かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

千里眼

2005-03-10 22:07:10 | 夢、易占
 今日は仕事が思いの外早く済んだので、朝からのもくろみ通り、隣町の古書店までちょっと大回りの寄り道をしてきました。
目的は、「マリみて」の続刊を購いに。
 私の町の近辺では先に入手した8冊しか無く、それらを読み終えどうしても続きを読みたかったかっこうとしては、少々の遠出も厭ってはいられなかったのでした。もちろん、そこの古書店に在庫があることは朝のうちに判っておりましたから、仕事が終わるが早いか、ひとっ走りしたわけです。と言って、その店に在庫の問い合わせをしたわけではありません。例によって、易占で卦を立てたのです。おかげさまで、現在、私は新たに追加した8冊を前に、ホクホク顔で日記を書いております。読みたい本がたくさんあるというのは実に幸せなものです。
 さて、これまでにも漠然と考えておりましたが、今日の的中を見ても、易という占いは、他の占いとは明らかに異なるようです。かっこうは昔から占星術やタロットにも凝っておりまして、本職が使う道具や書物も持っていたりするのですが、これらを使って実践した占いは、まず当たった試しがありません。一方易も万能というわけではなく、占いと言うには大きな制約が一つあります。実は、未来を予測することができないのです。単に私の実力の問題かも知れませんが、例えばこれまで散々ナンバーズ宝くじの数字当てに挑戦してきましたけど、偶然か一度かすっただけで、あとはことごとく惨敗しております。未確定な未来に対しては、まるでお手上げなのです。でも、今回のように、今、この場で情報を得ることはできないけれど、既に確定している事象(つまり店の棚には既に本が並んでいるが、それを私は確かめることができないような場合)には、かなりの高確率でそれを予測する事ができるのです。これは、買い物などをするときには非常に重宝する機能で、そもそも私が易にのめり込むきっかけになったのも、もう15年以上前のこと、雑誌の広告を頼りにアメリカの通販業者から買い物をしようとしたとき、ものは試しと卦を立てて、「もう少し待て」と出たので半信半疑で買い物を延期していたら、翌月号の広告で、その商品が3割以上値引きされて掲載され、驚いたのが始まりでした。これは恐らくユングの言うシンクロシニティなのだろうと思うのですが、あれもいわばそう言う現象がある、というだけで、その現象が一体どのような理屈で生じるのかを説くものでは無かったと思います。自分の占い方を省みても、私は筮竹を使わず、8面体サイコロ2つと6面体サイコロ1つを使う簡略法でやっておりますけど、手の中で3つのサイコロを振り回して、テーブルに放り投げているだけです。その時でた数字をあらかじめ私が自分で勝手に決めた方針に沿って易の卦に置き換え、その卦について書いてある部分を読むだけです。一応サイコロを振りながら占いたいことに集中するよう念じはしますが、おみくじのように吉を願う訳でもなし、サイコロの目が定まるまでは卦も決まらないのですから、何らかの未知の力で私の意志がサイコロに反映したわけではないのです。第一、私がどう念じようとも古書店に並ぶ「マリみて」には何ら影響を与えられないのですから、私の意志が影響するなら、在庫のあるなしに関係なく、あって欲しいと潜在的に願っている以上、あたかも在庫があるかのように卦が出ても不思議はありません。しかしながら、実際やってみると私の町の数件の古書店には無い、という結果しか得られませんでした。念のため、近所のすぐに行けるところを2、3件見て回りましたが、確かに在庫はありません。唯一在庫があると出たのが隣町の一軒だったわけで、これは考えれば考えるほど不思議な現象なのです。
 が、先にも書いたようにこれには一定の法則というか、縛りがあります。従って、その法則性を検討すれば、もう少しこの現象にメスを入れることができるように思うのです。そうすれば、いずれサイコロというミクロの世界と古書店の「マリみて」在庫というマクロの世界との間に、フラクタルな相関関係が読み解ける時が来るかも知れません。私はそれが解ける日を心待ちにしているのです。
・・・それにしても、止められませんね、このシリーズは(笑)。
コメント
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