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島田裕巳著“空海と最澄はどっちが偉いのか?―日本仏教史7つの謎を解く”を読んで
トランプ大統領について、前々回その反知性主義に基づいて論評したが、その兆候がますます酷くなって来たように思う。しかし、その御当人の特性について巷間様々に言われている。曰く“非常にクレバーであり、言質を取られて、前言を撤回するような発言はしない。”というのもある。果たしてどうであろうか。
日米安保マフィアの重鎮と目されるリチャード・アーミテージ氏は、反トランプで共和党員でありながら大統領選のスタート時点からクリントン氏を支持していた。そのアーミテージ氏はトランプ氏に指名されて国防長官に就いた狂犬ジェームズ・マティス氏については、同じ海兵隊出身であり、非常に信頼しているようだ。つまるところ、当面の日米安保体制は基本的には従前通り維持されると見てよいのであろうが、それは従属(植民地支配)的な現状維持でしかない。しかしながら、トランプ氏の右腕と目されるスティーブ・バノン氏との関係性はどうなるかは不明で、万一対立的となった場合、対日安保政策は容易に変更され得るとされる。一般に筋金入り軍人は非戦を考えるとされるが、バノン氏は好戦的のようだ。今後、両者の権力闘争に注目される。
オヨヨの安倍首相は対米交渉の口火となった、マティス氏との会談を非常に重視したようだったが、ひとまず安心と言った呈であろうか。それにしてもビビンチョの我らが首相、トランプ大統領のディールに簡単にはまって、日本の年金資産まで米国開発の資金に差し出すと考えたようだ。これを国会で追及されると、ここでもオヨヨとばかり、その意向を一旦否定して見せたが、本心はいかがなものか。
まぁ、米国新政権のドタバタは当面少なくとも春先まで続くのであろう。そしていよいよ6月頃からは政権政策が膠着状態に至り、混乱は拡大すると思われる。その時、ウォール街はどう動くのか、政治的不安定を嫌い、暴落で応えることも十分にありうる可能性として考えられる。
さて、本題に入ろう。今年に入って読んだ本についての感想だ。このところ、何故だか本を読まなくなっている。従来は電車に乗れば本を読むようにしていたが、今はスマホで到着したE-mailを読んでいる。その内の殆どはメルマガで、読み終えるのに結構時間がかかるので、負担になっている。これが本を読まなくなった原因だろうか。しかし、年末には逆にスマホに届いたE-mailを処分できずに溜まり過ぎてしまっていた。どのように折り合うべきか、今後の対応に困っている。
そんな事情の中で最近珍しく気楽に読めたのが表題の本、島田裕巳著“空海と最澄はどっちが偉いのか?―日本仏教史7つの謎を解く”であった。私は、“日本仏教史7つの謎”より、“空海と最澄はどっちが偉いのか?”に注目して買ってしまった。“空海と最澄はどっちが偉いのか?”は従来から指摘される問題であるが、ほぼ結論は出ているかのような雰囲気にあり、それをことさらに本の表題にして示すというのは、ある意味結構勇気の要ることではないかと思った。その部分を果たしてどのように表現しているかの興味も大いにあった。
