今回、母が無事に退院できたのは、病院スッタフや医療の力、家族のサポート、
そして、本人がもう一度元気になりたいという思い、
自分の足で歩いて、排泄したい。
もっとご飯を食べれるようになって元気になりたい。
好きな洋服を着て、おしゃれがしたい。
ヘアースタイルを整えたり、パーマもかけたい。
こんな思いや希望が本人を突き動かし、生命力を沸き立たせたのだと思います。
食事が食べれるようになり、点滴が外れ、退院時にはこれまで3リットルの酸素を吸入していたのが
3分の1の1リットルになりました。
2011年初夏が近年における母の最初の入院でした。
ワーファリンという血栓を溶かす薬の影響で
大量の血尿が出ました。
即刻入院して、あらゆる検査を受けましたが臓器に別条はありませんでした。
この時甲府の病院に入院したのですが、その後石和温泉から通うことが困難なため
住まい近くの病院への転院を希望しました。
多くの病院には地域医療連携室というのがあります。
その中には、医療ソーシャルワーカーさんがいて、
患者や家族のために、病院側のスッタフへの希望なども含めた
いろいろな相談にのってくれます。
私は、家族が入院してはじめてこのような窓口(相談室)があることを知りました。
この3年半くらいの間、母は検査受診も含めて、数か所の病院でお世話になり
その多くは笛吹川近くの病院で過ごしたわけですが・・・
病院側への希望や苦情、主治医からの病状説明のお願い、転院
退院後の施設等の情報提供、退院の段取りなど
多くの面で、サポートをしていただきました。
特に、県外から行き来をしていたこともあり
家族の負担や精神面など、その辺の事情も十分理解していただきながら
的確なアドバイスや情報をいただくことができました。
人間には誰もわからない命の期限があります。
病にかかり、それに立ち向かう身体の中からの自然治癒能力、自己の気力(精神力)
それを後押しする、医療や人の力によって、
生命力を最大限活かしきることができるのだと思います。
現在母は、刻みや一口大のとくべつ食ではなく
普通のお食事をいただき、
トイレは、ほぼ自分で伝い歩きをして、部屋のトイレに行けるようになりました。
本人かつての希望どおり、好きな洋服を着て
入院時や、施設の形態によってはかなわなかったできる範囲のおしゃれもしています。
母にとって、移転というのは高齢ということもあり大変なストレスになると思いました。
しかし、移動には最大の配慮をしたうえで、当日は有資格者の介護タクシーを使い
道路情報も調べ、平日の朝出発して無事に今の施設に入所できました。
力の及ばないこともありますが、私の近くに来てもらったことで
これからも母の「最終章」の力添えができたらと、思う日々です。
これまで、励ましや助言をいただきました皆様本当にありがとうございました。
おはようございます。
日差しのない分、まだ気温が低く、冷たい風がしのぎやすさを感じる朝です。
あたりは静けさを破るように虫の声や鳥の声が響いています。
夏休みも終わり、今日から学校が始まるようですが
昼間にはトンボの飛び交う姿にゆっくりと季節の移ろいも感じるようになりました。
今年の2月入院前には、石和温泉駅近い「住宅型有料老人ホーム」に入居し
車いすに酸素療法の生活でした。
その半年前も入院生活を送っていたのですが、
温泉病院リハビリでも、車いすから歩行が叶うまでの改善はなされませんでした。
今回の入院で母の食事の改善は、何よりも大きな健康回復になりました。
それと何年も飲み続けたあれだけたくさんの薬をやめたことも、関与するのでは?と思っています。
食事を食べれるようになってから、
貧血はなくなり、水分の不足もなく、点滴が1200から1000
1000から500、500から200。。。。点滴なしと、生命の危機を宣言されてから
1か月半をめどに、すべてが上向きに回り始めました。
1日のスケジュールの中に、リハビリなど生活機能訓練が組まれ、
本人が、「もう一度歩きたい。。。自分でトイレに行きたい。。。」
という思いも回復に大きな拍車をかけました。
今回の入院中、理学療法士の皆様、作業療法士の皆様には
大変お世話になりましたことを、心から感謝しています。
ありがとうございました。
2014.5.29
3メートルの平行棒を3回往復できた母
このたび広島で多くの犠牲者を出し、現在も捜索活動が行われていますが
