今朝の奈良市アメダスの最低気温は0.8℃、最高気温は13.7℃、五條市アメダスの最低気温は−0.2℃、最高気温は12.1℃でした。一転して数字だけは冬の気候になりましたが、体感的にはよく晴れて気持ちよく降り注いだ日差しもあってか、そこまで寒かったようには感じませんでした。ストーブに火を入れても、冬のさなかのように中々部屋が温もらず毛布をかぶって震えていたようなこともなく、すぐに温まってともすれば暑さを覚えるほどでしたし、外へ出かけるにも、気温からしたらコートの一つも無いと少しこたえそうなはずの冷気があまり感じられず、セーターにマフラーもあれば十分でした。どうにもちぐはぐな気がしますが、長い冬を越えて身体が寒さに慣れきってしまったのでしょうか。どうもそれだけでは無さそうにも思えますが、冬明け早々の独特の空気感があるのかもしれません。
さて、堺市西消防署臨海分署に配備の消防艇の給油口に署員が誤って水をいれ、エンジンを破損、その修理費2260万円を、「単純ミスで市民の理解が得られない」として、ミスをした署員を含む西消防署110名で弁済する事を検討しているのだそうです。給油口から1m離れたところに、青色の蓋のついた給水口があり、油の方は赤色の蓋が付いていました。消防士は給水・給油の際、指差し確認で間違いのないことを認めてからホースを接続する事になっていたそうですが、この署員はそれを怠っていたそうです。
確かに単純極まるミスですが、失敗学といった分野からしたら、そもそも水と油の補給口の仕様が何故一緒なのか、補給方法が同じ工程なのか、という点が根本的な問題であって、ヒトは当たり前にミスをする、という点を忘れているこうした仕様こそ改善すべき、というのが教訓というものでしょう。まあ技術的には何ということもないありふれたミスですし、それをヒトの注意でのみカバーしようとしている限りまたいつか似たようなミスをしでかすに決まっているのですが、この場合一番の問題は、そのミスを署員が弁済する形で決着をつけようとしていることだと私は思います。業務上の損害を何故署員が償わねばならないのでしょう? 意図的な破壊工作ならいざ知らず、想定されうる実にありふれた「単純ミス」をそれを犯した人間の責任だけで処分するというのはおかしいですし、百歩譲って、命の遣り取りをするギリギリの現場で働く消防署員には寸分のミスも許されない、という立場に理解を示したとしても、ミスをした署員への譴責だけならともかく、所員全員の連帯責任にするなど到底理解に苦しみます。連帯意識を高める契機とでも考えているのでしょうか?
そんなことよりも、命のかかる遣り取りをする現場でこそ、ミスは必ずありうることを前提にして、それをいかに防ぐか、いかに損害を局限するかに知恵と努力を振り絞ってもらいたいです。既に今回の事例でも、赤い蓋と青い蓋、という形で一応のミスを防ぐ処置が取られており、そしてそれが、補給ミスを防ぐという目的からすると能力不足であった、という事が証明されたわけです。ならばこれをどう防ぐか、改めて知恵を絞ることこそ、消防署員が一丸になって考えるべきことで、そのためにお金を集めて使おうというのなら、まだ理解できないでもありません(組織としてそれを許すかどうかは別の問題があると思いますが)。
さて、堺市西消防署臨海分署に配備の消防艇の給油口に署員が誤って水をいれ、エンジンを破損、その修理費2260万円を、「単純ミスで市民の理解が得られない」として、ミスをした署員を含む西消防署110名で弁済する事を検討しているのだそうです。給油口から1m離れたところに、青色の蓋のついた給水口があり、油の方は赤色の蓋が付いていました。消防士は給水・給油の際、指差し確認で間違いのないことを認めてからホースを接続する事になっていたそうですが、この署員はそれを怠っていたそうです。
確かに単純極まるミスですが、失敗学といった分野からしたら、そもそも水と油の補給口の仕様が何故一緒なのか、補給方法が同じ工程なのか、という点が根本的な問題であって、ヒトは当たり前にミスをする、という点を忘れているこうした仕様こそ改善すべき、というのが教訓というものでしょう。まあ技術的には何ということもないありふれたミスですし、それをヒトの注意でのみカバーしようとしている限りまたいつか似たようなミスをしでかすに決まっているのですが、この場合一番の問題は、そのミスを署員が弁済する形で決着をつけようとしていることだと私は思います。業務上の損害を何故署員が償わねばならないのでしょう? 意図的な破壊工作ならいざ知らず、想定されうる実にありふれた「単純ミス」をそれを犯した人間の責任だけで処分するというのはおかしいですし、百歩譲って、命の遣り取りをするギリギリの現場で働く消防署員には寸分のミスも許されない、という立場に理解を示したとしても、ミスをした署員への譴責だけならともかく、所員全員の連帯責任にするなど到底理解に苦しみます。連帯意識を高める契機とでも考えているのでしょうか?
そんなことよりも、命のかかる遣り取りをする現場でこそ、ミスは必ずありうることを前提にして、それをいかに防ぐか、いかに損害を局限するかに知恵と努力を振り絞ってもらいたいです。既に今回の事例でも、赤い蓋と青い蓋、という形で一応のミスを防ぐ処置が取られており、そしてそれが、補給ミスを防ぐという目的からすると能力不足であった、という事が証明されたわけです。ならばこれをどう防ぐか、改めて知恵を絞ることこそ、消防署員が一丸になって考えるべきことで、そのためにお金を集めて使おうというのなら、まだ理解できないでもありません(組織としてそれを許すかどうかは別の問題があると思いますが)。