読み始めてしばらくして、本を売る商業主義にはまってしまったことをようやく理解することになる。この本の本当の主題はむしろ“日本仏教史7つの謎”であり、“空海と最澄はどっちが偉いのか?”については、その内の1つを語っているに過ぎない。つまり、この本は7章から出来上がっていて、7つの謎をテーマにしているのであり、その内の1章の第2章で“空海と最澄はどっちが偉いのか?を取り上げている。ここで、どっちが偉いと言っているか。全体として日本の仏教史であり、それに絡んだ天皇の御譲位の問題を取り上げている、という印象である。
第2章では先ずは、空海の書について語っている。空海は王羲之を手本にした書を残し、“最澄の書も悪くはないですが、空海ほどの独創性はありません。書で比べたら、最澄はとうてい空海には及びません。”と言っている。
“(空海は)最澄と同じ遣唐使船で唐に渡るのですが、空海は国費ではなく、私費で唐に渡ります。・・・こうしたことから、国費留学生としてのエリートである最澄と、私費留学生としての非エリートの空海という対比がなされるようになっていきます。”
しかし、“三教指帰”で空海自身が出家した経緯、修行の状況を語っているが、田舎育ちで先ほど触れた王羲之の書を手本にすることなど不可能のはず、つまりは“田舎育ち”は過剰演出ではないかというような暗示を著者・島田氏はしている。
また、空海は中国の高僧・恵果から大量の密教の経典をもらってはいるが、この写経にはお金がかかったはずなので、実は“空海は唐に渡るときに天皇からの手紙を携えていた。しかも、それに見合うだけの大金も所持していた。ということは、彼は、日本の国を代表するような立場で唐に渡ったということになります。”と島田氏は推測している。もちろん中国側の史料によれば、空海は漢語や梵語に精通していてその実力を認められており、何より恵果自身が空海と会って“待っていた”という意味のことを言い、大変喜んだとの逸話もあったほどの能力が空海にあった、という。
遣唐使船で唐に上陸した際の空海の対応で、現地唐側の役人がその能力の高さに驚き、短期間の滞在にもかかわらず、現地の人々が未だに空海を尊崇しているという驚異的事実をNHKがかつて特集番組で紹介していたことを私も記憶している。島田氏は、この本ではそのエピソードまでは書いていない。
またこの本の別の箇所で、“空海が唐から戻ってきた後も、最澄が空海に密教について教えを乞うという出来事が起こります。空海より年上で、超エリートであるはずの最澄が、空海に頭を下げて教えを求めたのです。・・・証拠となる史料がいくつも残っています。・・・ここで、最澄と空海の立場が入れ替わっています。”と言っているが、これは有名なエピソードのようで、私も以前から知っていた。
最後に、結論的に次のように書いている。“最澄も、伝教大師として大師号を賜りますが、空海ほど伝説は生まれませんでした。比叡山と高野山を比べれば、日本の仏教史において比叡山の方が重要かもしれませんが、宗教家としては空海が最澄を圧倒しているのではないでしょうか。”やっぱり、そうかの感想であった。
さて、“空海と最澄”以外に何が書かれているのかここに目次を紹介しよう。
第1章 日本人は本当に無宗教なのか?
第2章 空海と最澄はどっちが偉いのか?
第3章 浄土教信仰はどのように広まったのか?
第4章 実像が分からない親鸞 分かりすぎる日蓮
第5章 なぜ葬式と仏教は深い関係にあるのか?
第6章 なぜ新宗教の建物は巨大なのか?
第7章 なぜ天皇の信仰は仏教でなくなったのか?
