私の村田銃、GOEX様から頂いたコメントで、どうやら横浜にあった金丸銃砲店製の“新式取放自在村田式銃”であるらしいことが判明しました。そこで、その確証をつかむために古書店やオークションなどに網を張っていたところ・・・・・・ついにコレを手に入れることに成功しました。
金丸銃砲店の明治三十四年(1910年)版の“銃砲正価報告書”。旧いカタログですね。
さて、私の村田式銃は出てるかな?おっ、あった!ビンゴです!!
私の銃は朱檀(=紫檀)銃床の40番なので、この当時の価格では16円でした。
新式取放自在村田式銃にはセフティの位置の違いで2種類あって、私のが標準型のようですね。
この様に分解方法も出てました。
ところが、これを見る限り、オリジナルの状態では、薬室下部にあるネジを緩めることで分解するようになってます。私の銃とは分解方法がかなり大きく異なります。
そこで再度、私の銃を見て確認したところ・・・・・・
・・・・・・あっ、銃身の下にこんな凹部がある。
アクション側にもネジの頭が出るような部分がありますね。
ということは、オリジナルではこの真鍮の鋲の部分にネジが付いていたんでしょう。
その他にセフティの形状も全然違うし、後年になってからかなりお金を掛けて手を入れていることが良く分かりました。不思議に思っていた“410番”という刻印も、恐らく後年に仕上げ直しをしたときに打ち直したもので、製作された当初は“40番”だったはずです。
この村田式銃、今となっては射撃にも実猟にも向かない銃ですが、ますます気に入ってしまいました。これから先もずっと大事にして、良い状態で次のオーナーにバトンタッチしたいと思います。