今朝の奈良市の最低気温は23.1℃、昼の最高気温は34.2℃、五條市の今朝の最低気温は20.7℃、昼の最高気温は32.8℃でした。今日も朝からよく晴れて、昼の気温はそこそこ上がりました。ですが、ふと気づいたら夕方は6時を過ぎると薄暗く感じるようになり、6時半にはすっかり暗さが増してヘッドライトを点けて無いと走るのが不安に感じられるようになってきました。朝夕の気温低下も目立ってきましたし、昼はどうあれ、わずかずつですが季節は確実に夏から秋へと移行しつつあるようです。もっとも、気象庁は10月初めまで残暑厳しい、なんて長期予報を出しましたが。果たして無事秋が来て紅葉で山が彩られる日は来るんでしょうか?
さて、独立行政法人国立文化財機構 奈良文化財研究所が、約1300年前の「九九」について記載された木簡を発見したと報道発表しました。見つかった木簡は、奈良県橿原市にある日本最初の本格的大都市「藤原京」から2001年度に出土したもので、その後、奈良文化財研究所が解読を進めていました。昨年、木簡を赤外線で観察したところ、「九々八十一」、「四九卅六」などと漢数字を並べた九九表が浮かび上がりました。おそらく当時の役人が使用した早見表とみられ、当時は九の段から、右から左へと九九表が編まれていたと推測されます。今回のものは、九九と四九が一本の細長い木簡に縦に並べて書かれてあり、縦八行・横五行の表だったと思われます。これまでにも九九自体は出土していますが、これまでのものは1段に2,3行しか書かれておらず、横5行で記されたのは今回が初めてということです。
それにしても、1300年前にすでに九九が知識階級の間では知られていたのですね。その事自体がかなりの驚きなのですが、元々は九九も中国から渡ってきたものらしく、当時としては最新級の教養の一つだったのかもしれません。しかし当時のエリートが暗記するのではなく、現代の九九を習い始めた小学生のごとく手元に九九表を置いて参照していたなんて想像してしまうと、なんておおらかな時代だったのやらとそのノンビリさ加減が微笑ましくなってきます。江戸時代興隆した算学や、明治維新後の躍進を考えると、1300年前に九九を駆使していても不思議ではなさそうです。