で45人から平均値で4.3の高得点を得ていたので読んでみることとした。考えてみれば、ISO審査にも正に“話す力”は必要なスキルだ。
この本の初めには30分で読めるとあり、遅読の私には無理だと思っていたが、さすがに2時間程度で読めた、少なくともその日のうちに読み切った。
先ずは7つの要件を挙げている。
1.相手から自分はどう見られていますか?:メディア力
(発信情報が信頼されているか:日頃からの信頼性)
2.一番言いたいことは何ですか?:意見
3.なぜそう言えますか?:論拠
([③論拠]メールは込み入った話に向かないから、[②意見]会って話そう。)
4.“目指す結果”は何ですか?
(納得・共感・発見などを通して、相手の心を動かし、目指す結果へ切り開いて行く。)
5.どんな問いに基づいて話してますか?:論点
(文章や、話を貫いている“問い”、“問題意識”のこと。伝わり易い構文:⑤論点→③論拠→②意見)
6.相手から見たら、あなたの言っていることは何?:相手にとっての意味
(相手に役立つ情報、啓蒙、励まし、和み・・・嫌な気分を伝えたいか?)
7.あなたの根っこにある想いは?:根本思想
(“言葉”は目に見える氷山の一角で“根本思想”は水面下の背景。“嘘は人を動かさない。”)
前段で述べていたことを著者も、今の若者には“考えないという傷”があると、指摘している。ヒョットして私はこの本を読んで、その潜在意識がこの前段で書かせたのかも知れない。そして本では、“考えるテクニック”について言及している。自分で“さまざまな角度から考える技術”を取得して、自分の言葉で語ることが“人を動かす秘訣”なのだろう。
この思考の枠組みで“おわび文”でとるべき構造や“依頼文”の構造の事例紹介がある。
病気の人に、何気なくよく使われる言葉の“はやく元気になって”に当人を落ち込ませる暴力性が潜んでいるとの指摘もある。状況によっては、当人の自助努力ではどうしようもない病気もあるので、気を付けるべきだとご自分の母御の例を引き合いに説明している。むしろ現実を正しく受け止めただでさえ落ち込んでいる当人に親しく寄り添うこと、その状況下で最良の生き方を見つけることの方が早く元気になる可能性もあるのだと説く。
この本の冒頭にあった“メディア力”をつけるためには、変節は不可、一貫性が重要だと指摘している。ISOやドラッカー等で示されるintegrity(私は“ぶれない真実性”だと思っている)の重視ではないだろうか。
それでも多くの正論が通らない原因は“上から目線” になっていることが多いからだという。言い争いが生じた場合は、“共感ポイントを見つける”ことが重要。それが“うまく見つからない場合は、日頃の相手への理解や共感を、積極的に伝える”ことが効果的である、という。基本は“通じ合う”ことが問題解決の早道。
“初対面でも信頼される方法”は相手への的確な理解だというが、それは初対面であれば、それだけで非常に困難なことだ。しかし相手理解が逆に信頼を得る最良の方法だという。
これは、就職時の“志望理由書”でも、“ポイントは「つながり」と「相手理解」”だという。“相手理解”が誤解だとすると、一挙に信頼は崩壊する。十分で正確な調査が必要だ。
一寸説明し過ぎた感があるが、今を生き抜くコミュニケーションの基礎知識を再確認できた気がするので、読んでもらいたい。これは危機管理のリスク・コミュニケーションのためにも大切なことだ。
この監督、合理性のない独善的な根性論中心でチームを強化し成果を挙げ日本一にもなった。どうやらこうした結果を業績として大学内でも地位を上げ、常務理事に就任し、学内の人事権を握って権力者に収まったようだ。何だか女子レスリングの騒動で見たような、デジャブ話だ。
先週はこの話題で騒然。相手が小ボスなのでマスコミも安心して面白がって叩きまくる。当事者の監督はきわめて真っ黒なグレーの安倍首相に倣って誤魔化そうとしているのではないかと見えるが、いかんせん安倍氏のように万能の権力者ではない。たまりかねて監督辞任を表明したが、誤魔化そうとする底意が透けて感じられる。間違いを認めて真実を語らなければ疑問はどんどん拡大する。言葉だけの謝罪で当該大学のアメフト・チームは世間から受け入れられるのだろうか。この大学の危機管理学部はどんな研究成果を出し、それをどう実践しているのだろうか。
