The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
京博の“新発見!蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示を鑑賞
参議院選挙、フタを開ければ自民圧勝!
何でやねん?!野党が弱いからヤぁ!!
自民党:63議席(+8)、公明党:13議席(-1)、立憲民主党:17議席(-6)、日本維新の会:12議席(+6)、国民民主党:5議席(-2)、共産党:4議席(-2)、社民党:1議席維持、れいわ新選組:3議席、NHK党:1議席、参政党:1議席を獲得
という訳で、“憲法改正に前向きな自民、公明、維新、国民を合わせた4党は、非改選議席を含めて177議席となり、憲法改正の発議に必要な3分の2の166議席を上回”ったとなる。
憲法は改正するべきだろう。制定して半世紀以上経過しているので、国際情勢は当時とは大きく変化している。
にもかかわらず、“戦争は嫌だ”などと無闇に“平和を希求”しても徒労なのは、ウクライナを見れば分かる御時勢なのだ。ウクライナ人はその歴史を通して、常に国土が戦場になって来たことを知っている。だから日本人とは逆に、無闇に“平和を希求”せず、侵略者に命を懸けて“武力で戦って”いる。一方、外交力のないこの国に“外交で平和を”、“話し合いで平和を”は空念仏に過ぎないことは明白だ。もう“戦争は嫌だ”などという限りなく情緒的・感情的拒否反応は、今や捨てる時なのだ。
立民と国民の退潮が鮮明となった。連合の影響力が低下した結果だろう。 この傾向は今後もっと強くなるのではないか。今や官庁・公共事業体や、大企業の正規労働者は減少傾向にあり、労働貴族の意見は日本国民多数の政治的立場を代表しているとは思えない。これにすがって、政治活動をすることの将来性はほぼないだろう。世の中は大きく変化している。非正規労働者をITを使うなどして組織化して、政治勢力を作らねば絶望的だろう。未だに共産を毛嫌いするような古い狭い了見では、大同団結など夢の又夢。敵の分断策略にまんまと乗ってしまっているのだ。
特に、立民は“全国政党だから”などと意味のないプライドは捨てて、地域活動を推進し、基礎自治体での得票を増やさなければ、維新に大いに遅れを取るだろう。日本国民一人一人は具体的に基礎自治体の住民である。その住民の民意を理解せずに国政はやれまい。国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は当初ブレーメンから出てミュンヘンの基礎自治体を経て、民意を反映し、また民意を誘導して急速に政権を得た。これを研究し真似たのが維新の会だ。こうした地道な活動を決してバカにしてはならない。
だが何よりも不思議なのが、選挙投票直前で日本与党政界の巨大な闇が白日の下に明らかになってにもかかわらず、自民圧勝となったことだ。事件のあった奈良での自民候補者も無事当選している。特にその巨大な闇には明らかに外国勢力が控えているにもかかわらず、なのだ。恐らく、このような現象は他国の選挙では決して見られないことではないか。諸外国では政治家が何らかの外国勢力と関係性があるとされるだけで、その政治家に疑惑の目が集中するが、日本ではそうではないことが、今回の選挙で分かった。
それが、何故“国葬”となるのか。そこにはその外国勢力に苦しむ日本人がいて、それと関係性の強いと見られる政治家だった人を“国葬”にするのは、人が好過ぎるバカだ。
今回の元首相銃撃事件で、犯人は外国のしかも宗教団体と深い繫がりがあると“思い込んで”犯行に及んだとの報道が当初からなされている。この“思い込んで”という言葉を使うことで、まるで犯人の妄想のような伝え方をしているが、かなりの確度で“思い込んで当然”の事実ばかりではないのか。この報道の言葉選びの偏向がワザとらしく思えてならない。それは政権与党への忖度のような気がする。そして、この言葉選びの偏向は未だに継続している。だから“日本には報道の自由がない”と批判されるのだ。
この国の人々は上から下まで“お人好し”としか思えないのだ。或いは、社会性、特に政治性に鈍感なのだ。つまりオメデタイ・アホバカ!