最愛の家族や知人をなくされた皆様へのお悔やみと、犠牲になられた方々への
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
久しぶりの雨の週末です。
熱い大地から、ジューという音が聞こえてきそうです。
さて、母が2月に入院してから・・・「家族が足繁く通うことと、
その行動を見守ることで、気付きや発見がありました。」
と前回お伝えいたしましたが、
病院側の人手不足?というか患者との意思疎通のむずかしさもあるのか
家族でしか気が付かないことが多々あることを感じました。
今回は主に食事を中心として、改善された事実をお伝えいたします。
ある日のこと、
ベッドに拘束状態、点滴、酸素吸入のため、皮膚や口腔の乾燥が感じられました。
その乾燥が強いため、口角に亀裂が入りうっすら血がにじんでいました。
いつも家族が付き添えたなら、肌の保湿や口腔の清浄などの
サポートもできるのですが、せめてと口角炎のお薬を処方していただきました。
これで一安心かと思っていたのですが
処方されてから3日間、薬袋に入ったまま放置されていました。
家族から処方をお願いして、次に家族が行くまで
拘束された病人に軟膏がつけられることはありませんでした。
またある日、
食事中に行ったところ
とろみの食事を出され、本当にいたしかたなくという食べ方をしていたので、
もしかして、このトロトトロとした感じが嫌なのかと聞いたところ
「そう。。。」という返事
ならばと、看護士さんにその旨を話したところ
「では、明日から刻み食を試してみましょう。でもむせるようなことがあれば
すぐに元に戻します。」ということでした。
しかし、それから刻み食を少しずつ食べれるようになり、
5%から10%・・・と徐々に食が進んできました。
そんなある日、
入れ歯なしで食事をしていることに気が付きました。
「どうして?入れ歯が合わないの?」と聞くと
車いすで食堂につれていってもらい、目の前にお膳が出されると
すぐに行ってしまう人もいるので、歯のことを言う暇がないということでした。
母の入れ歯は、病室のテーブルに置き去りです。
もちろん直ちに、入れ歯の管理をお願いしました。
「せっかく少しずつ食べれるようになったのだから、今後は食堂の移動時に
皆に徹底させます。」と対応してくれました。
また、ある日の昼食で
食事の見守りだけでなく
家族も持ち込みで母と共に食事しようとした時でした。
私が持参した細巻きずしやおにぎりを食べてみたいといって
それを残さず食べれたことでした。
早速、報告したところ
「夕食からこれまでの全粥を普通の御飯にしましょう。」と
いうことになりました。
もちろん、夕飯まで見守りをしましたら、
支障なくおいしそうにご飯を食べる母を見ることができました。
それから、もう一つ
大事な改善点です。
病院や介護施設の多くが、現場で従事する方々のシフトや
体制で回っているため、患者や高齢者の痛みに気づかないことです。
ある日、
朝のレントゲン検査が終わり、本来は病室のベッドに戻してもらいたいと
いう患者の思いは聞かれぬまま、車いすのまま昼食2時間も前に食堂に
待たされていました。
母は圧迫骨折やすべり症もあり、そのうえ30キロない体重であっても
長い時間固い車いすで過ごすことは、体の負担が大きいものでした。
背中やお尻が痛いと、とても苦しそうな表情をしていたので、
「家族が来ましたからお部屋に連れて行きます。」とお願いしました。
母は、酸素をしているのでベッドから車いすに移るときは
酸素の付け替えなどの作業の手間がかかります。
時間に追われている看護士さんたちにはお手間をかける
ことになるとは思いますし、理解はできます。
そこで、ある程度長く座っていても負担がかからないように
座面に何かクッションのあるものをと相談しました。
すると、体重が分散するような優れもののシートクッションを
持ってきてくれました。
背中にも自前のクッションを当てることで
おかげさまで、2時間くらいの車いす姿勢も、負担なく過ごせるようになりました。
このころは耳を近づけないと母の言葉がわからない状態でしたから、
状況や苦痛を理解して、改善できたことが本当によっかったと思っています。
旧盆も過ぎましたが、まだまだ
厳しい暑さが続いています。
母が転居して1ヶ月弱となりました。