白黒が結構クリアなスポーツ界での事件噴出だが、スポーツと違って正邪を明確にするのが困難な分野では、もっとグレーな事件が沢山あるのではないか。そう考えると、この国の至る所に理不尽な小ボスが巣食っていると考えて良いのではないか。それに周囲の人々は唯々諾々と忖度して小ボスを守るので、一向に小ボスが牛耳る日本は変われないのではないか。
日本が変われないと思われる要因をもう一つ。それは、少し前のセクハラ問題で議論された日本の男女格差だ。
ダボス会議を主催する“世界経済フォーラム”は、男女格差の度合いを示す“ジェンダーギャップ指数”を毎年発表しているが、それによれば日本は世界144カ国中114位、2016年より順位を落とした、という。これで日本は先進国と言えるのだろうか。
かつて経済一流、政治は二流と自己を揶揄していたが、その経済は一向に上向かず、一人当たり所得でシンガポール、香港に抜かれ、やがて韓国にも抜かれる寸前に来ているようだ。最早、変われぬ日本の国力は衰え、ただ漂うばかりで、未だ80年代の気分の中にいる。
何も知らない中国人が最近日本に来て見て、“これで先進国なのか”と日本の現実に呆れて帰るという。新しい建造物ばかりの中国に比べて、経済が沈滞する日本の駅舎等公共施設は古くて薄汚れているように見え、ネットでのショッピング等社会サービスは中国よりもはるかに不便なのだという。これは日本が古い規制の中でがんじがらめになっていることも一因と思われるのだが・・・。多くの日本人は私も含めて、この“事実”に敏感でなければならない。
こうした世界からあまりにも遅れつつある日本の社会を変えるには、日本の男女格差縮小を早急な実施が一助になるはずだと思われるが、盛り上げりかけたこの議論は、またいつの間にか沈静化の傾向にある。すぐ忘れる何も考えない日本人の姿がそこにあるような気がする。
最近の日本人は、少しでも複雑な問題は“難しい。分からない。”と言って忌避する傾向にあるのではないか。単純な問題にだけ単純に反応しているのではないか。いつも思うのだが、世論調査でいつも最も多いのは“どちらとも言えない”だ。いろいろ考えた末でのこの結論なら仕方ないのだが、“難しい。分からない。”ということの反映ならば、単なる思考停止だ。この思考停止の習慣が、仕事にも反映していることはないのだろうか。それが日本経済や社会の進歩を妨げていることはないだろうか。それとも、スマホに溢れる情報の中で、情報の消化不良で自分を見失い、“難しい。分からない。”というのならば、自分で考えられるようになるまでスマホを捨てるべきだ。
審査で経営者トップによる反省の記録と言えるマネジメント・レビューを見ているが、トップの指示に対し、オウム返しの台詞の後に“努力します”、“努めます”、“頑張ります”という言葉を付けているのを見ることが多い。気持は分かるような気がするので、多くの審査員もこれで納得して終わるようだが、実はこれではトップの懸念する問題解決には至らない。
“何をしてどうして” “頑張る”のか、のように具体的な手段HOWの部分が不明のため、その後客観的に改善できたのかどうかの評価ができないのだ。“頑張ったのですが・・・”で終わってしまって、継続的改善にならないのだ。こうしたことの原因は、“何をどうするか”考えるのが面倒臭い、時間が無いなどの言い訳による思考停止でないだろうか。
そうしたことの無気力な総体の結果として日本はどんどん世界から取り残されているような気がする。考えるのが面倒臭い、時間が無いなどの言い訳の結果、不正義の小ボスを守ることにもつながっているのではないだろうか。
さて、今回は人間関係を改善する本を探していたのだが、そのためにはいつのまにか“話す力”をつけるのが良いということになり、この本が推奨されてきた。中でもこの本は、アマゾンの書評で45人から平均値で4.3の高得点を得ていたので読んでみることとした。考えてみれば、ISO審査にも正に“話す力”は必要なスキルだ。
この本の初めには30分で読めるとあり、遅読の私には無理だと思っていたが、さすがに2時間程度で読めた、少なくともその日のうちに読み切った。
先ずは7つの要件を挙げている。
1.相手から自分はどう見られていますか?:メディア力
(発信情報が信頼されているか:日頃からの信頼性)
2.一番言いたいことは何ですか?:意見
3.なぜそう言えますか?:論拠
([③論拠]メールは込み入った話に向かないから、[②意見]会って話そう。)
4.“目指す結果”は何ですか?