“何故そうなったか”の社会心理学的分析も聞いたことが無い。そんな分析をすれば、周囲から叩かれるからなのだろうか。アホバカ分析で、真実を語れば返り血を見るのか。ならば、そこには学問の自由もない。
随分以前から“アホで何が悪い?!”との意識が密かに蔓延してきていたことは知っていた。最近は“分かれへんネン!”、“チョット、何言ってんだか分かんネェ!”と言うギャグが流行って、テレビでの街頭インタビューでも“それは難しいので・・・”と平気でノタマウ御仁が目立つ。
昔、“日本は恥の文化だ”と分析した外国の文化人類学者が居たが、今の日本ではアホバカが恥ではなくなり、無知でも平気なのだ。無知が平気となれば“お勉強”の意味がなくなり、何の理性的進歩もなくなるのだ。オバカ・タレントが流行る。日本文化は変質して堕落しているのか。
現に、日本社会の様々な局面での思考停止或いは退行現象が目立つようになってきた。
日本人の賃金が上がらないのは、生産性が低いからであり、生産性が上がらないのは、日本の産業の大半を占める中小零細企業の生産性が上がらないからだ。それは中小零細の経営者が何ら工夫せず思考停止して、十年一日のこれまでの事業をそのまま運営し、或いは“皆で渡れば怖くない”、“オタク、どないしたはります?”とばかり横並び経営をやっているからなのだ。そしてDXもイミフのまま放置。そんなことをしていてはコモディティ化した製品しか生産できず、オリジナル製品を世に問えないまま、レッド・オーシャン市場で価格競争に苦しむだけの時代になっているのだ。だからアジアの各国に経済的に立ち遅れてしまうのだ。いつまで、こういうことを続けるつもりだろうか。
そういった思考停止の結果の総体として“日本のジェンダーギャップ指数、116位 今回も主要先進国で最下位” なのではないか。それは思考停止の果てにいつまでも様々な局面での工夫を放棄して、既得権を墨守するために頑迷固陋な与党議員に投票している結果ではないのか。こうして進歩のないまま、日本人は70~100年遅れの社会意識で生きているような気がするのは、私ばかりなのだろうか。
“お人好し”の日本人、鵜の目鷹の目の諸外国の餌食にならないことを祈るばかりだ。スリランカの現状報道を目にするにつけ、そこに日本の将来像を見るような気がする。だが、最早手遅れなのではないか。約50年前、既に三島由紀夫が憂国の決起をしたが、真意は未だに広く伝えられずに今日に至っている。それが今後も続き、ついに後戻りできない所に来ているのではないか。それが、この度の銃撃事件となって露になったのかも知れない。
こういった深刻な社会分析もついに聞かれない!ドイコト?
クワバラ、クワバラ・・・またしても本当のことを言ってしまった。私のドウニモ止マラナイ悪い癖なのだ。ここで言ったコトはホントウかウソか、その判断は読者にお任せしたい!もっとお勉強シマショッ!今やトニカク・・・・・・南無阿弥陀仏
さて先々週は、神戸市立森林植物園からの孤独のハイキング以外にも、その週末に京都国立博物館の特集展示を見に行ったので報告したい。又しても、京都で午後からの研修。例によって、午前の時間を何に費やすか、ネットで京都での催しを検索して、京博の“新発見!蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示を見つけて、興味を持って出かけたのだった。
当初、“エッ?与謝蕪村が『奥の細道』?”よく見ると、『奥の細道「図巻」』となっている。どうやら、芭蕉の『奥の細道』に挿絵を添付した文書の新発見であると分かった。
京博のウェッブサイトの紹介文に次のようにあった。
“松尾芭蕉を深く敬愛していた与謝蕪村(1716~83)は、芭蕉の俳諧紀行『おくのほそ道』を主題とした作品を数多く制作しています。なかでも、『おくのほそ道』の全文を書写し、関連する絵を添えた作品は、これまで4件の現存が知られていましたが、このたび新たに5件目となる作品が発見されました。
この作品は、史料のみから知られるものも含め、諸本中もっとも早い時期に制作された作品であり、それらの起点となる重要作と位置付けられます。奇しくも、『おくのほそ道』が刊行されてから320年となる節目の年に発見された蕪村の図巻を、関連する当館所蔵品とともに初公開いたします。”
新発見の文書、興味が湧くではないか。その時、ウェッブサイトからリーフレットも入手できた。
京博にはいつものよに大阪から京阪特急で上京。七条で下車して、東向き徒歩約10分。実際に京博に着いてみると、あまり人出はない。閑散としていて、当然のように平成知新館に誘導される。
この平成知新館に入る前に、実はこの辺りから北に方広寺があったという看板があり驚いたのだ。地図で確かめると北隣に確かに大仏殿跡の公園がある。京都には色々歴史があるものだ。
ここへ来て、平成知新館の常設展に“蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示が開催されているのだとようやく分かった。
常設展は延々と続いた。確か3階からスタート。京博の所有する日本の名品を古代・縄文の遺物、つまり土器や道具などから展示している。1階には結構大きな仏像が多数展示。これらの仏像を見て、ようやく以前に見たものだと思い出した。2017年の“開館120周年記念特別展覧会海北友松展”であったろうか。かなり疲れてようやく、本番“蕪村の「奥の細道図巻」”。
いよいよ、1階の奥、西側のフロアに“蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示コーナーに至る。(申し訳ないが“蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示は7/18まで。気付かず申し訳ない)
俳人らしい洒脱で外連味のない楽しい絵だ。まぁ漫画に近いのではないか。ところが、リーフレットの解説文には“蕪村自身が「海内に並ぶ者」はいないといってはばからなほどに得意とした俳画”とあった。まぁ良いじゃないか、自画自賛も優れていればそれも良し!当然だろう!
