どうやら今日の天気は残暑厳しい晴れ模様。特段の注意をせずとも安堵してインテックス大阪まで足を伸ばせそうです。コミトレ12参加の後は、日本橋に移動してオフ会ですので、今夜は大分遅くなる見込みです。時間と疲労度合いによっては更新もままならないかもしれませんので、忘れないうちに週一連載の小説をアップしておきましょう。
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「それ以上しゃべっちゃ駄目!」
麗夢はその光景を見た瞬間、あらん限りの声を張り上げ、朝倉の動きを制止した。麗夢自身は、今朝倉を含む数人の男達が演じつつある光景が何を意味するのかは知る由もない。だが、この寒気森々と満ちた、一種荘厳ささえ感じられるこの夢の世界にうち寄せる、期待と歓喜の波を感じ取ったとき、何はともあれ、朝倉を制止なければ、という思いに駆られたのだ。そしてその判断はどうやら正しかった。満ち満ちた悦びの気が一瞬で萎み、代わりに、無理矢理留められた事に対する怒りと苛立ちの気が恐ろしいまでに急速に高ぶるのを麗夢は見逃さなかった。今の今まで、漠然としてその存在すら定かではなかったそこはかとない悪意の源が、今、まさにその気配を凝集し、目の前に現れようとしている。麗夢は思わず左脇のホルスターから、愛用の拳銃をとりだした。そして、鋭く左右に視線を配る。目の端に、呆然とこちらを見上げる朝倉の姿が映る。その向こうには、冷え冷えとした流れを刻む駒込川の水面。更にその先には、所々申し訳程度に雪をへばりつかせた切り立った崖が、何者も寄せ付けぬとばかりに黒々とそびえ立ち、麗夢の視界を遮っている。と、ふと気づくと、朝倉のすぐ側にいた男達の姿が、ない。他と比べて僅かに広い河原となったその谷底の窪地には、いまや朝倉ただ一人が佇むばかりである。麗夢は、意を決すると慎重に道を選び、ついに朝倉の立つ河原まで降り立った。
「朝倉さん! 大丈夫?」
だが、朝倉は、さっき遠目で見たのと同じく、惚けた顔つきで此方を見返すばかりだ。
「朝倉さん! しっかりして!」
麗夢は両手で銃を前に突き出しつつ、油断無く辺りを見渡した。朝倉に近づくにつれ、険悪な気配はどんどん強くなっていく。だが、まだその気配が発せられるポイントが特定できない。この、周囲を崖に取り囲まれた地形のせいだろうか。まるで、全身を圧するかのように、頭上の全方向から強烈な殺意が降り注いで来るかのようだ。
「朝倉さん目を覚まして! これは、貴方の夢なのよ! 貴方が目を覚ませば、この悪夢も消えて無くなるわ!」
だが、麗夢が念を込めて必死に呼びかけたにもかかわらず、朝倉の反応はすこぶる鈍かった。これには麗夢も不審を覚えずにはいられなかった。幾らここが何者かの生み出した悪夢のただ中とはいえ、麗夢がその力の一端を解放して呼びかけたからには、何らかの影響が出てくるものだ。たとえば悪夢の映像が揺らいだり、悪夢に囚われる人が、一時的にせよ惑いから目を覚まし、麗夢に対して反応を示したり。しかし、今この悪夢は非常に安定した形で、麗夢の力を寄せ付けようとしなかった。
「朝倉さん?」
「君は、誰に声をかけているのかね?」
初めて朝倉がしゃべった。麗夢は一瞬、ぽかんと気をとられ、すぐに目の前の青年に呼びかけた。
「だから、朝倉さん」
「私は、朝倉という名前ではない」
「は?」
おかしい。見た目は確かに朝倉に見える。あの、人好きする甘めのマスクは、間違いなく朝倉その人の顔であり、格好こそあの幸畑の資料館で借りたと思われる明治時代の陸軍外套や軍帽をかぶっているが、それ以外は、ついさっき、資料館前で、自分をナンパした若者の姿その物にしか見えない。ただ、雰囲気が明らかに変わっていた。あの資料館前で見せた軽薄な姿は完全に影を潜め、まるでどっしりと地に据えられた巨岩のような落ち着きが、その口調や目の光に感じられる。