少しだけ介護休みを頂き
ミニクラス会に参加してきます。
場所は世界遺産として、観光客が更に増えた富士山の麓、河口湖です。
さて、母は2月24日に入院以来、身体の衰えは進んで行きました。
体重は30kgを下回り、眼球のちからは失せ、息苦しさの為か声はかすれ
てほとんど聴き取れませんでした。
食事は、全がゆとミキサーで砕かれとろみを付けた副食でした。
しかし、ほとんど食べることなく、点滴に委ねていました。
このような状況から、家族が足繁く通うことと、
その行動を見守ることで、気付きや発見がありました。
そして、母の声になり主治医、看護士や介護担当、
リハビリ、作業療法士のみなさんに、
ある時は苦言を呈し、またお願いや相談を繰り返しながら向き合ってきました。
少しずつ希望が見えてきたのは、
肝機能が低くなったとき、これまで
服用していたほとんどの薬をやめたことです。
その後は、胃薬(胃酸を抑えるもの、胃粘膜を保護するもの)だけにして、
必要以上な検査もやめて頂くように希望しました。
実は、食べ物を受け付けず、嘔吐も繰り返していたので、
胃がんの疑いもあり、胃カメラ検査をすすめられていました。
しかし、たとえ癌が見つかっても高齢のため手術は無理なのです。
それに、母はこれまで沢山痛みや辛さと闘ってきたので、
これ以上苦痛を伴うことはやめて頂きました。
実は、東京オリンピックの時にすでに胃がんの手術を経験しています。
甲府市内の病院を点々として、当時はまだ痛みを伴い困難だった胃カメラ検査を
何度も繰り返していました。
その頃の詳しいことはわかりませんが、
おそらく癌と、診断されるまで時間がかかっていたのでしょう。
その後、東京の知人を頼りに
国立がんセンターで手術が受けれることになりました。
東京に旅立つ日の朝、人相まですっかり変わってしまった母から、
年下の兄弟には、黙って行くこと。
そして、「もう帰れないかもしれない」
と、言われたことが忘れられません。
当時、私は小学校5年生で世間は日本で開催されるオリンピックの話題で沸いていました。
その後、九死に一生を得たは母からは、病室から聖火が見えたこと、
真上の病室に当時の池田首相が入院していたことを、聞かされました。
そもそもこの手術が母にとっての
最初の命びろいとなったわけです。
…つかの間の休日を過ごし、帰路に向かっています。
昨夜は河口湖近辺のホテルに泊まり
久々の友人達との会話に花が咲きました。
今日は午前中、お気に入りのオルゴール館に立ち寄り、
五感を癒されて参りました。
8月もあと10日ほどとなりました。
年々、暑さが増してこたえるようになったのは、歳を重ねたせいでしょうか。。。
いくらか日の入りが早くなり、ホッとするこの頃です。
ではまた近いうちに(^-^)/
昨夜は曇りで、スーパームーンは惜しくも迫力に欠けました。
今年2月14日、甲府は明治時代以来100年ぶりといわれる大雪にみまわれました。
中央線のところどころに電車は止まったまま、道路もあちこちで遮断され。。。
友人からは雪国のような写メが送られてきました。
この時にかかった風邪により
病院を受診した24日には肺炎でそのまま入院になりました。
それからは、肺の炎症が治まったものの肝腎共に機能が衰え
その間、食べ物はほとんど受け付けず、1200の点滴と
貧血による輸血、身体拘束と
生命の危機も余儀なくされました。
*高齢者の肺炎について
近年高齢化が進んできたこともあって、肺炎を合併し入院治療を必要とされる方が多いといわれます。
脳血管障害による神経機能の低下、ADL(日常生活動作)の低下、
寝たきりによる口腔内細菌の増加、胃食道逆流、栄養欠乏、
免疫能の低下などが肺炎の原因になります。
高齢者が特に気を付けなければならない肺炎に2つの「誤嚥性肺炎」があります。
1.口の中(咽頭や喉頭)の粘膜に細菌の巣(コロニー)ができていて、細菌を含んだ唾液などの分泌物を誤嚥する。
2.夜間睡眠中、胃食道逆流により胃内容物を誤嚥する。
(この場合、酸や消化液を含んでいて化学的に気道粘膜を損傷するため、肺炎が起こりやすくなる。)
医師であっても、内科や呼吸器を専門にしている医師でないと診断がなかなか難しいということで、
「風邪です」と言われて薬をもらっていたが、なかなか治らないとか、