解説のリーフレットによれば、“蕪村の「奥の細道図巻」”は『奥の細道』の“全文書写し挿絵を添えた作品はこれまで4件の現存が知られて”いるとのこと。それは、海の見える杜美術館本、京都国立博物館本、山形美術館本、逸翁美術館本であるとのこと。挿絵や仮名遣いは皆、すこしづつ変わっているという。そして、今回見つかった展示本はその中で、最も初期のものだという。
その挿絵は今回展示の初本では9場面だが、“海杜本は13場面、京博本は14場面、逸翁本は15場面と、制作年が下がるにつれて徐々に増えて”いるとのこと。
ところで、今回新発見の文書、どこでどの様に発見されたのかの説明は何故かない。これは名古屋での発見だとはあるが、何故名古屋だったのかは、分かっていないようだ。
文書の文字は読めない。なので挿絵の鑑賞だけとなり、あっけなく本番の観覧・鑑賞は終わる。
まぁ、それでも昼近く。東山七条バス停には間もなく四条烏丸行きのバスが来るハズ!急いでバス停へ。
昼食は大丸の近くの蕎麦屋で、メニューを見て心変わりで蕎麦ではなく玉子丼を注文。どんな玉子丼かと思いきや、御飯の上に載っているのは本当に卵だけだった。京都人の合理性か?まぁ旨ければいいじゃないか!
その後無事、午後の研修に備えた。
何でやねん?!野党が弱いからヤぁ!!
自民党:63議席(+8)、公明党:13議席(-1)、立憲民主党:17議席(-6)、日本維新の会:12議席(+6)、国民民主党:5議席(-2)、共産党:4議席(-2)、社民党:1議席維持、れいわ新選組:3議席、NHK党:1議席、参政党:1議席を獲得
という訳で、“憲法改正に前向きな自民、公明、維新、国民を合わせた4党は、非改選議席を含めて177議席となり、憲法改正の発議に必要な3分の2の166議席を上回”ったとなる。
憲法は改正するべきだろう。制定して半世紀以上経過しているので、国際情勢は当時とは大きく変化している。
にもかかわらず、“戦争は嫌だ”などと無闇に“平和を希求”しても徒労なのは、ウクライナを見れば分かる御時勢なのだ。ウクライナ人はその歴史を通して、常に国土が戦場になって来たことを知っている。だから日本人とは逆に、無闇に“平和を希求”せず、侵略者に命を懸けて“武力で戦って”いる。一方、外交力のないこの国に“外交で平和を”、“話し合いで平和を”は空念仏に過ぎないことは明白だ。もう“戦争は嫌だ”などという限りなく情緒的・感情的拒否反応は、今や捨てる時なのだ。
立民と国民の退潮が鮮明となった。連合の影響力が低下した結果だろう。 この傾向は今後もっと強くなるのではないか。今や官庁・公共事業体や、大企業の正規労働者は減少傾向にあり、労働貴族の意見は日本国民多数の政治的立場を代表しているとは思えない。これにすがって、政治活動をすることの将来性はほぼないだろう。世の中は大きく変化している。非正規労働者をITを使うなどして組織化して、政治勢力を作らねば絶望的だろう。未だに共産を毛嫌いするような古い狭い了見では、大同団結など夢の又夢。敵の分断策略にまんまと乗ってしまっているのだ。
特に、立民は“全国政党だから”などと意味のないプライドは捨てて、地域活動を推進し、基礎自治体での得票を増やさなければ、維新に大いに遅れを取るだろう。日本国民一人一人は具体的に基礎自治体の住民である。その住民の民意を理解せずに国政はやれまい。国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は当初ブレーメンから出てミュンヘンの基礎自治体を経て、民意を反映し、また民意を誘導して急速に政権を得た。これを研究し真似たのが維新の会だ。こうした地道な活動を決してバカにしてはならない。
