アルジェリアの天然ガス関連プラントでの、アルカイダ系イスラム過激派による施設強襲とそこで働く日本人を含む外国人人質事件、あまりに遠いアフリカでの出来事のためか、はたまた我が国の報道機関は外国というと極東の特定国にしか興味が無いためか、どうも十分勝つ内容の確かな情報が得られない様子です。そんな中、アルジェリア軍が救出作戦を強行、多数の死傷者が出ており、その犠牲者の中には日本人もいる、という話もあり、状況は全く予断を許さない緊迫したものが続いています。
アルジェリア当局が、英米の特殊部隊に頼らず、自力での解決を目指した、というのは判らないでもないですし、たとえ経験豊富な特殊部隊といってもこの種の救出作戦は困難を極め、被害ゼロで成功するなんて事はよほどの僥倖に恵まれてでもいなければまず無理、というものだそうですから、アルジェリア軍の強攻策が良かったのかどうか、という点については、なんとも判断できかねるところです。それに、我が国は基本人命を最大限尊重し、場合によってはテロ行為自体を不問に付してその要求に応じたりするようなこともありますが、海外ではとにかくテロには絶対屈しない、というのが常識なので、その点からも、我が国の基本姿勢でもってこの戦闘を判断する訳には行かないところもあります。ただ、それはそれとして、我が国にはやるやらないは別としても、こういう事態に陥ったとき、自らの手で救出活動を行うことが、憲法9条によりできなくなっている、という話が出てきたのが、ある意味一番の驚きだったかもしれません。「日本人の生命、身体、財産は武力行使によって保護することは許されない」という内閣法制局長なるエライ人が昭和48年9月に国会答弁したことが根拠になっているそうな。もちろん、自衛隊が行って何とかなるかどうかは判らないし、そもそもアルジェリアがそれを受け入れるかどうかもありますが、自国民を護るための一手段が最初から取れない、という制限は、あまりにどうかしていると思わざるをえません。国民の生命財産と憲法とどちらが大事なのでしょう? 戦争放棄は議論しても良いと思わないことも無いですが、国民の保護に関する手立てに関しては例外として考えるのが普通の感覚なんじゃないのか、と私には思えます。
まずは人質全員の無事を祈るところですが、この事件が片付いたら、いかに日本国民の命を護って行くか、という点に関して、それを妨げるような要素はことごとく排除する位の気持ちで議論を尽くすべきではなかろうか、と思う次第です。
アルジェリア当局が、英米の特殊部隊に頼らず、自力での解決を目指した、というのは判らないでもないですし、たとえ経験豊富な特殊部隊といってもこの種の救出作戦は困難を極め、被害ゼロで成功するなんて事はよほどの僥倖に恵まれてでもいなければまず無理、というものだそうですから、アルジェリア軍の強攻策が良かったのかどうか、という点については、なんとも判断できかねるところです。それに、我が国は基本人命を最大限尊重し、場合によってはテロ行為自体を不問に付してその要求に応じたりするようなこともありますが、海外ではとにかくテロには絶対屈しない、というのが常識なので、その点からも、我が国の基本姿勢でもってこの戦闘を判断する訳には行かないところもあります。ただ、それはそれとして、我が国にはやるやらないは別としても、こういう事態に陥ったとき、自らの手で救出活動を行うことが、憲法9条によりできなくなっている、という話が出てきたのが、ある意味一番の驚きだったかもしれません。「日本人の生命、身体、財産は武力行使によって保護することは許されない」という内閣法制局長なるエライ人が昭和48年9月に国会答弁したことが根拠になっているそうな。もちろん、自衛隊が行って何とかなるかどうかは判らないし、そもそもアルジェリアがそれを受け入れるかどうかもありますが、自国民を護るための一手段が最初から取れない、という制限は、あまりにどうかしていると思わざるをえません。国民の生命財産と憲法とどちらが大事なのでしょう? 戦争放棄は議論しても良いと思わないことも無いですが、国民の保護に関する手立てに関しては例外として考えるのが普通の感覚なんじゃないのか、と私には思えます。
まずは人質全員の無事を祈るところですが、この事件が片付いたら、いかに日本国民の命を護って行くか、という点に関して、それを妨げるような要素はことごとく排除する位の気持ちで議論を尽くすべきではなかろうか、と思う次第です。