今年もあと一週間となりました。
皆様、この一年も「健康塾通信」をお引き立て下さいまして
誠にありがとうございました。
先日の冬至もあっという間に過ぎ、朝はかぼちゃのお味噌汁、夜はゆず湯と、
ならわしどおりの日を過ごしました。
さて、「いのち」の頁も今回でひと区切りにしたいと思います。
前回の4歳の体験から高校1年になった時、彼は薄れる意識の中で
いのちの危機、まさに恐怖体験を感じたことがありました。
夏休みの、アメリカンフットボールクラブでの合宿の時でした。
茨城県波崎の海岸を、防具をつけたままスイッチバックというトレーニングの最中でした。
本人には記憶がありませんが、チームメイトの証言では
『ホイッスルの合図でひたすら繰り返し走っていて、最後のホイッスルの合図で止まることなく
叫びながら違う方向に走り出して倒れた。』という事でした。
この時すでに意識障害が出ていたのではと推察されます。
ユニホームは切られ、氷で応急措置をされていたようですが
既に2人が救急車で運ばれていて、彼は搬送まで少し待たなくてはいけなかったようです。
私は顧問から連絡をもらい夫婦で遠く離れた病院に駆けつけ
やっと息子に面会できました。
その時の様子で身体は焼け付くように熱いはずなのに、救急車の中では身体が氷のようにどんどん冷たくなっていくのを感じて
「僕はこのまま死んでしまうのかもしれない」と当時を振り返り話してくれました。
原因は『熱中症』でした。
退院後地元の病院を受診して、主治医からは熱中症による意識障害が起きていてとても危険な状態だったこと、
熱中症では『多臓器不全』で死に至ることも聞き、この時もいのちが助けられたと感謝しました。
今年の8月の夫や4歳の息子の『幽体離脱』という臨死体験を含め私は
自らがそれに近い『不思議体験』をしているので、二人の体験をすんなり受け入れることが出来たのだと思います。
しかし、家族のこの体験をもとに私の過去の体験も含め、
『臨死体験』のことを調べてみることにしました。
コペンハーゲン大学の神経医学の研究者、ダニエル・コンドジエラ博士
たちの研究チームが「臨死体験」を調査して以下のようなデータを発表しています。
臨死体験(以下、NDE)を経験したと証言する人々のうち、
87%が「時空の歪み」を経験、
65%が「異常な思考速度」を、
63%が「あり得ないほど鮮明な感覚」を感知していて、
53%が「幽体離脱」のような状態を経験したと、
調査結果は表しています。
≪幽体離脱は体外離脱ともいわれる体験(Out-of-the-Body Experiences. 以下 OBE と略す)というのは、
何らか の原因で自己意識(見ている自己)が自分の身体から離脱して、上から自分の身体や周囲 の事象を見下ろすという現象である。≫
次は立花隆さんが、国内や海外に赴き臨死体験などをされた方々にお会いして
取材をされてきたなかで次のようなコメントがありました。
『人生の再体験というのは、臨死体験でなくても事故等から奇跡の生還を遂げた人の体験談として聞いたことがありました。
例えば高い所から落ちて行く数秒の間に、それまでの人生で体験したことが一度に通り抜けて行ったと、
時間的にはあり得ないことを話す人がしばしばいるということは知識としてありました。』
これは臨死体験とまでは言わないにしても、死の入り口にとても近い体験かとも思います。
私の経験した不思議体験と酷似していました。
21歳の時、下り坂の急カーブで自転車のブレーキが効かず
気づいた時は面前にバスが迫っていて。。。。このままではバスに追突するか、湖に落ちるか。。。
山中湖での早朝サイクリングで起きた当時の記憶は光景と共に
今でも鮮明に脳裏に焼き付いて忘れることはできません。
私は迫っているバスの運転手のこちらを見る怖い目をはっきりとらえていました。
しかし、次の瞬間にはまるで映画のスクリーンのようなものが
目の前に広がって、そこにいたのは幼い自分の姿でした。
大好きな大きなフリルの襟の白いブラウスとタータンチェックのスカートを着てしゃがみながらこちらを振り向きました。
おそらくアルバムの1枚であったと思います。
それから、次々自分の姿が変わり最後には高校生のセーラー服姿の自分が映りました。
同時に頭が最高に研ぎ澄まされフル回転しているのを感じ
「このままバスに追突して死ぬかもしれない。」そう思いました。
そして、「神様、わたしはまだ死にたくありません。これまでの行いが悪くて
このような罰を与えられるなら、いい子になりますから許してください。」
心の中で叫びました。私はこのころ神仏に対しての信仰は持たず
なぜこのように『神』に懺悔したのかもわかりません。
さらに続いて、
「そうだ!助かる方法があるはず!」そう思って
確か3つ浮かび「自転車から飛び降りるんだ!」という
指示なのか考えが浮かんだ瞬間、身体が動いていました。
一緒にサイクリングをしていて私の後ろを走っていた友人の証言によると
間違いなくバスに突進していた私が、急にハンドルを切って
バスにぶつかることなく、自転車は坂道を転がり私はバスのすぐ横に
倒れこんだということでした。
打撲と擦過傷ですみました。
わずか数分?いえ数秒の事だったと思います。
まさに、人生を振り返った21歳の『人生の再体験』です。
今でもあの時の自分は最も頭がさえわたっていたことは確かで、
68歳になった現在もあの時の脳の思考速度は超えたことはありません。
実はだいぶ前、立花隆さんのNHKの番組で臨死体験をテーマにしたことがあり、たまたまその番組を見ていました。
登山家が遭難して山を転げ落ちる時に
人生を走馬灯のように振り返るとコメントされていたのを聞いて、
私の体験と近いと思いました。
こういう体験はなかなか話しても受け入れてもらえなかったので、
はじめて同じ体験を共有できる場面に遭遇し私はNHKに電話をしていました。
「問い合わせを頂いた方に立花さんから参考にしたい旨、お便りかお電話をしたいので連絡先をお聞きしたい。」
とのことでこの時は了承しました。
かなりしばらくして立花隆さんから封書が届きましたが、残念ながらその時は子育ての忙しさもあって
自分の貴重な体験を静かに温めていたいという願望が強く働き、折角のご希望にお答えできませんでした。
立花さん亡き後、残ってしまった後悔です。
「私の人生再体験」はまさに死を直感した瞬間に働いた脳の不思議体験として、
あの時の体験が今の自分を作り上げていると深く確信しています。
それは、毎年事故の8月29日に「今年も生きていてよかった」と感謝すること。
そして、その日から「助けられたいのち、この先の人生は人に役に立つことをさせてもらいたい。」
そう誓い、人生観が変わり今日まで前向きに生きてこられたことです。
長くなりましたが、最後に
『文部科学省 私たちの道徳 中学校 活用のための指導資料より「生 命 」 を 捉 え る 三 つ の 観 点』の追記をします。
〇偶然性…自分が今ここにいることの神秘性 ⇒自己の存在についてプラス思考で捉えるようにしたい。
○ 有限性…一つの生命には終わりがあるもの 一度失っては取り返しがつかないもの ⇒生きていることを大切にする心情を引き出し、
かけがえのない貴重な一日を精一杯生きてい こうとする思いを養いたい。
○ 連続性…過去から現在へ、そして未来へと連綿と受け継がれていく生命 ⇒家族との結びつきを再認識し、
自分も脈々と続くであろう生命の環の一つであることに気づ かせたい。
それでは2021年を健やかに締めくくりたいと思います。
どうぞ皆様も良いお年をお迎えくださいませ。
大変ありがとうございました。
健康塾 古賀公子
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