goo

首相の“温暖化ガス中期目標”への発言に思う

先週、麻生首相は 様々な重要決断をした。私は その内“温暖化ガス中期目標”についての決断に注目している。それは“(2020年に)2005年比15%削減を目標” とする決断である。これは、“1990年比7%減”に相当する。結論から言えば、私は これは妥当な目標であると思っている。

首相の挙げた目標値は募集したパブリックコメントの“6つの選択肢”には無かった数字である。この“15%削減”に最も近いのが選択肢③の“2005年比14%削減”であって 実際に決断したのは それに1%の削減を上乗せした数字となったようだ。首相自身は この数字を示すに先立って次のように述べて、この“15%削減”は 結構厳しい選択肢の③よりさらに厳しい数字であるとして理解を求めている。

“パブリック・コメントでは、7割を超える御意見が選択肢のうち「2005年比で4%削減」、いわゆる1です。それを支持しておられます。これはヨーロッパや米国と同じ費用の対策を行った場合の削減幅です。この案は経済界からも、また、労働界からも多くの御意見をいただきました。重く受け止めなければならないのは当然です。しかし、低炭素革命で世界をリードする。このためには一歩前に出て、倍の努力を払う覚悟を持つべきなのではないだろうか、そう思っております。”

そして注目するべきは 排出権取引や 植林によるCO2吸収効果 は 考慮していないということだ。
首相は続けて、次のように言っている。“(この目標は)いわゆる真水の目標です。外国から排出権を買ってくる分や、植林によって加算する分については京都議定書では5.4%分の削減量を見込みました。今回の新たな枠組みでは、これらの扱いをどうするかは、今後の国際交渉を見極めた上で判断したいと考えております。”
国際的交渉過程で、5%程度は 上乗せを飲むことも有りうることをにおわせているのだ。
排出権取引が 公正で効果的なものであるのかについて 大いに疑問があるという立場から見ると、これは極めて 合理的で冷静な決定であると思うのだ。

政府も こういう決断に至るまでに各界の代表者の意見を聞いている。
例えば 直近の5月24日に開催された“第9回地球温暖化問題に関する懇談会”では 寺島実郎氏も意見書を提出して、選択肢③を支持している。
そして、日本政府の政策の継続性を尊重するべきような論旨を展開している。恐らく日本の国際的信用を貶めないことを大切に考えてのことかも知れない。いわばブレない政策、integrityの尊重。これこそ“国家の品格”なのだろう。
そして、原子力発電への重点投資は不可欠の政策としている。
さらに “温暖化” にはあまり関係なさそうなのだが、“「国際連帯税」的視界”が必要と説いている。ヘッジファンドも網にかけるような国際的金融規制機関に 国際環境問題に対処するための財源を確保するように提言するべきだと言っている。寺島氏らしい 着目点だと思う。
さらに “(14%の削減)以上はCDMなどで積み上げを含みとする”としていて、あたかも“首相決断”の原案を成したかのようである。

ただ、やっぱり“温暖化防止対策”を本気でとりかかるには 原子力エネルギーを活用しなければならないという“対抗リスク”があるということに注意しなければならない。これは 日本のエネルギーや環境問題専門家の一致した見解のようだ。“GHG(グリーン・ハウス・ガス)による温暖化”を正しいと信じれば、原子力に頼らざるを得ないというのは当然の論理的帰結なのだ。
だが、果たして そのような選択が正しいのだろうか。“GHGによる温暖化”が真実かどうかは 今後 数年から10年程度で明らかになるのではないかと 密かに思っているが、それから 意思決定しても遅くないように思う。
但し、省エネルギー・省資源活動は 人類にとって絶対的に意義ある政策なので ぐずぐずするべきではないが。

一方、この各界代表意見書の中には 訳の分からない意見書もある。
その内の一つに 最後に決め台詞のつもりであろうか “「何々%を削減するにはコストはいくら掛かるか」といった議論では、日本は「理路整然と間違う」”と言って終わっているのがある。この人は一体何が言いたいのだろうか。
この人の意見書では まず国際的な環境ビジネスの展開状況を説明して、日本もこの動きに乗り遅れるなと言いたいようである。しかし、不易流行という言葉があるが、こんなハヤリモノに 右顧左眄するような思考スタイルで 国策を決めようというのはいかがなものか。このような人が よく委員として選ばれたものだ。
論理的に政策を積み上げる過程で コストも大きな政策決定要因だと思われるが この人は、そういうことはムダだとでも言いたいのだろうか。それとも、政策選択に論理的選択を超える選択方法があるのだろうか。
かつて、日本が戦争に突き進んだ時 これと全く同じメンタリティではなかったか、論理性や冷静さを失くした時 それこそ「大きく間違う」のではないのか。
さて 蛇足であるが、この人の“環境意識”には 私は疑問符が付くと思っている。その意見書の書式にその本質が見えたような気がするからである。PDF・A4で5頁、1頁15行で 先ほどの内容なのだ。実に 紙の無駄使いである。こんな人に“日本は「理路整然と間違う」”などと言われても 心を打つことはない。あたかもゴア氏と 同じような精神構造を感じてしまうのだ。
ちなみに、寺島氏の意見書はA4で1枚に端的に書かれている。

要するに 私としては 基本的に “GHGによる温暖化”の真実性は 限りなく怪しいと思っている。しかし、地球上の人口増加が 加速度化している今日、省エネルギー・省資源活動は 人類にとって絶対的に必須の政策であるとも思っている。したがって、一見CO2削減策に沿う部分も多いが、例えば 原子力エネルギーの普及には 放射能汚染防止の技術は まだまだ不十分なレベルでだと見ているので 抑制的に考えている。むしろ 慌てすぎて 原発を過度に増やすことには危険性を感じる。これが 将来 人類にとっての最大のリスクになるのではないかとすら危惧している。
一方、国際的に約束したCO2削減目標があるが、これには 何とかギリギリ キャッチアップする程度で 国際的信用を保つこととするべきではないか。まして、排出権取引には 否定的に見ている。これも何か 胡散臭さが漂う。せいぜいで、開発途上国援助の延長線上で考えるべきことであって、国民の血税をムダに使わないように注意するべきだと考えている。
そうこうしている内に、地球寒冷化が 始まるのではないか。“温暖化”の論議には それほどの危うさがあると思っているのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« “適塾”遺構見学 私にとっての“... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。