この第1章の“日本人の無宗教性”について、その無自覚性を指摘しているかのようだ。世界では信仰対象の変遷が激しいのに、日本だけは“土着の神道と、外来の仏教が千五百年以上も共存する形で伝えらてきています。この事実は、奇蹟と言っていいかもしれません。”と指摘している。“無宗教”を英訳すると適切な訳がない。non religionという言葉はなく、意味が通じない。irreligionは反宗教に近くなる。さりとて、無宗教には無神論という負の積極性もない。ところが実態的には正月の初詣には、神社・仏閣に熱心に出かけている。これが日本人の無宗教性であるとは、外国人からは不思議に思われるのではないかと言っている。
しかし、明治になって神仏分離令が出て、“廃仏稀釈”が起きた。これによって、神仏習合の風習は失われ、神社に設けられた神宮寺もなくなり、それ以外にも名刹・古刹ですら地位が危うくなったという。よい例が興福寺。奈良県全体が寄進されていて、俗世勢力の統治が成立しなかった。にもかかわらず、現在では本堂もなく“今は小さくなって、塀もなく、境内は国にとられて奈良公園になってしまって”いるとの指摘である。
現在“古くからの伝統”と思われているものが、明治で定められたものが多いとも指摘している。そう言えば、神社での参拝の様式“二礼二拍手一礼”も、各地でばらばらだった慣習を明治政府が統一して定めたということを最近聞いた。確かに親からは、こうでなければいけないと厳しく言われたことはなかったので、それは事実として納得しできるものだ。ならば厳正に順守しなければならない作法でもなく、ある程度適当でも“伝統”から言えば構わないのかも知れない。
日本の宗教(仏教)は、原始神道、法華経信仰、密教、浄土信仰、禅という順で興隆、伝来して歴史を経てきている。これに儒教の祖先を敬う影響も受けている。平安期以降重視され、特に真宗では“南無阿弥陀仏”と唱えることが絶対的信仰の基礎である“念仏”の起源は密教の“行”の一つとして伝えられ、それが変形して地獄・極楽の発想や浄土思想と結びついたものと解説している。
ここで真宗の寺とそれに結びついた墓のある私にとって驚きなのは、第4章の“実像が分からない親鸞 分かりすぎる日蓮”である。 島田氏は親鸞が越後に流された、或いは法然の高弟であったというのは疑わしいと言っている。そして残された真筆の文書も少ないと主張している。肝心の教義は“歎異抄”にあるとされるが、これは当人の著作ではなく、弟子の唯円によるものなので、“果たしてそこに親鸞の思想が開陳されているのでしょうか。”と言っている。
これに対し、日蓮には多数の文書が残っているという。
最も衝撃的なのが、最終章“なぜ天皇の信仰は仏教でなくなったのか?”である。ここでは、喫緊の御譲位の問題が当然のように取り上げられていて、著者の問題意識が語られている。
著者は、先ず皇室典範の皇位継承は直系の男子に限られている問題点を指摘する。“現在の皇太子である徳仁親王が天皇に即位した場合、その子供は女性である愛子内親王しかいません。皇室典範の規定では、(現皇太子の)弟の秋篠宮文仁親王や、甥に当たる悠仁親王は皇太子にはなれません。皇太子のことは、特別措置法では解決しません。内閣法制局の見解では、生前退位を認める上でも憲法の改正を必要とするとされています。”と言っている。しかし私には事実認識に確証がなく驚きの指摘なので、引用にとどめたい。これに続けて島田氏はこの問題は“現代という社会においては、家が長く続くことが相当に難しくなっています。天皇家もその例外ではないのです。”と問題の本質を指摘している。
ここで改めて第1章で指摘された明治期に“神仏分離”政策と神道中心へと移行したことが、“宮中祭祀”の始まったきっかけだと指摘している。宮中三殿もそのために江戸城へ御所の移転で設置されたとのこと。しかし、歴史的には歴代天皇は仏教伝来時から、その後“国家鎮護”を意識した時代へと仏教を尊崇し、中国や朝鮮にも類例のない巨大な東大寺大仏を造営した。これは、神道と仏教とでは性格が異なり対立せず棲み分けし、場合によっては習合し密接な関係を保ち、“天皇もまたそうした時代の影響を受け”て信仰を持っていた。