だが何よりも不思議なのが、選挙投票直前で日本与党政界の巨大な闇が白日の下に明らかになってにもかかわらず、自民圧勝となったことだ。事件のあった奈良での自民候補者も無事当選している。特にその巨大な闇には明らかに外国勢力が控えているにもかかわらず、なのだ。恐らく、このような現象は他国の選挙では決して見られないことではないか。諸外国では政治家が何らかの外国勢力と関係性があるとされるだけで、その政治家に疑惑の目が集中するが、日本ではそうではないことが、今回の選挙で分かった。
それが、何故“国葬”となるのか。そこにはその外国勢力に苦しむ日本人がいて、それと関係性の強いと見られる政治家だった人を“国葬”にするのは、人が好過ぎるバカだ。
今回の元首相銃撃事件で、犯人は外国のしかも宗教団体と深い繫がりがあると“思い込んで”犯行に及んだとの報道が当初からなされている。この“思い込んで”という言葉を使うことで、まるで犯人の妄想のような伝え方をしているが、かなりの確度で“思い込んで当然”の事実ばかりではないのか。この報道の言葉選びの偏向がワザとらしく思えてならない。それは政権与党への忖度のような気がする。そして、この言葉選びの偏向は未だに継続している。だから“日本には報道の自由がない”と批判されるのだ。
この国の人々は上から下まで“お人好し”としか思えないのだ。或いは、社会性、特に政治性に鈍感なのだ。つまりオメデタイ・アホバカ!
“何故そうなったか”の社会心理学的分析も聞いたことが無い。そんな分析をすれば、周囲から叩かれるからなのだろうか。アホバカ分析で、真実を語れば返り血を見るのか。ならば、そこには学問の自由もない。
随分以前から“アホで何が悪い?!”との意識が密かに蔓延してきていたことは知っていた。最近は“分かれへんネン!”、“チョット、何言ってんだか分かんネェ!”と言うギャグが流行って、テレビでの街頭インタビューでも“それは難しいので・・・”と平気でノタマウ御仁が目立つ。
昔、“日本は恥の文化だ”と分析した外国の文化人類学者が居たが、今の日本ではアホバカが恥ではなくなり、無知でも平気なのだ。無知が平気となれば“お勉強”の意味がなくなり、何の理性的進歩もなくなるのだ。オバカ・タレントが流行る。日本文化は変質して堕落しているのか。
現に、日本社会の様々な局面での思考停止或いは退行現象が目立つようになってきた。
日本人の賃金が上がらないのは、生産性が低いからであり、生産性が上がらないのは、日本の産業の大半を占める中小零細企業の生産性が上がらないからだ。それは中小零細の経営者が何ら工夫せず思考停止して、十年一日のこれまでの事業をそのまま運営し、或いは“皆で渡れば怖くない”、“オタク、どないしたはります?”とばかり横並び経営をやっているからなのだ。そしてDXもイミフのまま放置。そんなことをしていてはコモディティ化した製品しか生産できず、オリジナル製品を世に問えないまま、レッド・オーシャン市場で価格競争に苦しむだけの時代になっているのだ。だからアジアの各国に経済的に立ち遅れてしまうのだ。いつまで、こういうことを続けるつもりだろうか。
そういった思考停止の結果の総体として“日本のジェンダーギャップ指数、116位 今回も主要先進国で最下位” なのではないか。それは思考停止の果てにいつまでも様々な局面での工夫を放棄して、既得権を墨守するために頑迷固陋な与党議員に投票している結果ではないのか。こうして進歩のないまま、日本人は70~100年遅れの社会意識で生きているような気がするのは、私ばかりなのだろうか。
“お人好し”の日本人、鵜の目鷹の目の諸外国の餌食にならないことを祈るばかりだ。スリランカの現状報道を目にするにつけ、そこに日本の将来像を見るような気がする。だが、最早手遅れなのではないか。約50年前、既に三島由紀夫が憂国の決起をしたが、真意は未だに広く伝えられずに今日に至っている。それが今後も続き、ついに後戻りできない所に来ているのではないか。それが、この度の銃撃事件となって露になったのかも知れない。
こういった深刻な社会分析もついに聞かれない!ドイコト?
