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ベタな京都観光―竜安寺・堂本印象美術館・金閣寺への散策

暑い、暑い、異様に暑い。だが未だ北日本には梅雨前線が復活しているのか。気象庁はこの事実をどう解釈するのか。妙な気候だ。普通ならば、8月の空は突き抜ける青さに輝くものだが、なんだかどんよりしている。突き抜ける青い空と照り付ける太陽の下、海で騒ぎたいが、“自粛”ではどうしたものか。とにかく、どんよりした気候と社会で、どんより過ごすより他ないのだろうか。少々疲労気味という訳で、来週はこのブログもお休みとさせて頂きたい。

新型ウィルス感染症対策の担当大臣は高齢者ドライバーだろうか。
“ブレーキを踏んでいるつもりでしたが、車は暴走してしまいました。気が付いて後ろを見たら、大勢の人が倒れていました。暴走しない車を早く開発して欲しいものです。”
どっかで聞いた台詞、そうだあの東京池袋で暴走車を運転していた上級国民の言葉のようにも聞こえる。こんなドライバーは即刻免許剥奪が常識的な処置。だがこの場合は、担当大臣にはその“暴走しない車”の開発を期待されているのだ。それができないのなら、即刻免許剥奪つまり、政界からの追放が妥当ではないか。
だが、この御大臣様、ある週刊誌報道によれば当選確実だそうな。選挙民は一体この御大臣様からどんな利得を得ているのだろうか。苛立ちは募るばかりでないか?!
重症者数の数も4月初めのレベルに戻りつつある。つまり、緊急事態宣言発出前夜の情勢だ。ぐずぐずしている場合ではない。だが、アホアホ政権の幹部・閣僚は結構暢気に見える。彼らは全員脳死ドライバーのように見える。

先週は朝のワイド・ショウでの新型コロナウィルス感染症対策分科会メンバー、それも枢要な立場の専門家と番組側スタッフとの議論があり、それが一部で話題だったようだ。要は、これまで言われてきたPCR検査をめぐってのことで、結果的には結構きちんとした議論だったが、番組のスタッフ側はPCR検査を積極的にしなければ、有効な治療薬やワクチンのない現状では感染拡大は防げないという立場で、それに対する政府側の姿勢を問い質していたものだった。
これがネットや他のテレビ番組で話題になっていたのだ。元大阪府知事にして元大阪市長もこの番組を見ていたようで、この激論を“吊し上げ”だと表現していた。内容はともかくも、議論のやり方は適切だったと思われるが“吊し上げ”という言葉でセンセーショナルに評価するのは、この御仁のスタイルだ。御自分は“PCR検査抑制派”だったが、どうやら風邪症状になると慌てて急遽PCR検査を受けて治療したという。自らの論を簡単に放棄して難なく復帰すると、これまた“PCR検査抑制派”に復帰している。こういう信用のおけない人物の言動に耳を貸してはならないと思われるが、未だにこうしたテレビ番組に御出演なさっている。困ったものだ。また、議論が適切に行われていても“吊し上げ”とまるで暴力的なものだったような表現。そんな表現を用いてもあまり問題にならないのは、一部の日本人の民主主義への考え方の後進性を示すものだと思われる。
私もたまたまこのワイド・ショウを見ていたが、新型ウィルス対策分科会の専門家の立場は、所与の条件を是認したうえで、その条件下で何をしたら改善できるかの議論をするべき、というもののように見受けた。そして、その立場を貫かんとして、“PCR検査は医学的に意味がない”とまで言い切ってしまう。これはよく聞いていると、“検査しても隔離して治療する施設が不足するならば、検査の数を増やすのは意味がない”という立場から発せられたようだ。
この言い過ぎた部分は後で御本人自身が訂正していたが、その所与の条件が感染拡大を防ぐには不十分であれば、それを障害と見て排除するように提言するのが、専門家分科会に期待される役割のはずだ。つまり、検査して隔離・保護しようにもその施設が無いのならば、施設の建設・増設も提言するべきではないのだろうか。大阪はその施設の建設を公言している。それを見て、東京はようやくその方向に動き出したようだ。検査も増やすし隔離・保護施設も、治療の医療施設も増やすことが重要で、必要数を具体的に示して、提言するのが専門家の役割なのだ。場合によっては、医療従事者をどのように増やしていくかも議論するべきだ。無理だ、出来ない、では現状を全く改善できないし、結果として感染被害者が増大するだけだ。それはある種“抵抗勢力”のセリフだ。“日本のPCR検査の必要数が増加しない”のはここにも原因があるようだ。結果として、とにかく改善の速度が諸外国に比べて格段に遅いのだ。
感染防止の医学の専門家ならば、現状の問題点を指摘して改善を推進する役割のハズだがそれを根本から放棄して、政府に聞こえの言い提言では、現状が一向に改善されない結果を招くことが理解されていない。だからこそ、専門家会議のメンバーでない専門家からも、“政治の立場を捨てて、医学の専門家として提言して頂きたい”と何度要請しても耳を貸さないのには、呆れてしまうのだ。現状を是認していては、事態は一向に良くはならないという根本的なことが理解できていない。何だか愚かなことではないだろうか。
それともアホアホ政権に気を使って、地位を確保しておきたいからなのだろうか。ここにも忖度があるのか。だが、それによって国民の犠牲が増えるようでは選良の専門家とは言えるはずがない。

