かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2.悪夢 その3

2008-04-13 19:56:20 | 麗夢小説『麗しき、夢 完結編 智盛封印』
『いいえ、私は築山殿をお迎えに上がったのではありません。智盛様のために、是非貴方の力をお借りしたくてこうして忍んで参ったのです』
 智盛と聞いて、公綱の意識が一段と明敏になった。
「殿のこととあれば我が微力を尽くして仰せに従いますぞ、麗夢様」
 すると麗夢は深々と頭を下げて、公綱に言った。
『さすが殿が唯一無二と頼みにされる御仁ですね。どうか私に与力下さり、智盛様を連れ去ろうとする悪夢と戦ってくだされ』
「悪夢ですと?」
 公綱は首を傾げて麗夢の言葉を反芻した。
『そうです。五日前、ご覧になった夢を覚えていらっしゃいますか? あれは貴方に助けを請うため、私がお見せしたのです。でもあれはただの夢ではございません。今、智盛様がおかれている立場をそのままにうつしたのでございます』
 麗夢の言葉に、公綱ははっと思いだした。まさかあの夢は・・・。
「そんな! 景高や忠綱が幽鬼と仰られますのか?」
『あの者達だけではありません。今、この陣屋の中で、生きてらっしゃるのは公綱殿、貴方お一人なのです』
 さては上陸からこっちの薄気味悪さは、故無きことではなかったのか、と合点がいった公綱は、一つ重要なことに気が付いた。
「麗夢様、今、生きているのは拙者一人と仰られたが、智盛様は一体?」
『夢でご覧になられたはずです。築山殿』
 公綱は、自分の顔から急速に引いていく血の流れの音を聞いた様に感じた。白骨の馬上、雄々しく下知する智盛の顔は・・・。
「そ、そんなおこなることが・・・」
『まことです。築山殿』
 麗夢の声は、静かであったが、公綱に有無を言わせぬ響きがこもっていた。
『誠に無念この上なきことながら、まことなのです』
 麗夢が幾分うつむき加減で話すのを、公綱は痺れた頭で聞いていた。
『殿は、築山殿が気を失っている間に、漂う波間の内、ただ源氏憎しの一念を抱いたまま自害し果てられたのです。恐らくは、築山殿も果てたと早合点されたのでありましょう。今、築山殿がお仕えする殿は、その妄念のみが残った殿のなれの果てに過ぎませぬ』
 公綱は、夢に見た智盛の姿をもう一度思い起こして怖気を振るった。白骨の馬上絢爛豪華な白銀の鎧をまとうその凛々しき姿。しかし燦然と輝く鍬形打ったる甲の下の顔は、虚ろな眼孔を大きく開けた、髑髏のそれでしかなかった・・・。
『殿の妄念を解き放ち、その魂を安らげ奉るのは容易ではございません。恐らく百年、いえ、千年を要するやも知れませぬ。ですが、このままでは未来永劫、智盛様の御心は醜く恐ろしい妄念に囚われたまま、解き放たれることはないでしょう。ですが、今なら例え千年かかろうとも、やがては安寧の時を迎えられるようにすることは出来ます。どうかお力をお貸し下さい、築山殿』
「しかし、景高や忠綱、いや、兵共も皆幽鬼とあっては、拙者一人で一体何ほどのことがかないましょうや」
『あれらの者は、殿がその妄念によって、倶利伽藍の峠に朽ち果てた髑髏に仮の命を吹き込まれたに過ぎませぬ。いわば実体のない影のようなもの。殿の妄念をお諫めすれば、雲散霧消して塵一つ残らぬでしょう』
「では、いかがすればよろしいのでしょう、麗夢様」
 すると麗夢は、また哀しげに顔色を沈ませ、顔を伏せてしばしの間黙した。公綱もまた、じっと麗夢の言葉を待つ。やがて麗夢は、顔を上げて公綱に言った。
『今日、明るい日のある内に智盛様の御しるしを上げ、風穴の奥に封印して下され』
 公綱は、麗夢の沈黙の意味に気が付いた。たとえ永劫の闇から解き放つためとはいえ、全てを捧げた愛しき男の首を切れ、とは、簡単に言える言葉ではないだろう。恐らく想像を絶する想いがその無言の時に凝縮していたことを、公綱は理解した。公綱は威儀を正して跪くと、美貌の白拍子にはっきり答えた。
「御命、しかと承りましてござりまする」
『では、これをお持ち下さい』
 麗夢は、そ、とたおやかな指に濡れたような艶を放つ自らの髪を絡ませると、くい、と引いて幾筋かを抜き取った。
『手首に巻いて、常に身から離さぬように。この五日で築山殿はやせ衰えるほどに陰気を浴びてしまわれましたが、これでもう陰気に染まることはないでしょう』
「忝ない」
 公綱は、押し戴くようにしてその長い黒髪を受け取った。すると、あれほどけだるく重かった身体に、力が甦るのが感じられた。震えるほどな寒さも収まり、ほのかな暖かみさえ覚えてくる。
『では、御武運を・・・』
 公綱が下げた頭を再び上げたとき、既に麗夢の姿はなかった。
 ・・・ばっと公綱は両手を付いて上体を上げた。口の中に飛び込んだ砂利が疎ましかったが、それよりも辺りを見回して夢御前の姿を探す方に意識をとられた。
「また、夢だったのか?」
 覚えずつぶやく独り言は、全てが口から出る前にすうっと消えた。公綱はじっと自分の手を見ていた。そこに、しっとりと濡れたような光を放つ、数本の長い髪が握られていた。
 これは夢ではない。
 公綱は生乾きの身体のまま、既に中天高く駆け上がった太陽の下、急ぎ智盛の元へと立ち上がった。

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