さて、今日のブログは昨日の続きです。
カミさんと娘が 『千葉県立房総のむら』 の “ふるさとの技体験エリア” で七宝焼を体験している間、私は一人で某所に向かいました。まずは隣接している 『ドラムの里』 を通り抜け、 “風土記の丘エリア” に向かいます。こちらでも寒桜は満開ですね。

“風土記の丘エリア” にはいくつか移築された建物があります。これは国の重量文化財にもなっている旧御子神家住宅で安永9年(1780)に建てられた中規模農家とのこと。

さらに先に進むと、この旧平野家住宅があります。寛延4年(1751)に建てられた富津市の名主の農家とのことで、さすがに立派ですね。

そこからさらに山の中の小道を散策しながら進むと。この旧学習院初等科正堂が現れます。


明治32年(1899)に建てられた校舎(講堂)で、国の重要文化財にも指定されているそうです。
この建物は中を見学することもできました。

色が塗り替えられていたので、以前に訪問したときとはかなり雰囲気が違ってました (笑) 。
そして、そこからさらに少し行った所が私のお目当ての場所。おっ、見えてきましたね。

こちらが今回の目的地。龍角寺古墳群の中にある第101号古墳です。古墳がつくられた当時の様子を復元しているそうで、約120体の埴輪が並んでいます。

これを見れば、例の “踊る人” の埴輪が実は “馬を引く人” だったということが素直に納得できます。もちろんこちらに飾られているのはレプリカで、オリジナルは隣接している “風土記の丘資料館” の展示室で見ることができます。
これを見ていたら、茨城県にある “半谷古墳群” を訪ねてみたくなりました。
古墳から帰る途中、 “誰か” が呼ぶ声が聞こえたのでその方に向かって下りてゆくと、水生植物園がありました。もちろん今の時期には何もありませんけどね。

私を呼ぶ声の主はこのカエル達でした。

「もう春が来ているよ!」
この “風土記の丘エリア” は入園料も掛かりませんし、 “ふるさとの技体験エリア” への再入場も可能です。 『千葉県立房総のむら』 に行ったときには、是非こちらの方にも足を伸ばすことをお薦めします。
カミさんと娘が 『千葉県立房総のむら』 の “ふるさとの技体験エリア” で七宝焼を体験している間、私は一人で某所に向かいました。まずは隣接している 『ドラムの里』 を通り抜け、 “風土記の丘エリア” に向かいます。こちらでも寒桜は満開ですね。

“風土記の丘エリア” にはいくつか移築された建物があります。これは国の重量文化財にもなっている旧御子神家住宅で安永9年(1780)に建てられた中規模農家とのこと。

さらに先に進むと、この旧平野家住宅があります。寛延4年(1751)に建てられた富津市の名主の農家とのことで、さすがに立派ですね。

そこからさらに山の中の小道を散策しながら進むと。この旧学習院初等科正堂が現れます。


明治32年(1899)に建てられた校舎(講堂)で、国の重要文化財にも指定されているそうです。
この建物は中を見学することもできました。

色が塗り替えられていたので、以前に訪問したときとはかなり雰囲気が違ってました (笑) 。
そして、そこからさらに少し行った所が私のお目当ての場所。おっ、見えてきましたね。

こちらが今回の目的地。龍角寺古墳群の中にある第101号古墳です。古墳がつくられた当時の様子を復元しているそうで、約120体の埴輪が並んでいます。

これを見れば、例の “踊る人” の埴輪が実は “馬を引く人” だったということが素直に納得できます。もちろんこちらに飾られているのはレプリカで、オリジナルは隣接している “風土記の丘資料館” の展示室で見ることができます。
これを見ていたら、茨城県にある “半谷古墳群” を訪ねてみたくなりました。
古墳から帰る途中、 “誰か” が呼ぶ声が聞こえたのでその方に向かって下りてゆくと、水生植物園がありました。もちろん今の時期には何もありませんけどね。

私を呼ぶ声の主はこのカエル達でした。

「もう春が来ているよ!」
この “風土記の丘エリア” は入園料も掛かりませんし、 “ふるさとの技体験エリア” への再入場も可能です。 『千葉県立房総のむら』 に行ったときには、是非こちらの方にも足を伸ばすことをお薦めします。