ところでアホアホ政権の極めつけの大幹部が“日本人の民度は高い!”とのたまわったようだが、それは事実だろうか。
大阪大・三浦麻子教授ら心理学者の研究グループの国際調査によれば、“新型コロナウイルスに感染するのは本人が悪い――。3~4月の時点で、そう考えていた人の割合が、日本は米国や英国などと比べて高かったという。” “日本、米国、英国、イタリア、中国の5か国で各約400~500人を対象にインターネット経由”の調査による結果だという。
“「感染する人は自業自得だと思うか」との質問に、「全く思わない」から「非常に思う」まで賛否の程度を6段階で尋ねた。その結果、「どちらかといえばそう思う」「やや――」「非常に――」の三つの答えのいずれかを選んだのは、米国1%、英国1.49%、イタリア2.51%、中国4.83%だった。これに対し、日本は11.5%で最も高かった。反対に「全く思わない」と答えた人は、他の4か国は60~70%台だったが、日本は29.25%だった。”という。
これでも日本人の民度は高いのか。一部では感染が明らかになった場合、“感染者の個人情報を開示しろ”との声が、感染者の所属する会社や学校に殺到するという。或いは“患者増大で苦労している医療関係者の家族を差別的に扱う”、こうしたことが横行する社会。議論が激論になれば“吊し上げだ”という意識、そして“○○警察”が諸所にしつこく登場する現実、それが民度の高い社会とは思えないが、どうだろうか。少なくとも、差別やイジメ、それによって憂さ晴らしする人が多い社会は民度が高いとは全く言えない。
それに“感染”は果たして個人の責任だろうか。“感染拡大の抑制・制圧に成功している国がある事実”を考えれば、これはある種“日本の政治家の無能”のせい、ではないのか。そう考えれば、感染者に“気の毒”だという意識が生まれないのは、どういうことだろうか。無能な者を政治家に選ばないことが大切だが、何故か“権力者におもねる、忖度する”ことが“日本の誇り高い文化”となっているような気がする。それは恥ずべきことではないのか。日本の“恥の文化”は何処へ行ったのだろうか。恥じて、少しは反省するべきことではないか。反省なき社会に進歩はない。差別やイジメ、子供への虐待が返って増えているように思われるこの日本社会は、むしろ精神的に日々退歩しているのではないか。

私は全く知らなかったが、次のような報道があったようだ。
“CSISは2020年7月下旬に米国務省の「グローバル関与センター」の支援で作成した報告書「日本における中国の影響力」において、自民党の今井尚哉首相補佐官が二階俊博幹事長と連携し、「二階・今井派」として安倍首相に中国への姿勢を融和的にするよう説得してきたと指摘した。”

*CSISは戦略国際問題研究所( Center for Strategic and International Studies)の略称で、アメリカ合衆国のワシントンD.C.に本部を置くシンクタンクである。公式には超党派を標榜し、民主党、共和党を含む幅広い人材が関与している。全世界のシンクタンクをランク付けしたペンシルベニア大学によるレポートによれば、CSISは防衛、国家安全保障で世界第1位、外交政策、国際関係論で第5位、革新的政策提言の総合では第4位(全米で3位)にランクされており。ワシントンでもシンクタンクとして認知されている。