クワバラ、クワバラ・・・またしても本当のことを言ってしまった。私のドウニモ止マラナイ悪い癖なのだ。ここで言ったコトはホントウかウソか、その判断は読者にお任せしたい!もっとお勉強シマショッ!今やトニカク・・・・・・南無阿弥陀仏
さて先々週は、神戸市立森林植物園からの孤独のハイキング以外にも、その週末に京都国立博物館の特集展示を見に行ったので報告したい。又しても、京都で午後からの研修。例によって、午前の時間を何に費やすか、ネットで京都での催しを検索して、京博の“新発見!蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示を見つけて、興味を持って出かけたのだった。
当初、“エッ?与謝蕪村が『奥の細道』?”よく見ると、『奥の細道「図巻」』となっている。どうやら、芭蕉の『奥の細道』に挿絵を添付した文書の新発見であると分かった。
京博のウェッブサイトの紹介文に次のようにあった。
“松尾芭蕉を深く敬愛していた与謝蕪村(1716~83)は、芭蕉の俳諧紀行『おくのほそ道』を主題とした作品を数多く制作しています。なかでも、『おくのほそ道』の全文を書写し、関連する絵を添えた作品は、これまで4件の現存が知られていましたが、このたび新たに5件目となる作品が発見されました。
この作品は、史料のみから知られるものも含め、諸本中もっとも早い時期に制作された作品であり、それらの起点となる重要作と位置付けられます。奇しくも、『おくのほそ道』が刊行されてから320年となる節目の年に発見された蕪村の図巻を、関連する当館所蔵品とともに初公開いたします。”
新発見の文書、興味が湧くではないか。その時、ウェッブサイトからリーフレットも入手できた。
京博にはいつものよに大阪から京阪特急で上京。七条で下車して、東向き徒歩約10分。実際に京博に着いてみると、あまり人出はない。閑散としていて、当然のように平成知新館に誘導される。
この平成知新館に入る前に、実はこの辺りから北に方広寺があったという看板があり驚いたのだ。地図で確かめると北隣に確かに大仏殿跡の公園がある。京都には色々歴史があるものだ。
ここへ来て、平成知新館の常設展に“蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示が開催されているのだとようやく分かった。
常設展は延々と続いた。確か3階からスタート。京博の所有する日本の名品を古代・縄文の遺物、つまり土器や道具などから展示している。1階には結構大きな仏像が多数展示。これらの仏像を見て、ようやく以前に見たものだと思い出した。2017年の“開館120周年記念特別展覧会海北友松展”であったろうか。かなり疲れてようやく、本番“蕪村の「奥の細道図巻」”。
いよいよ、1階の奥、西側のフロアに“蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示コーナーに至る。(申し訳ないが“蕪村の「奥の細道図巻」”の特集展示は7/18まで。気付かず申し訳ない)
俳人らしい洒脱で外連味のない楽しい絵だ。まぁ漫画に近いのではないか。ところが、リーフレットの解説文には“蕪村自身が「海内に並ぶ者」はいないといってはばからなほどに得意とした俳画”とあった。まぁ良いじゃないか、自画自賛も優れていればそれも良し!当然だろう!
解説のリーフレットによれば、“蕪村の「奥の細道図巻」”は『奥の細道』の“全文書写し挿絵を添えた作品はこれまで4件の現存が知られて”いるとのこと。それは、海の見える杜美術館本、京都国立博物館本、山形美術館本、逸翁美術館本であるとのこと。挿絵や仮名遣いは皆、すこしづつ変わっているという。そして、今回見つかった展示本はその中で、最も初期のものだという。
その挿絵は今回展示の初本では9場面だが、“海杜本は13場面、京博本は14場面、逸翁本は15場面と、制作年が下がるにつれて徐々に増えて”いるとのこと。
ところで、今回新発見の文書、どこでどの様に発見されたのかの説明は何故かない。これは名古屋での発見だとはあるが、何故名古屋だったのかは、分かっていないようだ。
文書の文字は読めない。なので挿絵の鑑賞だけとなり、あっけなく本番の観覧・鑑賞は終わる。
まぁ、それでも昼近く。東山七条バス停には間もなく四条烏丸行きのバスが来るハズ!急いでバス停へ。
昼食は大丸の近くの蕎麦屋で、メニューを見て心変わりで蕎麦ではなく玉子丼を注文。どんな玉子丼かと思いきや、御飯の上に載っているのは本当に卵だけだった。京都人の合理性か?まぁ旨ければいいじゃないか!
その後無事、午後の研修に備えた。
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