呼吸の話パート4
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます。
友人の撮影から
昨日の夕方はあんなにきれいな夕日が見れたのですが、今朝は曇り空が広がっています。
卑弥呼
実は私の母が、去る5月5日子供の日に他界し昨日は母の49日でした。
思い起こすとブログの記録では2011年8月より実家のある山梨県石和温泉へ、
通い始めました。
その後、2014年8月3日タイトル「生命力・肺血栓塞栓症」から27日「生命力を後押しするもの」までの約1か月の間に、何回か母のことを記録しています。
母は、呼吸器疾患で在宅酸素療法でしたので、自然と呼吸に関わる記事が多くなったのだと思います。
2011年5月31日「呼吸に関わる筋肉」から同年11月7日まで
呼吸器筋のことをお伝えしていますので、お時間ありましたら、是非ご覧ください。
2014年の夏、母を私の地元であった当時川崎市中原区の近くにあった施設でお世話させていただき、
その後も母は加齢に伴う様々な症状や疾患を乗り越えながら。。。というよりも、受け入れながら生きてきました。
今年3月20日、90歳を迎え臨終を迎える3時間前までは、大きな画面で孫たちのビデオレターを見ながら微笑み語り掛けていました。
施設のベッドでも、見舞いに訪れる方々やお世話くださるスタッフの皆様にも感謝してにこやかに微笑みかけていました。
ダンスパーティー
先に帰宅しようと挨拶した主人にも、「ありがとう!」とはっきりした口調で
答えてくれました。
すでに母は足の裏にチアノーゼが出ていて、血圧も上は60を切り
サチュレーションと言って指先に挟んで測定する酸素飽和度酸素も80%を下回っていました。ナンテン
しかし、少し前まであった胆嚢炎の痛みや皮膚のかゆみもすべてなくなり、
私の問いかけには目は閉じたままうなずき、首を横に振って答えてくれました。
主人の退出後約3時間は迫りくる母との別れの時間を、私は思い残すことがないくらい
多くを語り伝え、母に一ミリも恐怖や不安がないように、腕をゆっくりとマッサージしていました。
そして、子供の日の意義である「こどもの人格を重んじ。。。。母に感謝する」も伝えました。
母にありがとうの花
やがて、母は下顎を動かすような呼吸を始めたのでとても苦しそうに、でも頑張って呼吸しているのだと感じました。
「もうそんなに無理しないで、大丈夫だから。。。もう頑張らないで楽にして。。。」私の声に
やがて、下顎の動きが止まりました。
すぐに看護師さんを呼び完全に喉の動きが止まり、18時59分安らかな寝顔をした母との今生の別れの瞬間でした。
母の最期のあえぐような下顎を動かす呼吸のことを「下顎呼吸・かがくこきゅう」といい、努力呼吸のことだそうです。
昨日の49日、母の遺影のそばには、大好きな花でいっぱいになりました。
そして、夕方は鮮やかなピンクとブルーのグラデーションが美しく空を染めて、母が喜んでくれているに違いないと思い感慨深い時を過ごしました。
我が家のベランダから
皆様、本日も最後までお読みくださり有難うございました。
「呼吸の話」はひと区切りとしますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
では、素敵な週末をお過ごしくださいませ。m(__)m