The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
服従・同調・内面化のプロセス―“無責任の構造”を読んで
06.01.16.
一度 岡本浩一著 “無責任の構造”、“権威主義の正体”を ご紹介しましたが、未消化でしたので取り上げます。
“無責任の構造”では、最初に東海村でのJCO臨界事故の概要と原因について言及しています。これで、何故私が この社会心理学者の本に興味を持つのかお分かりになったでしょうか。著者岡本氏は政府の“事故調査委”の首相指名メンバーだったそうで、事故の経過については“無責任の構造”に詳しく出ています。
結局のところ“安全よりも効率が優先される企業体質”が問題で“原子力ゆえの特異性はほとんどない。むしろ、組織違反とそれを許容する風土・体質の問題が大きい”と断じています。(リスク・マネジメントの心理学―事故・事件から学ぶ)
“ある重大な組織違反があり、その違反が組織の上部の一部で承認され、かつ隠蔽されているとする。そうすると、「組織に忠実な人」の定義が、「その隠蔽に荷担する人」というように変質していく。その結果、その隠蔽に反対する人は、上層部から除外されたり、上層部への昇進を遅らされたりすることになる。” さらに“隠蔽されている違反が、昇進への登竜門として機能することになる。”と言うのです。
どうしてそうなるのか。“「無責任の構造」は、業界により、あるいは会社により、さまざまな職場土壌と倫理風土により、異なっている。” その悪しき風土に“不本意ながら、従っているうちに、やがて、従っている不本意な行為の背景にある価値観を、自分の価値観として獲得してしまうこと(内面化)がある。・・・服従や同調から内面化が生じるプロセスが、少なくとも一握りの人たちの心に起こることによって、「無責任の構造」が維持されるのである。”と言っています。
この服従→同調→内面化のプロセスに 人はどのように巻き込まれて行くのかが 社会心理学のテーマであるようです。若いうちには“良いカルチャー”の組織に所属すれば それに服従→同調→内面化していくことは その人の 教育に良い結果をもたらすものですが、“悪しき風土(カルチャー)”の組織に所属すれば 何も知らずに 悪しき“思考回路”に心から染まってしまう(内面化する)ことになります。そういう意味で 経営者は 教育者でもあると思うのです。常に 高い倫理性を持って ご自分の会社を“良いカルチャー”の組織に 革新して行かないといけないと思うのです。
この本“無責任の構造”では 非常に恐ろしい結果の出た心理学実験を紹介しています。アメリカの社会心理学者ミルグラムによって行なわれた有名な服従に関する実験だとのことです。ナチスのユダヤ人“大量殺戮命令が 多くの将校や兵士によって事務的ともいえる実直さで遵守” されたプロセスを概念的に再現した研究だそうです。
内容詳細は本書に譲りますが、次のような実験です。何ら社会的関係のない被験者が 実験で仮の役割として教師役と生徒役に分けられ、生徒役には単語対を記憶させ、試験をする。生徒役は電気イスに座らされ、誤答すると電気ショックを与える。生徒役が回答を間違える都度 電気ショックのレベルを上げて行き、ついには生命の危険に及ぶレベルにまで達するという実験です。この実験では 教師役は役割を拒否することに何の罰則や不利益もないことにしてあり、実は被験者は教師役の人だけで、生徒役は 電気ショックに対して芝居で反応することにしているという設定です。ところが、被験者の40人の教師役の26人65%が最後のレベルの“生命への危険”を超える電気ショックを与えてしまったという結果が出た、というものです。(15~450ボルトまで段階的に上げるのですが285ボルトまでは誰も拒否していない。)
殆どの人が ある種の義務感からだけで、このような残忍な行動を平気でとる可能性があることを示しているというのです。つまり 容易に周囲の事情に同化、服従し “実直に”ホロコーストに至る素地を持っているとのことです。(他にもアッシュの同調実験などの紹介もある。)
また“認知的複雑性の低さ”が 悪い文化への服従→同調→内面化のプロセスを容易に助長進行させる背景であるというのです。こうした条件の重なった 人類史的不幸が“ナチス”への服従→同調→内面化のプロセスで 最終的に ホロコーストに到るというもので、それを“権威主義の正体”で詳細に紹介しています。
ですが、この“認知的複雑性”が 高い方が 本当に手放しで良いことと言えるのかどうか・・・。やはり“過ぎたるは及ばざるが如し” で問題が 発生します。著者自身 自覚されているかどうか分かりませんが、“権威主義の正体”のあとがきで その“症状”を告白しています。つまり“認知的複雑性が高い”ために選択の判断基準が多くなりすぎて、あれか、これかと 悩んでしまって 中々 行動に移せなくなるのです。著者の場合は この本を書く 決心が付かなかったとのことです。
私は 未だ “認知的複雑性”が高くないので、この投稿記事 無理してでも 拙速で書いた次第で、失礼いたしました。
