かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2.悪夢 その2

2008-04-13 19:56:28 | 麗夢小説『麗しき、夢 完結編 智盛封印』
 それは、一日中戦場を走り回った夕刻の様な、と言えば似つかわしいであろうか。全身が何となく鈍く、だるい。意識もあやふやになり、時折、馬上ではっと気が付いたりもする。馬が勝手に歩いてくれるとはいえ、下手をすれば落馬しかねない有様だ。これはいかん、と気を取り直して手綱を握るのだが、半時もするとまたうつらうつらと眠くなってくる。それでも何とか馬にしがみついていた公綱だったが、五日目の夜が明け、東の空が白々としてきたときには、さすがに限界を覚え初めていた。
 いずことも知れぬ森の中、少し開けたところにそそり立つ崖があった。その崖にぽっかりと横穴が開いている。乗馬した騎馬武者が悠々入ることが出来る大きさであり、奥も深い。辺りに人家は無く、智盛一行は、夜までこの洞窟で過ごそうと衆議一決した。公綱はようやく休めると安堵しつつ、馬を下りて川を目指した。
「公綱、どこに参る?」
「はい、顔など洗いに参ります。すぐ戻りますので・・・」
 おう、と智盛が鷹揚に答える声を背に、公綱は森に分け入った。生い茂る樹木の下はまだ暗いが、一晩中矩火だけを頼りに暗い山道を進んできた公綱にとっては、さほどの苦労はない。谷川の流れる音を追い、程なく森を抜けて岩場へと出た。結構水量豊かな谷川が、瀬を打ち、渦を巻きなどしながら足早に流れている。公綱は、けだるい身体を滑らせないよう気をつけながら、水辺まで下りた。まずしゃがみ込んで水をすくう。だが、どう言うわけか指の間から水が逃げて、なかなかうまくすくえない。それでも何度か繰り返し顔に水を運ぶ内に、折から日が昇り初め、辺りの明るさが一段と増した。その時、ふと自分の指を見て、公綱は愕然となった。太く短いはずの指が、妙に細く筋張って見える。よく見ると、ほとんど骨皮ばかりにやせ衰えているのである。これでは幾ら水をすくおうとも、指の間からあらかた落ちてしまうはずだ。更に公綱は、ややあって揺れが収まった水面を見て、声にならない悲鳴を上げた。
(あ、あれは、わしか?)
 恐る恐る、もう一度水面が澄むのを待つ。ゆらゆら揺れる自分の顔が、再び形を成して目に入った。無精ひげに覆われた顔がげっそりとやせこけて、顎の骨が薄皮一枚の下にはっきりと浮かび上がっている。どす黒いくまがはっきり映ったその上で、落ちくぼんだ目の奥に力のない虚ろな視線が漂っている。
 前に自分の顔を見たのはいつだったか? あのけして美男子とは言い難いが、愛嬌のあるといわれた丸い顔。それを見たのは、確かついこの間、漂う舟の上のことだ。死ぬ前にせめて身支度くらいは整えてから、と思って、たまたま残っていた鏡を覗き込んだ。あの時も随分落ちくぼんだ頬を見て一人苦笑したものだが、こんな別人同然にはなっていなかった。それに、あの直後に奇跡的な上陸をはたし、藤原景高らの饗応を受けて、この五日と言うもの、食だけは満足に摂ってきた。いかに深夜の行軍がつらかろうとも、こんな重い病にでもかかったかのような姿になる道理はないのだ・・・。信じがたい思いで立ち上がろうとした公綱は、ふらっと覚えためまいのままに、前のめりに川へ飛び込んだ。
 「あっ!」
 しまった、と思う暇もない。気が付いたときには、激流が公綱をからめ取り、立つことも出来ずにそのまま水の中を転がった。口と言わず目と言わず、水しぶきが雨霰と飛び込み、耳元は流れの轟音で潰されたも同じである。身体に力が入らず、あがこうにも、絡みつく衣装が手足の邪魔をして、一向に顔が水面に上がらない。泳ぎでは平家家人の中で五指に入ると言われた名人も、身を襲う異変を前にしてはあえなく溺れるより無かった。故に、その声が聞こえたのはほとんど奇跡と言ってよかっただろう。
『こちらへ!』
 首が水面を割ったとき、リン、とした声が公綱の耳を打った。公綱は必死で腕を振り回し、何度目かのあがきでようやく手に触れた縄に必死になってしがみついた。そして激流に抗すること数瞬、ようやく公綱は、自分の身体を砂州に上げることが出来た。砂塗れになるのも構わず、どうとうつぶせに砂の上に倒れ込んだ。
『ご無事でようございました』
 荒い息を繰り返す公綱の耳に、聞き覚えのある声が届いた。辛うじて細く開いた目に、見覚えのある顔が流れ込んでくる。
「夢御前様・・・」
 公綱は、全身の力を奮い起こして起きあがった。
「わしをわざわざお迎えに参られたのか?」
 寒い。思わず歯ががちがちとなり、全身に震えが走る。だが、前に夢見たときとは違い、公綱は恐ろしいとは思わなかった。既に肉体の衰えが進み、感性が麻痺していたのかも知れない。あるいは二度目とあって覚悟が付いたのか。いずれにせよ、身体は濡れ鼠で震えながら、その心は泰然としていつもの公綱であり得たのである。そんな心映えの変化を夢御前、麗夢も感じたのであろう。その可憐な唇にうっすらと笑みを浮かべて、公綱に言った。

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