「じゃあ一体・・・」
「君こそ何者だね。ひょっとして、『彼女』の侍女か何かか?」
「え? 侍女って・・・」
「君は『彼女』に命じられて、私をこの八甲田山まで連れて来たんじゃないのかね?」
「私が、連れてきた?」
「そうだ。私と『彼女』との約束を果たさせるために。でもせっかく後一歩だったのに、邪魔しないでもらいたかったな。そんなに『彼女』はご立腹なのかね。そろそろ許してもらえるよう君からも口添えしてもらえないだろうか?」
朝倉は、20そこそこの外見からは想像付かない、落ち着いた声とやや年寄りめいた話しぶりで麗夢に言った。どうやらすっかり麗夢をその『彼女』とやらの侍女か何かに勘違いしているようだ。
「『彼女』って誰? 約束って、何を約束したの!」
麗夢は、拳銃を握ったまま、朝倉につかみかからぬばかりに迫った。落ち着き払っていた朝倉も、さすがにこれには少し慌てたようだった。
「おいおい! 『彼女』と言ったら、この山の・・・」
朝倉が告げようとした瞬間だった。これまで崖に阻まれ、僅かにそよぐばかりだった風が、突如大量の雪を巻きながら、猛烈な勢いで二人に吹き付けた。正面からまともに受けた朝倉があっさり尻餅をつき、麗夢もはためくスカートを抑えながら、必死に身をかがめた。風が動いたせいだろうか。一段と凍える冷気が肌を斬りつけるように露出した太股やふくらはぎに襲いかかり、拳銃を握る手を凍えさせた。と同時に、そんな冷気などささやかな涼風にしか感じさせぬほどの殺気が、麗夢の背中に氷の刃となって突きつけられた。
「くっ!」
麗夢は必死に振り返ると、銃口をその殺気の焦点に突きつけた。と同時に、ひとしきり谷を席巻した突風が過ぎ去り、再び落ち着きを取り戻した河原で、遂に麗夢は、相手の正体を知った。
『軽々に吾が名を口にするでない』
白い、ただ白いだけの背景に溶け込むような白い姿が、麗夢の目に映った。
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「それ以上しゃべっちゃ駄目!」
麗夢はその光景を見た瞬間、あらん限りの声を張り上げ、朝倉の動きを制止した。麗夢自身は、今朝倉を含む数人の男達が演じつつある光景が何を意味するのかは知る由もない。だが、この寒気森々と満ちた、一種荘厳ささえ感じられるこの夢の世界にうち寄せる、期待と歓喜の波を感じ取ったとき、何はともあれ、朝倉を制止なければ、という思いに駆られたのだ。そしてその判断はどうやら正しかった。満ち満ちた悦びの気が一瞬で萎み、代わりに、無理矢理留められた事に対する怒りと苛立ちの気が恐ろしいまでに急速に高ぶるのを麗夢は見逃さなかった。今の今まで、漠然としてその存在すら定かではなかったそこはかとない悪意の源が、今、まさにその気配を凝集し、目の前に現れようとしている。麗夢は思わず左脇のホルスターから、愛用の拳銃をとりだした。そして、鋭く左右に視線を配る。目の端に、呆然とこちらを見上げる朝倉の姿が映る。その向こうには、冷え冷えとした流れを刻む駒込川の水面。更にその先には、所々申し訳程度に雪をへばりつかせた切り立った崖が、何者も寄せ付けぬとばかりに黒々とそびえ立ち、麗夢の視界を遮っている。と、ふと気づくと、朝倉のすぐ側にいた男達の姿が、ない。他と比べて僅かに広い河原となったその谷底の窪地には、いまや朝倉ただ一人が佇むばかりである。麗夢は、意を決すると慎重に道を選び、ついに朝倉の立つ河原まで降り立った。
「朝倉さん! 大丈夫?」
だが、朝倉は、さっき遠目で見たのと同じく、惚けた顔つきで此方を見返すばかりだ。