一度 岡本浩一著 “無責任の構造”、“権威主義の正体”を ご紹介しましたが、未消化でしたので取り上げます。
“無責任の構造”では、最初に東海村でのJCO臨界事故の概要と原因について言及しています。これで、何故私が この社会心理学者の本に興味を持つのかお分かりになったでしょうか。著者岡本氏は政府の“事故調査委”の首相指名メンバーだったそうで、事故の経過については“無責任の構造”に詳しく出ています。
結局のところ“安全よりも効率が優先される企業体質”が問題で“原子力ゆえの特異性はほとんどない。むしろ、組織違反とそれを許容する風土・体質の問題が大きい”と断じています。(リスク・マネジメントの心理学―事故・事件から学ぶ)
“ある重大な組織違反があり、その違反が組織の上部の一部で承認され、かつ隠蔽されているとする。そうすると、「組織に忠実な人」の定義が、「その隠蔽に荷担する人」というように変質していく。その結果、その隠蔽に反対する人は、上層部から除外されたり、上層部への昇進を遅らされたりすることになる。” さらに“隠蔽されている違反が、昇進への登竜門として機能することになる。”と言うのです。
どうしてそうなるのか。“「無責任の構造」は、業界により、あるいは会社により、さまざまな職場土壌と倫理風土により、異なっている。” その悪しき風土に“不本意ながら、従っているうちに、やがて、従っている不本意な行為の背景にある価値観を、自分の価値観として獲得してしまうこと(内面化)がある。・・・服従や同調から内面化が生じるプロセスが、少なくとも一握りの人たちの心に起こることによって、「無責任の構造」が維持されるのである。”と言っています。
この服従→同調→内面化のプロセスに 人はどのように巻き込まれて行くのかが 社会心理学のテーマであるようです。若いうちには“良いカルチャー”の組織に所属すれば それに服従→同調→内面化していくことは その人の 教育に良い結果をもたらすものですが、“悪しき風土(カルチャー)”の組織に所属すれば 何も知らずに 悪しき“思考回路”に心から染まってしまう(内面化する)ことになります。そういう意味で 経営者は 教育者でもあると思うのです。常に 高い倫理性を持って ご自分の会社を“良いカルチャー”の組織に 革新して行かないといけないと思うのです。
この本“無責任の構造”では 非常に恐ろしい結果の出た心理学実験を紹介しています。アメリカの社会心理学者ミルグラムによって行なわれた有名な服従に関する実験だとのことです。ナチスのユダヤ人“大量殺戮命令が 多くの将校や兵士によって事務的ともいえる実直さで遵守” されたプロセスを概念的に再現した研究だそうです。
内容詳細は本書に譲りますが、次のような実験です。何ら社会的関係のない被験者が 実験で仮の役割として教師役と生徒役に分けられ、生徒役には単語対を記憶させ、試験をする。生徒役は電気イスに座らされ、誤答すると電気ショックを与える。生徒役が回答を間違える都度 電気ショックのレベルを上げて行き、ついには生命の危険に及ぶレベルにまで達するという実験です。この実験では 教師役は役割を拒否することに何の罰則や不利益もないことにしてあり、実は被験者は教師役の人だけで、生徒役は 電気ショックに対して芝居で反応することにしているという設定です。ところが、被験者の40人の教師役の26人65%が最後のレベルの“生命への危険”を超える電気ショックを与えてしまったという結果が出た、というものです。(15~450ボルトまで段階的に上げるのですが285ボルトまでは誰も拒否していない。)
殆どの人が ある種の義務感からだけで、このような残忍な行動を平気でとる可能性があることを示しているというのです。つまり 容易に周囲の事情に同化、服従し “実直に”ホロコーストに至る素地を持っているとのことです。(他にもアッシュの同調実験などの紹介もある。)
また“認知的複雑性の低さ”が 悪い文化への服従→同調→内面化のプロセスを容易に助長進行させる背景であるというのです。こうした条件の重なった 人類史的不幸が“ナチス”への服従→同調→内面化のプロセスで 最終的に ホロコーストに到るというもので、それを“権威主義の正体”で詳細に紹介しています。
ですが、この“認知的複雑性”が 高い方が 本当に手放しで良いことと言えるのかどうか・・・。やはり“過ぎたるは及ばざるが如し” で問題が 発生します。著者自身 自覚されているかどうか分かりませんが、“権威主義の正体”のあとがきで その“症状”を告白しています。つまり“認知的複雑性が高い”ために選択の判断基準が多くなりすぎて、あれか、これかと 悩んでしまって 中々 行動に移せなくなるのです。著者の場合は この本を書く 決心が付かなかったとのことです。
私は 未だ “認知的複雑性”が高くないので、この投稿記事 無理してでも 拙速で書いた次第で、失礼いたしました。
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