そうした文化的背景の中で、出家した皇族の“法親王”が宮家継承に果たした役割に注目している。つまり、一旦出家しても還俗して宮家を継ぐ事例もあったという。“しかし、たとえ法親王が還俗しても皇位には就けないというのが暗黙のルール”だったとのこと。ならば、直接皇位継承可能者を増やすことには有効ではないではないか、という思いも湧いてくる。要するに宮家を増やして、間接的に寄与しうるということなのか、著者の意図するところは曖昧だ。
とにかく、著者は天皇と神道、仏教との関係を改めて考え直し、そうした視点で“天皇という存在を見直すことも、今の時代には必要なことではないでしょうか。”とこの本を終えている。少々論理性が希薄になっている不満が残る。
少々とっ散らかって終わってしまい、申し訳ない。
日米安保マフィアの重鎮と目されるリチャード・アーミテージ氏は、反トランプで共和党員でありながら大統領選のスタート時点からクリントン氏を支持していた。そのアーミテージ氏はトランプ氏に指名されて国防長官に就いた狂犬ジェームズ・マティス氏については、同じ海兵隊出身であり、非常に信頼しているようだ。つまるところ、当面の日米安保体制は基本的には従前通り維持されると見てよいのであろうが、それは従属(植民地支配)的な現状維持でしかない。しかしながら、トランプ氏の右腕と目されるスティーブ・バノン氏との関係性はどうなるかは不明で、万一対立的となった場合、対日安保政策は容易に変更され得るとされる。一般に筋金入り軍人は非戦を考えるとされるが、バノン氏は好戦的のようだ。今後、両者の権力闘争に注目される。
オヨヨの安倍首相は対米交渉の口火となった、マティス氏との会談を非常に重視したようだったが、ひとまず安心と言った呈であろうか。それにしてもビビンチョの我らが首相、トランプ大統領のディールに簡単にはまって、日本の年金資産まで米国開発の資金に差し出すと考えたようだ。これを国会で追及されると、ここでもオヨヨとばかり、その意向を一旦否定して見せたが、本心はいかがなものか。
まぁ、米国新政権のドタバタは当面少なくとも春先まで続くのであろう。そしていよいよ6月頃からは政権政策が膠着状態に至り、混乱は拡大すると思われる。その時、ウォール街はどう動くのか、政治的不安定を嫌い、暴落で応えることも十分にありうる可能性として考えられる。
さて、本題に入ろう。今年に入って読んだ本についての感想だ。このところ、何故だか本を読まなくなっている。従来は電車に乗れば本を読むようにしていたが、今はスマホで到着したE-mailを読んでいる。その内の殆どはメルマガで、読み終えるのに結構時間がかかるので、負担になっている。これが本を読まなくなった原因だろうか。しかし、年末には逆にスマホに届いたE-mailを処分できずに溜まり過ぎてしまっていた。どのように折り合うべきか、今後の対応に困っている。
そんな事情の中で最近珍しく気楽に読めたのが表題の本、島田裕巳著“空海と最澄はどっちが偉いのか?―日本仏教史7つの謎を解く”であった。私は、“日本仏教史7つの謎”より、“空海と最澄はどっちが偉いのか?”に注目して買ってしまった。“空海と最澄はどっちが偉いのか?”は従来から指摘される問題であるが、ほぼ結論は出ているかのような雰囲気にあり、それをことさらに本の表題にして示すというのは、ある意味結構勇気の要ることではないかと思った。その部分を果たしてどのように表現しているかの興味も大いにあった。
読み始めてしばらくして、本を売る商業主義にはまってしまったことをようやく理解することになる。この本の本当の主題はむしろ“日本仏教史7つの謎”であり、“空海と最澄はどっちが偉いのか?”については、その内の1つを語っているに過ぎない。つまり、この本は7章から出来上がっていて、7つの謎をテーマにしているのであり、その内の1章の第2章で“空海と最澄はどっちが偉いのか?を取り上げている。ここで、どっちが偉いと言っているか。全体として日本の仏教史であり、それに絡んだ天皇の御譲位の問題を取り上げている、という印象である。
第2章では先ずは、空海の書について語っている。空海は王羲之を手本にした書を残し、“最澄の書も悪くはないですが、空海ほどの独創性はありません。書で比べたら、最澄はとうてい空海には及びません。”と言っている。