(納得・共感・発見などを通して、相手の心を動かし、目指す結果へ切り開いて行く。)
5.どんな問いに基づいて話してますか?:論点
(文章や、話を貫いている“問い”、“問題意識”のこと。伝わり易い構文:⑤論点→③論拠→②意見)
6.相手から見たら、あなたの言っていることは何?:相手にとっての意味
(相手に役立つ情報、啓蒙、励まし、和み・・・嫌な気分を伝えたいか?)
7.あなたの根っこにある想いは?:根本思想
(“言葉”は目に見える氷山の一角で“根本思想”は水面下の背景。“嘘は人を動かさない。”)
前段で述べていたことを著者も、今の若者には“考えないという傷”があると、指摘している。ヒョットして私はこの本を読んで、その潜在意識がこの前段で書かせたのかも知れない。そして本では、“考えるテクニック”について言及している。自分で“さまざまな角度から考える技術”を取得して、自分の言葉で語ることが“人を動かす秘訣”なのだろう。
この思考の枠組みで“おわび文”でとるべき構造や“依頼文”の構造の事例紹介がある。
病気の人に、何気なくよく使われる言葉の“はやく元気になって”に当人を落ち込ませる暴力性が潜んでいるとの指摘もある。状況によっては、当人の自助努力ではどうしようもない病気もあるので、気を付けるべきだとご自分の母御の例を引き合いに説明している。むしろ現実を正しく受け止めただでさえ落ち込んでいる当人に親しく寄り添うこと、その状況下で最良の生き方を見つけることの方が早く元気になる可能性もあるのだと説く。
この本の冒頭にあった“メディア力”をつけるためには、変節は不可、一貫性が重要だと指摘している。ISOやドラッカー等で示されるintegrity(私は“ぶれない真実性”だと思っている)の重視ではないだろうか。
それでも多くの正論が通らない原因は“上から目線” になっていることが多いからだという。言い争いが生じた場合は、“共感ポイントを見つける”ことが重要。それが“うまく見つからない場合は、日頃の相手への理解や共感を、積極的に伝える”ことが効果的である、という。基本は“通じ合う”ことが問題解決の早道。
“初対面でも信頼される方法”は相手への的確な理解だというが、それは初対面であれば、それだけで非常に困難なことだ。しかし相手理解が逆に信頼を得る最良の方法だという。
これは、就職時の“志望理由書”でも、“ポイントは「つながり」と「相手理解」”だという。“相手理解”が誤解だとすると、一挙に信頼は崩壊する。十分で正確な調査が必要だ。
一寸説明し過ぎた感があるが、今を生き抜くコミュニケーションの基礎知識を再確認できた気がするので、読んでもらいたい。これは危機管理のリスク・コミュニケーションのためにも大切なことだ。
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