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大阪百貨店戦争から考える

いささか旧聞に属するかも知れないので恐縮だが、先々週だったか、大阪梅田に進出した三越伊勢丹が売り場面積を縮小するという報道があり、大阪ローカル放送の格好の話題となった。だが、そこでの解説は一様に東京商法が関西の主婦層に受けなかったというようなニュアンスを醸し出してオチャらけて終わっていたような印象だった。というのも、当事者が、“本物の東京流を持ち込めなかったのが原因”とのコメントをしていたので、それに逆らった台詞を吐く勇気がどのコメンテータにも無かったのではないかと思われる。だが、恐らくは、“大阪のオバチャンの厳しい目に東京商法が敗退した”というような通り一遍の解説で終わらせたかったのが、在阪放送局の意向だったのであろう。“大阪のオバチャンの厳しい目”というところに大阪人の心をくすぐるものがあり、そこで“東京商法が敗退”することで東京コンプレックスに対して溜飲を下げる、そんなシナリオだったに違いない。

そこで語られなかった要素に、三越伊勢丹のロケーションの問題があったように思う。大阪駅中央コンコースからの人の流れは、北へグランフロントと東へ阪急とあるが、三越伊勢丹は その流れの左手にひっそりと控えているという印象だ。何か格別の情報発信でもない限り、そこへ入り込む気にはならない場所だ。
そこで、例え“ひっそりと控え”ていたとしても好奇心旺盛な関西人ならば、たまには入ることもあっただろうが、そこで わざわざ声をかけて売り込みをしない東京流が、“お高くとまっている”と受け止められ、“入り難い”印象を与えてしまったのだろう。
それに対して、ルクアは東の阪急に向かう人の流れの途中にある。なので専門店の集まりのルクアは、結構人が入ったのかも知れない。

だが、実は私はこの一件に東京と大阪の地域格差を見るような気がしている。唯一あるコメンテータが言っていたことが真相を言い当てているのではないかと思うのだ。
それは こういうものだった。実は、東京には各有名ブランドの直営店が展開しており、好みのブランドがあるのならば、そこへ行けば満足できるようになっていた。従い、ブランド毎のブース展開では東京の百貨店は存在感がなくなりつつあった。そこで、東京百貨店の生き残り策は、できるだけブランドによる区別を超えてとにかく良品を揃えるものへと変化しつつあり、本来の百貨店の姿に回帰しようとしていた。ところが、大阪にはそのようなブランド直営店の展開が不十分なため、百貨店のブランド毎のブースに行かなければ満足できない。そいうブランドへのこだわりの差が あったのではないかという指摘だった。この解説には説得力があったように思う。
しかも、“東京流”では、客が選択に窮するまで店員が介入して来ない。むしろ、それが本来のショッピングと言えるのではないか。しかし、“大阪のオバチャン”は、ブランドに幻惑されて店員の解説がなければ買い物ができなくなっていたというのが実態ではなかったか、と思えるのだ。関西人には、いつのまにか本物のショッピングを楽しむテイストがなくなりつつあったのではないかと思える。ここに東京人に文化的に一歩の遅れがあるかも知れない。
その大きな要因は、世界の有名ブランドが大阪に魅力を感じず、直営店の展開が不十分だったことにもあると、気付かなければならない、と思うのだ。

それからもう一つ、高級百貨店三越伊勢丹が不調だった理由が想像できる。それは、関西に本物の金持ちが居なくなったことではないかということだ。東京で仕事をしたことのある不動産事業者が 言っていたが、東京の高額所得者の買い物は、同じ関西人の金額とは一桁、二桁違うので驚く、と言うことだ。恐らく、梅田の三越伊勢丹では超高額の買い物が少なかったのではないか。これは、在阪放送局では指摘するには限界のある事実ではないだろうか。要するに 東西で所得格差が大きくなっているのだ。少なくとも、大阪にはIT長者は居ない。

