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秋の姫路城観光2015

10月末に環境審査で姫路方面に赴いたので、ついでに午前に姫路城を観光することにした。この姫路城観光を報告したいが、2週続けての“エンタメ”となることを御許し頂きたい。
実は、昨年もこのタイミングで姫路に来ていたのだが、城はまだ改修工事中で観光不可であった。そのさらに前であれば、その天守閣の屋根工事の様子も見れたようだったが、昨年の今頃は天守閣の足場は外されてはいたが近寄ることはできない中途半端な状態であった。しかし、昨年はNHK大河ドラマ“軍師官兵衛”の特設催し会場があり、それを見てその近くの食堂で玉子ご飯を食べたのだった。しかし、いささか調子に乗って濃厚な生玉子を食べ過ぎたため その後人知れず少々不調となり、しばらくは生玉子を受け付けない状態となった。生卵によるこういうトラブルは全く初めての珍しい経験だった。

何せ午前中で観光は終わらせる必要があるので、8時前にスタートし、姫路駅には9時前に到着。結構早い行動。お城観光には1~2時間程度はみておいた方が良いと判断してのこと。
姫路駅に降り立って、北側の商店街を抜けて城を目指すのだが、ここで昼食を食べる店の下見。“食べログ”で見ると駅前町300番地界隈に人気店が集中しているように思ったのでどんな雰囲気の所か興味があったのだ。しかし、朝では残念ながら店は全てシャッターを閉ざしていて街の臭いを正しく感じることはできずに素通り止む無し。

商店街は城公園まで複数の筋がある。右往左往してその商店街を適当に選択しながら北へ向かい、公園広場に出て視界が開けると さすがに国宝姫路城天守閣の威容は素晴らしい。
この辺りまで来ると昨年を思い出しつつ、大手門をくぐる。昨年は三の丸広場で天守閣を眺めながら虚しく引き返したが、どんどん歩いて入口に迫る。窓口では好古園との共通券を購入。

中に入るとそこは菱の門。いよいよ中世の登城の雰囲気が濃くなり、何故だか若干興奮する。多くの観光客はさらに向こうに在る“ろの門”をくぐって、そのまま真っ直ぐ本丸に行くが、私は左にそれて西ノ丸に赴く。すると左手に菱の門の防備のための兵士が詰めるスペースがある。菱の門をくぐろうとする敵を側面から弓矢、鉄砲で攻撃するのだ。

西ノ丸へは菱の門からさらに石段を登って上に行く。広々として木立はあるが、庭園風ではない。見るべきは、堀際に建つ百間廊下または長屋だ。西側に小さな山が複数あるので、そこを拠点に攻められる弱点を補うための防備が目的とある。廊下が堀の側にめぐらされていて、ここの格子窓や狭間から飛び道具で応戦できるようになっている。建物内なので雨天でも火縄銃が使えたとの解説がある。
なるほど外には小高い丘と言える程度の小山が見える。後から見た地図によれば“男山”であろうか。しかし、その山と城の間には堀以外に川(船場川)がありこれも防備線としては使用できるように思う。
堀の反対側の内側は 適当に区切られて部屋になっている。その部屋は画一的ではなく、何もしつらえのない部屋もあれば、上座下座のある部屋や2階が使えるように天井に梯子がかかっている部屋もある。広さもまちまちだ。これらの部屋の用途は、はっきりとは分かっていないようだ。本丸に近い化粧櫓には奥方の身だしなみを整える場所であるとの説明があったように思うが、そのためだろうか部屋には御付の女中が居たという説明がある。或いは、通常は倉庫として使用し、戦時には家臣団の家族の避難・収容のために使用したともある。