このCSISの指摘は米国政府の発言、と解釈するべきだろう。
今にして思えば、23日の米国務長官ポンペオ氏のカリフォルニア州ニクソン大統領図書館での対中政策についての演説が、時代の転換点だったようだ。つまり、これまでの米国の対中政策が誤りであり、対中有志の民主主義国による連合を提唱したのだ。これは恐らく、かつての英チャーチル氏が首相の座に就き当時のナチス・ドイツとの対決姿勢を示したのと同様の歴史的転換点と同じだと考えられる。この度のCSISの指摘は、この米国政府の基本政策の転換の延長線上にあるものと考えるべきだろう。
もし、日本が米国の属領であるならば、このCSISの指摘は日本の政界に重大な影響を与えることになるのではないか。

一方、中国の尖閣諸島周辺への進出も、この16日以降大きな転換を迎えると予測されている。この直前に開催される中国首脳のOB会である北戴河会議で、習近平政権へどのような影響が及ぶのかも注目される。
それは8月16日に尖閣周辺で中国が設定する休漁期間が終わり、漁船と公船が一団となって大挙侵入する懸念があり、日本の実効支配の切り崩しに着手する可能性がある、ということだ。そのことの是非を対米関係悪化と絡めて、従来対米慎重姿勢を取ってきた中国首脳OBが、現習政権にどのような注文を付けるのか、付けないのか注目されるのだ。だが、この北戴河会議での議論は公表されないので、実際の動きでしか確認できないようだ。
これに対し米軍特に海軍は伝統的に親日的であり、中国のこの動きに対し独自に実力行使をする可能性も大いにあり、事実最近、それを示唆する在日米軍首脳の発言があった。
したがい、下手すれば16日には中国による尖閣への上陸強行や、海自との軍事的衝突、日米連合の反撃等々、様々なことが予想され、緊張がこれまでになく高まっているようで、大いに注目し、警戒されるべきところだ。


さて先週末、審査報告書を京都の事務局へ提出するために、県境を跨いで京都に出かけることにした。ここで又、折角の京都、それならば観光客の少ないこの時期、ベタな京都観光をと企んだ。龍安寺、堂本印象美術館、金閣寺・・・市中に少なくなった既発本をネットで京都の書店にあることを知り、調達を試み、盆休みの資金調達で銀行に寄り、それから審査報告書を提出する、という予定を組んだ。

朝8時半に自宅を出、阪急・西院駅に10時半。ここから京福電車に乗り、帷子ノ辻から龍安寺駅へのルート。西院で阪急から京福電車乗り換えに、ほぼ5分、殆ど余裕はない。急いで小走りに四条通を東へ行き、京福西院駅に行ってみると、駅入り口が撤去されていて、残りのホームが柵の向こうにある。とにかくホームに入れなくなっている。ギョ?!そこへ四条通を横切る京福の踏切に警報音。予定通り電車が来る様子。フト、振り返ると四条通の向こう北側にホームが見える、移転したのだ!幸い電車が来るので、四条通は塞がっているので、そのまま通りに飛び出して北側ホームへ飛び込む。もう少し親切に移転説明の看板を掲示して置いてほしい。マッ無事、予定の電車に乗り込めた。しばらくすると、島津製作所前の路上を電車が走る。チンチン電車の風情。高校時代、大阪阿倍野筋の路面電車(上町線)で通学したのを思い出す。それに、このコース、いつぞや平野神社への花見でたどったことがある。帷子ノ辻で北野白梅町へ向かう電車に乗り換える。ここで、さらに車両は少し小さくなるように思える。しかし、ここは沿線に桜があり、春はまるで桜のトンネルだった。
龍安寺は著名な仏閣。駅で降りれば、案内板があるだろうとたかをくくっていたが、全く見当たらない。立命館大学衣笠キャンパスへの案内板は結構見かけた。私は普通あまり見ないのだが、不安になったので、スマホ・マップを確認して、北上。
ついに立命館の学舎が立ちはだかる。衣笠キャンパスは金属学会の特別講演会か、何かで来た記憶があるが、その程度。この学舎を道なりに一旦西にかわして、少し北上して、東西を走る“きぬかけの路”との交差点に到着。これを西進すると直ぐに竜安寺入口となる。観光バス用の駐車場、バスは1台もおらず、閑散。受付までの境内の土産物店はほとんど閉鎖。

以前に来たことがある世界的に有名な枯山水の石庭。この前に大きな池があるとは、全く記憶になかった。鏡容池(きょうようち)というようだ。“龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が1450年(宝徳2年)に創建した禅寺である。・・・(鏡容池の)周囲は池泉回遊式庭園になっており、年間を通じて四季それぞれの花を楽しめる(国の名勝)。境内北側には庫裡、方丈、仏殿などが建ち、これらの西側には「西の庭」がある。”とあるが、この北側、西側は一般には開放していないようだ。