“(空海は)最澄と同じ遣唐使船で唐に渡るのですが、空海は国費ではなく、私費で唐に渡ります。・・・こうしたことから、国費留学生としてのエリートである最澄と、私費留学生としての非エリートの空海という対比がなされるようになっていきます。”
しかし、“三教指帰”で空海自身が出家した経緯、修行の状況を語っているが、田舎育ちで先ほど触れた王羲之の書を手本にすることなど不可能のはず、つまりは“田舎育ち”は過剰演出ではないかというような暗示を著者・島田氏はしている。
また、空海は中国の高僧・恵果から大量の密教の経典をもらってはいるが、この写経にはお金がかかったはずなので、実は“空海は唐に渡るときに天皇からの手紙を携えていた。しかも、それに見合うだけの大金も所持していた。ということは、彼は、日本の国を代表するような立場で唐に渡ったということになります。”と島田氏は推測している。もちろん中国側の史料によれば、空海は漢語や梵語に精通していてその実力を認められており、何より恵果自身が空海と会って“待っていた”という意味のことを言い、大変喜んだとの逸話もあったほどの能力が空海にあった、という。
遣唐使船で唐に上陸した際の空海の対応で、現地唐側の役人がその能力の高さに驚き、短期間の滞在にもかかわらず、現地の人々が未だに空海を尊崇しているという驚異的事実をNHKがかつて特集番組で紹介していたことを私も記憶している。島田氏は、この本ではそのエピソードまでは書いていない。
またこの本の別の箇所で、“空海が唐から戻ってきた後も、最澄が空海に密教について教えを乞うという出来事が起こります。空海より年上で、超エリートであるはずの最澄が、空海に頭を下げて教えを求めたのです。・・・証拠となる史料がいくつも残っています。・・・ここで、最澄と空海の立場が入れ替わっています。”と言っているが、これは有名なエピソードのようで、私も以前から知っていた。
最後に、結論的に次のように書いている。“最澄も、伝教大師として大師号を賜りますが、空海ほど伝説は生まれませんでした。比叡山と高野山を比べれば、日本の仏教史において比叡山の方が重要かもしれませんが、宗教家としては空海が最澄を圧倒しているのではないでしょうか。”やっぱり、そうかの感想であった。
さて、“空海と最澄”以外に何が書かれているのかここに目次を紹介しよう。
第1章 日本人は本当に無宗教なのか?
第2章 空海と最澄はどっちが偉いのか?
第3章 浄土教信仰はどのように広まったのか?
第4章 実像が分からない親鸞 分かりすぎる日蓮
第5章 なぜ葬式と仏教は深い関係にあるのか?
第6章 なぜ新宗教の建物は巨大なのか?
第7章 なぜ天皇の信仰は仏教でなくなったのか?
この第1章の“日本人の無宗教性”について、その無自覚性を指摘しているかのようだ。世界では信仰対象の変遷が激しいのに、日本だけは“土着の神道と、外来の仏教が千五百年以上も共存する形で伝えらてきています。この事実は、奇蹟と言っていいかもしれません。”と指摘している。“無宗教”を英訳すると適切な訳がない。non religionという言葉はなく、意味が通じない。irreligionは反宗教に近くなる。さりとて、無宗教には無神論という負の積極性もない。ところが実態的には正月の初詣には、神社・仏閣に熱心に出かけている。これが日本人の無宗教性であるとは、外国人からは不思議に思われるのではないかと言っている。
しかし、明治になって神仏分離令が出て、“廃仏稀釈”が起きた。これによって、神仏習合の風習は失われ、神社に設けられた神宮寺もなくなり、それ以外にも名刹・古刹ですら地位が危うくなったという。よい例が興福寺。奈良県全体が寄進されていて、俗世勢力の統治が成立しなかった。にもかかわらず、現在では本堂もなく“今は小さくなって、塀もなく、境内は国にとられて奈良公園になってしまって”いるとの指摘である。