西ノ丸の長屋を出て菱の門に戻り、ろの門から本丸を目指す。通路は結構狭隘である。それだけ大量の兵士が一気に攻め込んでこれないようにしてある。西ノ丸と違いこちらは観光客が多い。元気な外人と高齢の日本人の取り合わせだ。
天守閣に入ると靴を脱いで自分で袋に入れて持って入場する。昔の武者の建物なので階段は急だ。足の悪い年寄りには困難。だがあくまでも自力で最上階まで行って降りて来なければならない。なので、ここで急に先に進む速度は遅くなる。
最上階では屋根瓦の漆喰止めの様子が良く分かった。この漆喰の白さが時を置かずに褪せるとのことだったが、未だ十分に白い。南東隅の壁は本来 窓であったが創建直後の地震で被害があり、壁として塗り込んだとのマイクでの説明があった。
上りは人ごみばかりに気を取られてしまったが、階を降りながら、内部の構造が気になり注意して見ると使用されている木材の太さには驚かされる。様々な古刹の建物も見たが、世界最大の木造建物とされる東大寺大仏殿でも使われていないほどの太い材木だ。それで改めてこの建物が“木造”であることに気付く。そして、この大勢の観光客を受け入れて大丈夫なのかと不安になるのだ。創建以来、こんなに大勢の人々が天守に登ることはあったのだろうか。若い時に一度来たことがあったが、その時も結構観光客は来てはいたが、現在ほどの人数ではなかったように思う。昔は外人は殆ど居なかった。
そう言えば最上階での階段の付き方がかつての東西とは違って(東に向かって上る)、南北(南に向かって上る)に変わったように思うが、今回の改修で変更されたのだろうか。記憶違いであろうか。



人波にもまれる中でやっとの思いで、天守の外に出ると心地よい晴天に何だかホッとする。順路に沿って気儘に歩いて行くと、“お菊の井戸”に大勢の人々が競って中を覗き込んでいた。しかし、これはあまり意味のある行動ではない。網の張られた井戸があるだけだ。この光景はかつてと全く変わらないように思うが、日本人の幽霊の真相に迫ってみたい心情の現われであろうか。そして外人にはどのように解説しているのだろうか。

元来た菱の門から外に出る。好古園は直ぐ西隣とおもいきや、一旦桜門橋を出て、さらに西へ5分ほど歩かなければならない。少々疲労感が体中に広がる。平日だが、駐車場からまだまだ人々がどんどんお城を目指してやって来る。
しかし好古園に向かう人は多くはない。入口にレストランがあり、もうそこへ入る人が居るが、昼食にはかなり早過ぎる。順路に沿って園内に入る。すると和風の見事な池と東屋があり、“平成4年4月29日に開園”とあるが、全般に水の流れを使った良い造りだ。また、“整備に先立つ7次にわたる発掘調査で、元和4年(1618)に本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷、通路跡等の遺構が確認され、これは酒井家時代の「姫路侍屋敷図」に記されたものとほぼ合致”しているとのことで、全く荒唐無稽に造営したものではないようだ。何せ、観光客が多くは無いので落ち着いて静寂を楽しめるのは良い。お奨めではあるが、あまり知られると良くない。



さて、好古園を出てランチをめざそうと意気込んで歩き出したところで、私の名前を呼んで引き止める声が聞こえた。“Kです。”と言うが、人ごみから出て来た人の顔を確認するが、見覚えがない。かろうじて“どちらのKさんでしょうか。”と応じるのがやっとだった。まじまじと相手の顔を覗き込んでも全く人相が変わっている。しかし、声質からかすかな記憶が甦った。20年以上前の仕事での直上ではないが、近接部署の上位管理者だった人だ。一瞬懐かしさに襲われたが、向こうもその日は学生時代の友人と赤穂から出て来ているとのことで、残念ながら その場で分かれることになった。この人とは年賀状のやり取りはしているが、今も生きている接点は少ないので今後会う機会は無さそうだ。そんなことがあった。

11時半過ぎにあの駅前町300番地界隈に在る“やま義”に到着。絶好のタイミングだったのか、左奥の隅の席を占めることができた。ここは店としては大きくなく、亭主と女の子の2人で運営しているようだ。無事に計画通り“あなごめし上”にありつく。 丼の上に何故山葵が載っているのかと思ったが、食べてみるとこれが味覚のアクセントとして重要であることが理解できる。
食べていると、亭主は受けた電話で“ウチは予約はデキマヘンので。小さいんで皆来て待ってもろてマンネン。”と言っていた。一足遅いと今や数少ない名物“あなごめし”もチャンと食べられないところだった。

こうしてハプニングも含めて半日の姫路城観光は無事終えられた。これで心置きなく午後の審査に取り掛かれる。

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