そして石庭。“幸いにして”観光客、激少。タイミングによっては“一人で座って居られる”ほどだ。法上の庭の向こうは、森林化していて鬱蒼となっている。昔、紹介映画で“京都盆地を借景”していて、“これが素晴らしい”と激賞していた記憶があるが、今やその風情はない!あれは一体何?という気分に襲われる。果たして、この石庭をここまで超有名にするまでに、近代日本で最初に発掘した人物は誰なのだろうという疑問も湧いてくる。余程の眼力ではないか。
単なる、意味のない岩と白砂の組み合わせ。“その意味・解釈は、見る者にお任せ!”。改めて考え込むのも疲れるので、思考停止させた。出先で考えるのは、疲れが倍増する。
背景の北側には衣笠山があり、それからの湧き水は豊富で、現に石庭の南側には鏡容池がある。この地で何故、敷地の一角を枯山水にしたのだろう。枯山水は水が無いので、水のないままそれがあるかのように作庭した苦肉の策だった、と聞いている。ならばこの石庭は逆説的な超贅沢なのだろうか。豊富な水をワザと無視する。枯れたフリをする。それは何か意図的な作為つまり偽善ではないのか。ここの宗派はそれを許容するのか。今回ここに来て初めて生まれた、“私の大きな謎”だ。

石庭の本堂の裏・北側には歴史的蹲踞(つくばい)がある。禅語“吾、唯知るを足る”の漢字の“口”を銭の四角い穴を使って示しているので、知らねば何のこっちゃ!となる。これは背景の山からの湧き水を受けているのだ。その東側の庭には侘助椿が植えられていた。これが渡辺淳一の不倫小説に出てきた侘助か。見てみたかったが残念ながら、猛暑の夏のさなかにつき、花はシーズンオフ。

鏡容池を西側からめぐる。この池の周囲の森林浴が良い。池の南端に至って、直ぐ下を見れば民家であろうか。豪雨に際して、池が満水になれば、それ程分厚くない土手なので簡単に破水して被害甚大とはならないのだろうか。これは俗な疑問か?これまで、そのようなことは無かった‼とは、言えない御時勢。本当に大丈夫か?



予定通り、ほぼ30分で龍安寺拝観は終えられた。これからは“きぬかけの路”を東進して、堂本印象美術館、金閣寺へと急ぎたい。吐息に汗が余分に、マスクはジュクジュク!幸い人けがないので、あごに落として歩く。こんな時、傍を駆け抜ける車に恨めしさが募る。否!運動不足のためわざわざ歩きに来たのではないかと、励ましている内に次のバス停に到着。そこが、堂本印象美術館の前だった。

どうやら府立美術館だが、白塗りの建物のデザインは変わっている。だが、随所に高コストを避けた工夫のあとが見える。手荷物は必ずコインロッカーへ。取り出すときに100円玉の返却がある。入館すると、来館者の身元を記入させられる。スマホで登録も可能なようだったが、そこでマゴマゴするのも嫌で使い捨て鉛筆で用紙に記入。この鉛筆、消毒して使いまわしするようだ。館の職員さんも手間が増えて大変だ。
先ずは、緩やかな傾斜の廊下に既に作品が展示されている。その脇には、作品に登場している人物の台詞を想像して掲示されている。これが煩くもあり、成程そうかもあり、それ自体が面白くもある。傾斜が2段階で、メインの展示場に至り、ここで大型の作品展示が見れる。この美術館も10年ほど前に来たことは事実で、日本画を現代化した画家なのだが、ほぼ記憶が薄れてしまっていて、詳細は思い出せない。しかし、“木華開耶媛(このはなさくやひめ)”の作品や確かパリなど都市の風景画や東福寺の龍の天井画のことは覚えている。
だが、この人の作風はどうも私の感覚には合わないところがある。あるいは、人物の身体デッサンに問題があると思ったりする。だが、“絵は子供の目で無心に見よ”と一喝して鑑賞を進めた。
それでもなお石田三成に急襲された細川ガラシャの最期の止めを刺す男性の家臣の表情に今一つ迫力感じない、あれは平時の表情にしか見えない。敵に襲われ、それと戦う中での緊急事態での顔つきではないように見えるが、どうだろうか。仏教画もそのわきの仏の台詞も、少々そぐわぬところがあった。今回は私の感覚には合わないところが解消できるかと思ったが、それはかなわなかった。まぁ、それでも良いのではないか。



美術館を出て、暑い娑婆へ。“きぬかけの路”を東進から北上へ。昼食時、残念ながら蕎麦屋さんは定休日だった。ゆるやかな登り道、しばらく歩くと、金閣寺の気配。右側に食べログで知っていた“鯛めし”の店。
ここで、“鯛そば”を頼む。蕎麦と言っても、塩ラーメン。私には塩が効きすぎていて、鯛の薄味が消えてしまっていてザンネン!何故、“鯛茶漬け”が無いのか。蕎麦とのセットではあるようだが、単独では無いのが不思議だ。失敗!



