休みになって気が抜けたせいか、また少し風邪がぶり返して参っております。熱でもあるんじゃないか、と久々に体温計などを脇に挟んでもみたのですが、とりあえず平熱でしたのでまあ当面大事はない、とは思いますが、例によって鼻の奥の喉の部分が炎症を起こしてひりひり痛むのが厄介です。結局、いまだに薬をやめることが出来ませんし、今日など一日中うつらうつらと夢見心地で布団と仲良くなっておりました。いい加減厭きてきたのですが、何かこう一息にぱっと症状を消し去るいい手はないものでしょうか? まあ、そんな手段があったらあったで逆に怖い気もするのですが。
さて、インターネットラジオ『ハラショー』http://www.harashow.net/の番組『談話室オヤカタ』で奥田監督が出演される、という予告をいたしましたが、今週の水曜日に出てらっしゃいました。
http://www.harashow.net/index.php?f=/danwa/index.html
私はうかつにも今日になって気づいたので早速拝聴したのですが、60年代から70年代にかけてのアニメや映画の話などは、私もリアルタイムでかぶる部分があり、なかなかに興味深い内容でした。そんな時代にせっせと作品作りしていた方の話が今聞けると言うのは、なんというか、一種感慨深い不思議さを覚えます。「ノストラダムスの大予言」なんぞにドキドキし、「こっくりさん」なんぞにうつつを抜かし、テレビのアニメやヒーロー番組に見入っていたあの時代の製作者と受け手が席を同じくして話をしたりする時がこようとは、不思議な巡り合わせもあったものです。たまに、もし「ドリームハンター麗夢」と言う作品がなかったとしたら、あるいはそれを私が観なかったとしたら、今どうなっていただろうか、と思うことがあるのですが、「麗夢」が存在しない、と言うのは奥田誠治と言うアニメーターが存在する以上これが無いという世界を想像するのはなかなかに難しいものがあります。なかったりしたら、ひょっとしたら現在までのアニメ史そのものが大きく変貌しているかもしれませんし。では自分が観ていなかったとしたらどうでしょう。その時には、多分コミケには行ってないでしょうし、そうすると同人小説も書いていないでしょうし、このブログも、その前身たる拙サイト「かっこうの本棚」が存在しなくなるはずなので、こうして毎日せっせと更新することもなかったに違いなく、私の生活は相当に今と違ったものになったことでしょう。でもよくよく考えてみるに、私なら、多分そのときは見逃していても、いずれその存在に気がついて観ていたに違いない、とも思います。そうなると、たとえばコミケも晴海の時は行かずに有明で初参加、とかいう風な多少のずれは生じても、今になれば実のところあまり変わらないのではないでしょうか。まあこんな風に、歴史の禁句を弄んでみても同人ネタの一つも思いつければもうけもの、という程度なのですが、そうして振り返ってみると、つくづく60年代から80年代にかけての諸作品やもちろん「ドリームハンター麗夢」という作品は、私の精神的骨格のかなり深い根元の部分に、どっしりとその土台を据え付けているのだな、と実感されるのでした。
さて、インターネットラジオ『ハラショー』http://www.harashow.net/の番組『談話室オヤカタ』で奥田監督が出演される、という予告をいたしましたが、今週の水曜日に出てらっしゃいました。
http://www.harashow.net/index.php?f=/danwa/index.html
私はうかつにも今日になって気づいたので早速拝聴したのですが、60年代から70年代にかけてのアニメや映画の話などは、私もリアルタイムでかぶる部分があり、なかなかに興味深い内容でした。そんな時代にせっせと作品作りしていた方の話が今聞けると言うのは、なんというか、一種感慨深い不思議さを覚えます。「ノストラダムスの大予言」なんぞにドキドキし、「こっくりさん」なんぞにうつつを抜かし、テレビのアニメやヒーロー番組に見入っていたあの時代の製作者と受け手が席を同じくして話をしたりする時がこようとは、不思議な巡り合わせもあったものです。たまに、もし「ドリームハンター麗夢」と言う作品がなかったとしたら、あるいはそれを私が観なかったとしたら、今どうなっていただろうか、と思うことがあるのですが、「麗夢」が存在しない、と言うのは奥田誠治と言うアニメーターが存在する以上これが無いという世界を想像するのはなかなかに難しいものがあります。なかったりしたら、ひょっとしたら現在までのアニメ史そのものが大きく変貌しているかもしれませんし。では自分が観ていなかったとしたらどうでしょう。その時には、多分コミケには行ってないでしょうし、そうすると同人小説も書いていないでしょうし、このブログも、その前身たる拙サイト「かっこうの本棚」が存在しなくなるはずなので、こうして毎日せっせと更新することもなかったに違いなく、私の生活は相当に今と違ったものになったことでしょう。でもよくよく考えてみるに、私なら、多分そのときは見逃していても、いずれその存在に気がついて観ていたに違いない、とも思います。そうなると、たとえばコミケも晴海の時は行かずに有明で初参加、とかいう風な多少のずれは生じても、今になれば実のところあまり変わらないのではないでしょうか。まあこんな風に、歴史の禁句を弄んでみても同人ネタの一つも思いつければもうけもの、という程度なのですが、そうして振り返ってみると、つくづく60年代から80年代にかけての諸作品やもちろん「ドリームハンター麗夢」という作品は、私の精神的骨格のかなり深い根元の部分に、どっしりとその土台を据え付けているのだな、と実感されるのでした。