「朝倉さん! しっかりして!」
麗夢は両手で銃を前に突き出しつつ、油断無く辺りを見渡した。朝倉に近づくにつれ、険悪な気配はどんどん強くなっていく。だが、まだその気配が発せられるポイントが特定できない。この、周囲を崖に取り囲まれた地形のせいだろうか。まるで、全身を圧するかのように、頭上の全方向から強烈な殺意が降り注いで来るかのようだ。
「朝倉さん目を覚まして! これは、貴方の夢なのよ! 貴方が目を覚ませば、この悪夢も消えて無くなるわ!」
だが、麗夢が念を込めて必死に呼びかけたにもかかわらず、朝倉の反応はすこぶる鈍かった。これには麗夢も不審を覚えずにはいられなかった。幾らここが何者かの生み出した悪夢のただ中とはいえ、麗夢がその力の一端を解放して呼びかけたからには、何らかの影響が出てくるものだ。たとえば悪夢の映像が揺らいだり、悪夢に囚われる人が、一時的にせよ惑いから目を覚まし、麗夢に対して反応を示したり。しかし、今この悪夢は非常に安定した形で、麗夢の力を寄せ付けようとしなかった。
「朝倉さん?」
「君は、誰に声をかけているのかね?」
初めて朝倉がしゃべった。麗夢は一瞬、ぽかんと気をとられ、すぐに目の前の青年に呼びかけた。
「だから、朝倉さん」
「私は、朝倉という名前ではない」
「は?」
おかしい。見た目は確かに朝倉に見える。あの、人好きする甘めのマスクは、間違いなく朝倉その人の顔であり、格好こそあの幸畑の資料館で借りたと思われる明治時代の陸軍外套や軍帽をかぶっているが、それ以外は、ついさっき、資料館前で、自分をナンパした若者の姿その物にしか見えない。ただ、雰囲気が明らかに変わっていた。あの資料館前で見せた軽薄な姿は完全に影を潜め、まるでどっしりと地に据えられた巨岩のような落ち着きが、その口調や目の光に感じられる。
「じゃあ一体・・・」
「君こそ何者だね。ひょっとして、『彼女』の侍女か何かか?」
「え? 侍女って・・・」
「君は『彼女』に命じられて、私をこの八甲田山まで連れて来たんじゃないのかね?」
「私が、連れてきた?」
「そうだ。私と『彼女』との約束を果たさせるために。でもせっかく後一歩だったのに、邪魔しないでもらいたかったな。そんなに『彼女』はご立腹なのかね。そろそろ許してもらえるよう君からも口添えしてもらえないだろうか?」
朝倉は、20そこそこの外見からは想像付かない、落ち着いた声とやや年寄りめいた話しぶりで麗夢に言った。どうやらすっかり麗夢をその『彼女』とやらの侍女か何かに勘違いしているようだ。
「『彼女』って誰? 約束って、何を約束したの!」
麗夢は、拳銃を握ったまま、朝倉につかみかからぬばかりに迫った。落ち着き払っていた朝倉も、さすがにこれには少し慌てたようだった。
「おいおい! 『彼女』と言ったら、この山の・・・」
朝倉が告げようとした瞬間だった。これまで崖に阻まれ、僅かにそよぐばかりだった風が、突如大量の雪を巻きながら、猛烈な勢いで二人に吹き付けた。正面からまともに受けた朝倉があっさり尻餅をつき、麗夢もはためくスカートを抑えながら、必死に身をかがめた。風が動いたせいだろうか。一段と凍える冷気が肌を斬りつけるように露出した太股やふくらはぎに襲いかかり、拳銃を握る手を凍えさせた。と同時に、そんな冷気などささやかな涼風にしか感じさせぬほどの殺気が、麗夢の背中に氷の刃となって突きつけられた。
「くっ!」
麗夢は必死に振り返ると、銃口をその殺気の焦点に突きつけた。と同時に、ひとしきり谷を席巻した突風が過ぎ去り、再び落ち着きを取り戻した河原で、遂に麗夢は、相手の正体を知った。
『軽々に吾が名を口にするでない』
白い、ただ白いだけの背景に溶け込むような白い姿が、麗夢の目に映った。