現在“古くからの伝統”と思われているものが、明治で定められたものが多いとも指摘している。そう言えば、神社での参拝の様式“二礼二拍手一礼”も、各地でばらばらだった慣習を明治政府が統一して定めたということを最近聞いた。確かに親からは、こうでなければいけないと厳しく言われたことはなかったので、それは事実として納得しできるものだ。ならば厳正に順守しなければならない作法でもなく、ある程度適当でも“伝統”から言えば構わないのかも知れない。
日本の宗教(仏教)は、原始神道、法華経信仰、密教、浄土信仰、禅という順で興隆、伝来して歴史を経てきている。これに儒教の祖先を敬う影響も受けている。平安期以降重視され、特に真宗では“南無阿弥陀仏”と唱えることが絶対的信仰の基礎である“念仏”の起源は密教の“行”の一つとして伝えられ、それが変形して地獄・極楽の発想や浄土思想と結びついたものと解説している。
ここで真宗の寺とそれに結びついた墓のある私にとって驚きなのは、第4章の“実像が分からない親鸞 分かりすぎる日蓮”である。 島田氏は親鸞が越後に流された、或いは法然の高弟であったというのは疑わしいと言っている。そして残された真筆の文書も少ないと主張している。肝心の教義は“歎異抄”にあるとされるが、これは当人の著作ではなく、弟子の唯円によるものなので、“果たしてそこに親鸞の思想が開陳されているのでしょうか。”と言っている。
これに対し、日蓮には多数の文書が残っているという。
最も衝撃的なのが、最終章“なぜ天皇の信仰は仏教でなくなったのか?”である。ここでは、喫緊の御譲位の問題が当然のように取り上げられていて、著者の問題意識が語られている。
著者は、先ず皇室典範の皇位継承は直系の男子に限られている問題点を指摘する。“現在の皇太子である徳仁親王が天皇に即位した場合、その子供は女性である愛子内親王しかいません。皇室典範の規定では、(現皇太子の)弟の秋篠宮文仁親王や、甥に当たる悠仁親王は皇太子にはなれません。皇太子のことは、特別措置法では解決しません。内閣法制局の見解では、生前退位を認める上でも憲法の改正を必要とするとされています。”と言っている。しかし私には事実認識に確証がなく驚きの指摘なので、引用にとどめたい。これに続けて島田氏はこの問題は“現代という社会においては、家が長く続くことが相当に難しくなっています。天皇家もその例外ではないのです。”と問題の本質を指摘している。
ここで改めて第1章で指摘された明治期に“神仏分離”政策と神道中心へと移行したことが、“宮中祭祀”の始まったきっかけだと指摘している。宮中三殿もそのために江戸城へ御所の移転で設置されたとのこと。しかし、歴史的には歴代天皇は仏教伝来時から、その後“国家鎮護”を意識した時代へと仏教を尊崇し、中国や朝鮮にも類例のない巨大な東大寺大仏を造営した。これは、神道と仏教とでは性格が異なり対立せず棲み分けし、場合によっては習合し密接な関係を保ち、“天皇もまたそうした時代の影響を受け”て信仰を持っていた。
そうした文化的背景の中で、出家した皇族の“法親王”が宮家継承に果たした役割に注目している。つまり、一旦出家しても還俗して宮家を継ぐ事例もあったという。“しかし、たとえ法親王が還俗しても皇位には就けないというのが暗黙のルール”だったとのこと。ならば、直接皇位継承可能者を増やすことには有効ではないではないか、という思いも湧いてくる。要するに宮家を増やして、間接的に寄与しうるということなのか、著者の意図するところは曖昧だ。
とにかく、著者は天皇と神道、仏教との関係を改めて考え直し、そうした視点で“天皇という存在を見直すことも、今の時代には必要なことではないでしょうか。”とこの本を終えている。少々論理性が希薄になっている不満が残る。
少々とっ散らかって終わってしまい、申し訳ない。
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« 奈良学園前の... | “講演・C0P21... » |
空海は真言宗を完成させたので、手を加える余地がないほど完璧すぎたなんていわれてもいます。
叡山に存在した浄土関係の経典から法然が浄土宗を興し(親鸞は浄土真宗)、法華経関係の経典から日蓮が出た。このような叡山における思想上の生産性の豊かさは、最澄が叡山をドグマの府にしなかったからといえるという解釈もあるようです。