さて、そんな大阪に今春巨大商業施設アベノ・ハルカスが本格開業する予定という。ここまで見てきて分かるように、東京に比べて購買力で劣る大阪で果たして成功するのであろうか。場所は大阪の南部アベノだ。大阪で南(ミナミ)と言えばナンバ(難波)だが、アベノ(阿倍野)はまさしく場所的にはナンバと競合する。いずれも、和歌山、奈良を後背地としているからだ。
アベノはJR天王寺駅が中心となり、大阪の大店旦那衆の御屋敷町・帝塚山を背後に文化的教育的な面で大阪をリードする土地柄であったが、文化的展開力がなく最近衰えが感じられる。ここに近鉄が 起死回生の巨大商業施設を建設する意向を持ち、実行に移したのである。
一方、ナンバには最近阪神電車が乗り入れて、神戸方面からの集客も可能となった。実は、奈良中心部からは近鉄難波の方がJR天王寺よりは勝っている。ところが、そのJRもナンバにはちゃっかり天王寺から乗り入れている。しかも、ナンバには百貨店老舗の高島屋、近くに大丸があり、そこには一流商店街の心斎橋、繁華街の千日前、若者ファッションのアメリカ村があり、喜劇や歌舞伎、寄席の劇場も揃っている。さらに問題の有名ブランド直営店も出店し始めている。全て本当に楽しもうと思えば2~3日かかるかも知れないほどで、集客力はナンバが優る。
本来、近鉄は奈良線と伊勢からの大阪線を主体に経営していたので、その集結点にある上本町(上六)に中心的商業施設を置くべきであったのを、より集客力のあるアベノへ重点指向してこのようになったものと思われる。だが、この動きは逆に近鉄の中心拠点は一体どこなのか不明確な印象を与えてしまう結果となっている。
日本全体が人口減少社会に突入し、東京に比べ競争力のない大阪では さらなる人口減少が予想される。地盤沈下のはなはだしい大阪にあって、結果的に足の引っ張り合いの不毛の百貨店戦争のような気がしてならない。人の耳目を驚かすことがことさらに好きな近鉄であるが、さて、これが巨大なバベルの塔とはならないと言えるのであろうか。

ところで、このところ不調をかこつ大阪の“笑顔のファシスト”が、都構想が上手く行かないからと言って逆切れし、居直り選挙を画策しているようだが、これも大阪を間違った方向へ追いやり、単なる時間の浪費でしかないように思う。大阪市を解体し、大阪府を大阪都にして強化することにどのような意義があるのか、私には理解ができない。新たに作る大阪の特別区は、周囲の府下衛星都市に比較して力が劣ることになるだけではないか。それが現大阪市民にどのような恩恵をもたらすのだろうか。堺市民は その都構想の怪しい点を見抜いてしまった。
東京23区には“公益財団法人特別区協議会”というのが発足していて、東京市のような連合体を作ろうという動きがあるのを大阪市民は 御存知なのだろうか。この動きをみると大阪都構想は周回遅れというより、逆コース走行のような気がする。東京には豊かな財源があるので余裕があるが、大阪は財政が苦しいから二重行政を止めて合理化し、大阪市を解体するというのは論理の間違った飛躍ではないのか。(だが、実際には特別区を再編することに結構コストがかかることが明らかになってきたので大阪都構想の論理は既に破綻している。*)

*コスト計算は一見客観的評価法のように見えるが、注意しないとメリット-ディメリットの項目選択が恣意的に行われるため結果も十分に作為的に操作できるものだ。

道州制というのも、近畿圏からの州都大阪への収奪への道でしかないのではないか。いわば近畿圏でのミニ東京を作るための画策でしかない。それは、行き詰る一極集中の中央集権を少し修正しようという動きの一つであり、一方 地域拠点を目指し、新たな利権を得ようとする大阪の新装政治家達の格好の枠組みであった。
その動きを、京都や神戸(兵庫)が黙って許す訳がない。京都には伝統的産業のある中で、有望な先端産業や企業が育っている。神戸はファッションや医療に関わる研究や技術開発を核として着々と歩を進めている。大阪のみ従来型産業や既存企業の混迷で、停滞している。それを道州制で政治的に収奪することで取り返し、繁栄しようとしているのならば、それは間違った戦略だ。大阪にも自立した都市戦略がなければならないが、都構想にかまけて未だ確たるものはなく、空洞化は進展している。
それは、道州制ではなく関西広域連合のような 自立した都市自治体の連合体を志向し、自立した自治都市の繁栄を相互支援するものであるのが本来であると思うが、どうだろうか。中央集権は全体主義と同義であり、都市自治は民主主義の根幹にかかわるものであることを肝に銘じるべきだ。関西人が“東京流”に翻弄されるのは見っとも無い。

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