いよいよ鹿苑寺、金閣のある寺。門前の土産物店は全て閉鎖、その分の雇用は確実に失われている。石垣のある交差点から境内に入る。ここも閑散にして、私には快適!近年にない贅沢か?ここも、かつて来たことがあるはずだが、誰といつ来たのか全く思い出せない。少なくともデートではなかったザンネン!
“鹿苑寺は、臨済宗相国寺派の寺。・・・寺名は開基(創設者)である室町幕府3代将軍足利義満の法号・鹿苑院殿にちなむ。山号は北山(ほくざん)。寺紋は五七桐。義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。”別称・北山(きたやま)殿。義満自身をそう呼ぶ場合もあるようだ。将軍の別荘だったので、入口に石垣が見られたのだろう。

庭園に入り振り返ると、直ぐに金閣が見える。ここも広い鏡湖池、その中に金閣はある。パッと見2層のように見えるが、第1層は金箔がないので風景に溶け込んでいるからだ。近づくと豪壮さが分かる。ここで名月を愛でることができれば、楽しい?池の中で蚊が来ないか?ここでロックは似合うのか?ここで合う音楽は何か?実際にやって見れば、それ程楽しいものでもないかも。兎に角、中のしつらえを見てみたいものだ。
この金閣は戦後、ここの学僧により放火され消失している。これで文化財的意義は半減しているが、観光施設としては超一級の評価である。三島由紀夫はこの事件を想像で小説に仕立てているが、私は未だ読んでいない。

金閣を中心に、池をめぐって回遊、やがて山際の路へ。義満が手を洗ったという場所に至るが、ここが別荘ならどこでもやったことでは?その山へ登る階段を上がると、そこにも安民沢という池。あたかも鏡湖池のための貯水池であるかのよう。そういう意味で北山殿は壮大な池をめぐる回遊庭園なのだと気付く。
このように北山の湧き水が豊富なのだ。池の中に白蛇塚がある。水神の化身をお守りしているのか。

さらに登って行くと、小さな茶室・夕佳亭(せっかてい)がある。金閣をはるか下に見る、ある種峰の頂点になっている場所だ。江戸時代に当時住職の鳳林承章が、後水尾天皇を迎えるために茶人金森宗和につくらせた数寄屋造の茶室だという。“夕日”にはえる金閣が“佳い”ということから名付けられという、確かにそんな印象。一旦、焼失したが明治期に再建したらしい。私には何故か、風情があり金閣よりも好ましく思える。だが、台風などの強風には弱いのではないだろうか。それが良いのか。何だか、天災被害ばかり気になる。金閣も夕佳亭も一旦消失して再建されたものだ。

ここから坂を下ると不動堂。賽銭箱があるので思わず参拝。ここからさらに下ると、麓の駐車場へ至る。休憩所があり抹茶アイスクリームの幟があった。少々のトイレ休憩。



以後、金閣寺道バス停から河原町三条へ市バスで向かう。これにてベタな京都観光は予定終了。
後は、書店と銀行ATMでの操作。書店で目指す本を入手できたが、その前後のうっかりミスで銀行カードをATM内に置き忘れるアホアホをやらかした。しかし1時間後には気付いて銀行に連絡。ここで一旦審査報告書を事務局に提出し、近くの百貨店で京都百味会の奈良漬けを土産に買った。この間、河原町三条と烏丸の間を周回。お蔭で分かったのは、錦市場が錦天神の門前町だったということ、それは言い過ぎだろうか。その後警備会社に出動頂き迷惑をかけたが、銀行カードを無事取り戻した。阪急・河原町より無事、帰神できた。
新型ウィルスの波がまだまだ続くのなら、もっとベタな京都観光も良いのではないかと。

暑いので、来週はお休みとさせて頂きます。東シナ海の穏やかならんことを祈って・・・。



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