だんだん元気がなくなってきたということでよく調べたら、誤嚥性肺炎だったということもあります。
1.激しく咳込む 2.高熱が出る
3.濃い痰が多くなった 4.呼吸が苦しい
上記のような典型的な症状があれば発見は容易ですが、
高齢者の場合、外に出る症状が軽いのにも関わらず、肺炎が進行していることも
あるといわれます。
一般的な熱・咳・痰などの他に、
次のような症状(肺炎と無関係と思えるような症状)に注意が必要といわれます。
•元気が無い
•食事時間が長くなった
•食後に疲れてぐったりする
•ぼーっとしていることが多い
•失禁するようになった
•口の中に食べ物をためこんで飲み込まない
このような症状でも、
よく調べると肺炎であったということがあるということです。
なんと、今日が最高に気温が上がる↑。。。なんて聞きましたが、、、
本当に大変な暑さですね。おまけに台風の影響からものすごい風が吹き荒れています。
先日より、86歳の私の母のことを書いておりますが
一人の女性として、
また様々な病気を乗り越えて
健康と立ち向かってきた姿を通して、
人間の生命力について、感じるままにお伝えしたいと思います。
我々がこれから歩む日々の健康という大きな基盤を
認識するためのお役にたてたらと思います。
母は、閉経が早く40代終わり?ごろと聞いています。
そのため、骨のもろさや関節の痛みは、早くやってきました。
転倒による手首骨折、胸椎圧迫骨折、脊椎すべり症。。。など
よく言われているものの中で
「閉経後骨粗しょう症」と「老人性骨粗しょう症」がありますが
以下参考までに
閉経後骨粗しょう症は、文字通り閉経後の女性に多い病気で、50歳~60歳代に生じるタイプです。
65歳の女性では2人に1人が骨粗しょう症に罹っている、とさえいわれます。
この閉経後骨粗しょう症の最大の原因と考えられているのが、
閉経による女性ホルモン(エストロゲン)の分泌低下です。
人によって異なりますが、閉経でエストロゲンの分泌量がそれまでの10分の1程度に減少すると
骨吸収(骨破壊)が優位になってきます。
特に閉経直後の数年間は、年2~4%もの骨密度の低下が見られるということです。
皆様、更新ができない間に早、8月になりました。
以前の記事を見ながら、お待ちいただいた皆様
本当にありがとうございます。
大変お待たせいたしました。
日々、照りつける太陽と格闘しながら
私はかつてない真夏日を過ごしています。
約3年半、ふるさとの甲府やその後の移転先の石和温泉に
母たちのサポートに通う日々でしたが、
7月22日、母が私の地元の施設に元気になって、移転いたしました。
しばらくは、個人的なことになりますが
私の母(86歳)のことを、報告したいと思います。
母は今から約10年前に、浴槽に鼻まで沈みかけていた状態で
発見されました。
すぐに救急搬送され、肺血栓塞栓症と診断されました。
その後、九死に一生を得て
胸の奥(下大静脈)にフィルターを留置して、肺動脈に下肢から血栓が流れ込むのを予防、
血栓を溶かすワーファリンという薬を飲み続け、
さらに、息苦しさをなくすために在宅酸素療法となりました。
あれから、少し不自由ながらも在宅酸素と共に生活する日々となりました。
母が在宅酸素を必要となった原因疾患について、
以下をご参考にしていただき
今日はこの辺で。。。また次回に続きます。
では、水分をたくさん摂って。。。無事故で素敵な週末をお過ごしください。
goo ヘルスケアより
「肺血栓塞栓症」とは
体には、心臓から手足のほうへ流れている動脈と、手足から心臓のほうへ流れる静脈があり、このなかを血液が流れています。
心臓はポンプの役目をして、血液を動脈に送り出しています。
静脈にはポンプはありませんが、代わりに力を入れて手足を動かすなどの筋肉の収縮で、静脈の流れが速くなります。
けがをした時に経験があると思いますが、傷からの出血はしばらくすると自然に止まります。
このように血液が固まることを「凝固(ぎょうこ)」といいますが、血液を循環させるために、血管内部では血液は凝固しません。
しかし、手足の静脈のなかで血液が凝固することがあり、これが「深部静脈血栓症」で、
できた血液のかたまり(血栓)が血管のなかを流れて肺の動脈に詰まる病気が「肺血栓塞栓症」です。
「深部静脈血栓症」と「肺血栓塞栓症」は連続した病気ですので、合わせて「静脈血栓塞栓症」と呼んでいます。